はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版
855
おなまえ
micmic
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補足。ようするに小麦さんが指摘した現実は『現実』ではあるかもしれないけれど、それは蛮行として告発されなきゃいけない種類の現実だと思うわけ。ごめん。
日付Wed Jan 7 20:01:02 2004
854
おなまえ
micmic
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メッセージ
あらま。すいません。すくなくともそれほど大したとも思われぬ行動で『現実の男はこんなに「待って」くれないのだ。』とか、『非現実的』とかいわれてしまうと、ついついね。勿論わたしが現実に見たり聞いたりした範囲は限られたもので、統計や報告で蛮行のかぎりが存在することは否定する気はまるきりないのですが。
しかし、「むずかる女を張り倒していうことを聞かせる」という光景は本で読み、映画でみるほどには現実にはみたことないす。ま、密室でおきるケースが多いだろうから、現実に見ないのもあたりまえではあります。
男の子問題のほうはかなり本気で近代的企業組織からおばさん・おばあさんが排除されるようになったことは企業の雰囲気や体質を変える結果になったと思うよお。前近代には武家社会こそ男社会だったけれども、商家や工業はかならずしもそうじゃなかったんだから。
もちろん女のひとのほうが女のひとに対してキビしい一面もあったりするから、あるいは娘さんにはそっちのほうがキツいかもしれないけれども。
日付Wed Jan 7 19:19:54 2004
853
おなまえ
小麦
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「男の子」話でも、私の掲示板の議論でも思ったんだけど、micmicは、実体験を持って、いわゆる「一般論」の幻想性を暴くような論の立て方を得意としているようだけど、それ、ちょっとズルいんじゃない(笑)。
あなたの実体験がベーシックや平均値である保障はないわけで、言い方は悪いが、ごく一部の人の善行を持って、現実に存在する差別や抑圧をエクスキューズしてしまう恐れもあるじゃん。(というか、その危険性の方がでかいぞ)
ま、そういうことも自覚して、やっておられるようだから、いいんですけど。
今年もよろしく。
日付Wed Jan 7 11:27:01 2004
852
おなまえ
とだおっとせい
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なるほどなるほど。これは面白い。勉強になりました。
下降の果てに千年王国。
共産主義も末法思想も東西に普遍なラディカリズムの現れなのかしらん。
日付Sun Jan 4 23:26:46 2004
851
おなまえ
micmic
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末法思想はよいのだが、こう詳しく解説されてしまうとだな、負けずにヨタ噺をしてしまうのことよ。
共産主義の図式はただの進歩図式ではなくて、
エデンの園/原始共産制
->知恵の実喰い/農業革命/余剰生産物の出現/生産・支配関係の出現
->矛盾の激化・生産・支配関係の変更
->神の子の生誕・新訳聖書と教団誕生/科学的社会主義理論と前衛党の出現
->不信心の隆盛と信徒の受難/矛盾の激化/労働者階級の没落・惨敗の連続
->ハルマゲドン/(最後の審判とみるかどうかは諸説)/プロレタリア革命
->至福千年/人類前史の終了・人類の本来的生活。
最初にドーンと落ちて、さらにドンドン落ちて、いきなりもちあがって、またドンドン落ちて最後の一発で万万歳とキリスト教系の見方であるから、末法思想と進歩思想のアウフヘーベンであるといえよう。(ナンのことやら)
こうしてみるとキリシタンも念仏系も共産主義も末法あるいは下降史観には最終の救済というオマケがついているのである。以降これを「夏休み最終日に宿題全部やるけど父さんに手伝ってもらう史観」と呼ぶことができるであろう。
よって漸進的な修正主義や資本主義あるいは進歩主義とは一線を画すのであーる。
日付Sun Jan 4 13:28:30 2004
850
おなまえ
とだおっとせい
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付け足しというか、昨日は一言で終わらせてしまい恐縮であった。
ご存じの通り近代は
未来>>>>現在>>(越えられない壁)>>過去
と明るい未来・今よりも進んだ未来・どうしようもなく劣った過去、というパースペクティブの中で森羅万象を見ようとしていて、共産主義者などはその最たる者である。日本も文明開化以来、その枠組みを受け容れて今日に至るわけだが、しょせん百数十年の代物、我々の骨身に染みついた末法思想によって時折復讐されているのではないかという気がしたのだ。
すなわち、これもご存じの通り末法思想は
正法>>>>像法>>(越えられない壁)>>末法
という、世の中はどんどん悪くなっているという反近代的な時間観・歴史観を持っている。日本人が好きな「昔はよかった」「古き良き時代」的な感慨はやはりここに由来するのではないかと思っている。
それは共産主義の影響を受けた学生運動の中にもあって、去年僕が吉田寮に呼ばれてしゃべらされた背後には、「在期のころは運動が盛り上がっていて良かった」「今は誰も運動に関心を持たず、昔の経験も伝わらない」という正に末法的な現状把握があったのであろう。
日付Sat Jan 3 21:08:53 2004
849
おなまえ
micmic
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なるほど、おシャカさまの入滅からざっと2500年。ど末法の世の中ではある。弥勒の下生までは56億6999万7500年くらいあるものね。堀達之助、堀達之助、出逢ったころのアメリカはもちっとマシだったかい?
