autobiography # 027 不適応あるいはいるべき場所。

  思春期を迎え青年は社会化欲求をもつ。それは所属欲求として自分の居場所をもとめる、という形式をとることがある。自分の居場所を求めるということは現在の自分の所属するとされる場所に違和感をもつということでもある。かくて、中学生や高校生は「ここはわたしの居場所ではない」という違和感をもち孤立感を深めることになる。

  ノーマルだけがとりえであったわたしである。それゆえ当然のこととてこの所属不適応自覚をもつこととなった。

  わたしの実家は建具屋なのでわたしは学校がひけると工場にいき、今日出荷する建具にビニル袋をかけ、工場まえの路上に並べる。そうして日の落ちるころ運送屋のトラックが集配にくるからそれにとっとと積み込み、送り状を渡すのである。運送屋はそのあと自社で行き先別に荷の積み換えをし、夜の更けるころ出発する。で、わたしは運送屋がくるまでに数十枚の建具にビニル袋をかける。

  建具は概ねサブロク(三尺×六尺)くらいのものが多いのだが、基本はオーダメイド。枠にあわせてつくる。七分がた家の完成した現場に寸法取りに行き、それにあわせてつくるわけである。次第に設計事務所のひいた図面がファックスで送られてくることも多くなっていたが、あてにはならない。現物はひとつひとつ微妙に寸が違う。「こちらは図面どおりにつくった。これでおさまりが悪いのはそっちのミスだ」などとガンバっても要領の悪い店と看倣されて注文がこなくなるのがオチである。

  さて、わたしはそのひとつひとつの寸法を目測し、フクロをかける。フクロは規格品なので、幅で、840mm 960mm 1000mm 1060mm 1100mmなどがあり、高さは1800mmばかりであった。特に背の高いものは上下から二枚のフクロをかける。フクロは素早く丸めて、両手に拡げてかまえ、天辺から一気にかける。

  そんなわけで両手をビニル袋に突っ込みクシャクシャと丸めつつ、

  「ここはボクの居場所じゃない。ぼくのいるべき場所はどこかまだ見ぬところにある。」

  建具を傾け、その上辺の両角にフクロをあてがい、

  「どこか遠く。どこか見知らぬところ。」

  フクロを引き下ろしつつ、

  「ああ、なんてここは居心地が悪いんだ。故郷と家族のなかで、なのにわたしは異邦人のようだ。」

  すると運送屋のトラックが来て、頭にタオルの鉢巻を巻いた運ちゃんがおりてきて、満面の笑顔で威勢よく、

  「まいど、まいど、まいどーっ」

  ああ、この世界はなんて居心地が悪いのだろう。

  学生であるから、当然学校にいく。ニュースによれば、現在、高校生の学習時間は平均一日一時間、ただし半数は零時間でだそうである。そうなると学校での学習態度もおして知るべしである。しかし、ひとのことがいえるものか。かくいうわたしも大学に不合格になって浪人するまでマジメに勉強などした記憶はトンとない。せいぜい定期テストまえに形ばかりといったところである。

  古文の担当はMr.ベイビーシッター/冥界の魔道師と仇名された名うての国語教員ハセガワ氏である。彼が名調子で古典を吟ずれば誰しもが、夢の世界に遊ぶ。

  「ここがわたしの魂の故郷なのだろうか。」

  しかし、無情なハセガワ氏は、「無礼なやつは先生と同じ頭にしてあげよう」などと嘯(うそぶ)きつつ、黒板ふきを片手にわが傍らに立っているのである。かくて、わたしは無情の現世へとひきもどされ、その頭はチョーク粉でみごとなゴマシオとなるのであった。

  「ここはわたしの居場所ではありえない。断じて否だ。」

  昼は生徒ホールと呼称される食堂でお昼ごはんを頂いたりすることもある。弁当をつくる閑がなかったとか、つくる根性がなかったとか、落としたとか、喰ってしまったとか、喰われてしまったとか、諸々事情があるものはこれを利用する。後に教育実習でここを訪れたときにはいつの間にやら日変わり定食などがメニューに加わっており私の羨望を得るのだが、それは未来のはなし。この当時のメニューは炒飯、カレーライス、ドライカレー、きつねうどん、天麩羅うどん、ラーメン、以上であった。

  天麩羅といって、ブラックタイガー(中)がのるはずもなく、オキアミのごときプランクトンの掻き揚げである。しかも衣ばかりで実がどこにあるのか全然わからない。

  昼の学生食堂は騒然としている。少女たちは将来のオバハン井戸端会議の練習をするかのごとくマシンガンのように喋り、少年たちは怒声を咆哮する。売子おばさんと調理おばさんはまさに戦場をかけめぐっている。音響はホールじゅうに響きわたる。しかし、こうした雑踏のなかでこそ、青年の孤独はいやまさる。

  「こんなに大勢の人がいるのに、ひとりカレーライスを食べるわたしはなんて孤独なんだ。わたしはここにいちゃいけない人間なんだ。」

  そのときである、カレーライスのなかから掻き揚げが出現した。これはカツカレーではないはずで、まして天ぷらカレーではないはずである。掻き揚げよ、わたしはここにいるべきでない人間だが、きみの居場所もそこではなさそうだ。同じ傷みを共有するところに連帯は芽生えるのかもしれない。だがこの掻き揚げは連帯のみならず、わたしの血肉となったのはいうまでもない。

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2003/5/22