ayya #23 東照大権現様に感謝せねばならぬこと。

  木造建築物の寿命は1000年とも1500年ともいい、その最も堅牢となる時期は建築後500年くらいであるというのは司馬遼太郎『街道をゆく』からのまた聞きだが、日田や丹生川、高山など高度成長時代の破壊を免れた地域には築3、400年くらいの家はゴロゴロしているのでそれくらいは保つのであろう。しかし、三内丸山遺跡の巨大木柱列は縄文時代の木造建築物の跡だというし、出雲大社は数十メートルの高さの上に作られていたというからこの国の木造建築にどのくらいの歴史があるのか予想もつかない。

  とはいえ、道具の観点からいえば、今日にいたる台鉋の発明は江戸時代初期で、鋸は鎌倉時代に中国より伝来してはいたが、これは二人がかりで押して切るもので今日のような幅広短寸のものはやはり江戸時代初期の発明である。(宮本常一『絵巻物に見る庶民生活誌』『塩の道』)

  この時期に木工道具革命がおきて、日本建築が遍く普及したようである。そのわけは天下統一にある。世界一の鉄砲生産国で使用国、また刀剣武器生産国であったわが国だが江戸幕府のもとで一気に武装解除してしまう。当然全国に無数にあった鍛冶師は不景気にみまわれるワケだが、ここで彼等は刀剣製作から大工道具製作および農具製作にクラがえしてしまうのである。ここに江戸幕府による寺社・架橋などの普請事業があって大工仕事の空前の好況がくわわる。ひとり江戸のみならず全国的インフラ整備公共事業ブームとなって木工技術の長足の進歩がおこる。鋭利さでは有名な日本刀だがその鋭利な刃物製作技術はノミ、カンナ、ノコギリ、はたまた包丁へと受けつがれたのである。

  ノコギリの改良、普及は大きな板材の使用を可能にしている。これ以前は木材をクサビでわって板をとっていたので大きな板はめったにとれなかったのである。このことで大きな変化を受けたのは「桶」である。すなわち鎌倉中期以前は「曲げ物」といって板をあぶって丸めた「輪っぱ」の桶しかなかったのが室町あたりから「タガ」のかかった「結桶」が作られてていた。これに巨大な板材を供給することで巨大な「樽」を製作することが可能になったのである。

  巨大な樽が作られたことで変化を被ったのは醸造である。即ち大規模な醸造を行うことそのものが可能となったのである。こうしてできたものはまずは酒、つづいては醤油である。江戸初期に伏見、伊丹、少しおくれて灘、そして湯浅、竜野といった酒造、醤油造、さらには味醂造がおこってくるのはこうしたわけである。

  さて、関西地方では太閣はんとの約束破って天下をねじりとった男として甚だ評判のよろしくない徳川家康であるが、彼と彼の一族の武装解除、文治主義には日本酒と醤油の愛好家は感謝せねばならぬようである。

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