日付Sat Jan 3 12:39:32 2004
848
おなまえ
とだおっとせい
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そりゃ末法思想の影響では。
日付Sat Jan 3 01:20:40 2004
847
おなまえ
micmic
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あけましておめでとうございます。
紅白歌合戦を最初から最後まで見てしまいました。ちかごろのアイドルのお嬢さんって大変そう。貧相というよりはほとんど病的なほど痩せて、忙しそうなダンスをしていました。長渕剛というひとも何十年ぶりかで見ました。マジメな人なのね、お客さんを楽しませるためにしっかり体を鍛えていろいろアクションするのねするのね。あいかわらず、歌には感ずるところがまるでないけれどもファンのひとも大勢いるからきっとよいのでしょう。
彼の歌を聞いて思ったのですが、「出逢ったころのふたり」が一番よい、という奇妙な思想はいったいどこからくるのでしょう。出逢ったころのフセイン大統領とアメリカ政府とか幸福だったろうか、クルドのひととシーアのひとには不幸だったろうか、出逢ったころのパレスチナとイスラエルはどうだったろうかとか考えてしまいました。文明の出会いは幸福でないケースばかりがつい思いおこされてしまうのでした。もう寝ます。くう。
日付Thu Jan 1 12:21:08 2004
846
おなまえ
micmic
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これぞ国民国家のおそろしさ、というかんじです。封建大名ならば自腹を切って、土地を与え、禄を与え、恩賞を出してようやく雇った兵隊が一銭五厘で無尽蔵に召集できるようになったその代償が靖国神社だったわけで、ああ今出来のすさまじさ。いつぞや、中曽根首相が「国家が靖国に力をいれなければ、誰が国に命を捧げるか」と発言したのはまさに靖国神社の存在意義そのものを正しく理解していたわけですね。だから、傷病兵はこれに加えてよいし、現在は加わっていない報国の生産活動も加えてよい。しかし、たまたま巻き込まれた被害者はけっしこれにはあたらないし、まして反戦活動家は。
いっぽう合祀問題での「合祀の申請は隊員の士気の高揚のためにおこなったことで宗教活動ではない」とする最高裁の判断は「祀ることで『士気の高揚』をはかる」という靖国の唯一の中心教義・宗教理念をまるで理解していない。あるいは「神道は宗教ではなく国民道徳である。それゆえあらゆる宗教に対し別格の位置にある」という国家神道の立場を完璧に理解している。宗教じゃないの、ただ祈るだけ、こういう自覚のないやつがいちばん恐しかったりする。
日付Mon Dec 15 11:10:19 2003
845
おなまえ
小麦
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そういえば、日清戦争の時に脚気で死んだ兵士は、祀られなかったんだよね。
そののちに、戦場での病死も含めるようになったらしいけど。
戦場で無念の病死を遂げた人や、逆賊をこそ、魂鎮めしてやらないと、化けて出そうですよね。
日付Sun Dec 14 17:42:40 2003
844
おなまえ
micmic
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岩波ブックレット『浄土真宗の戦争責任』を読んだミネさんの感想。
あああ、バカだったあ。靖国神社というのはそれ以前のまつろわぬものを祀りあげ、荒魂を和ぎ魂にかえる諸神社とは違い、国家に役にたったひとだけを恩賞として神格化するわけで、自国の戦闘に参加したものを讃え、その他のものにあとに続くことを要求するしろモンであるそうな。
よって戦没者追悼の施設ではけっしてありえないとのこと。
明治以降の国家神道はおそろしく功利的でやっぱりどこか異様である。
ただし、英霊のみなさんは世界の人が平和にくらせるように一生懸命頑張って死んでいった人の大勢いるわけで、その崇高な理想が惨劇を拡大したのであるな。戦争のない平和な世の中を希望したのは石原莞爾ですらそうである(最終戦争論参照)。
日付Sun Dec 14 10:33:06 2003
843
おなまえ
micmic
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わたしは小学生のころから京都大に行くのだと思っていたし、そう公言しておりました。何せ小学生のころはテストのデキがよく、クラスで二番でありました。バカな小学生だから、二番目の大学は京都大であとは和歌山大と同志社立命あたりしかしらないのでした。
父母は大学へ行けとは一度もいいませんでした。どっちかというと「学校なんか行かなくても腕さえあれば月給五十万円くらいは稼げるよう」と。それでも合格したときは宝くじに当たったように喜んではりました。
おかげで卒業後の進路をまるで考えてなかったバカモノでございます。
日付Tue Dec 9 23:53:25 2003
842
おなまえ
とだおっとせい
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ありがとうございます。
若い人っていろんな意味で真面目だと思った。
親は大学へ行けと言うし、まあ面白そうだから行くか、
という程度の進学動機だった俺はちょっと申し訳ないと思った。
日付Tue Dec 9 16:21:50 2003
841
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
すまん間違えた。
こっち。
http://ottosei.com/cgi-bin/wforum/bbs/wforum.cgi?no=449&reno=no&oya=449&mode=msgview&page=0
日付Mon Dec 8 23:42:00 2003