はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版
825
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
社会の安定は即ち階層の固定化でもあるということで痛し痒しだな。親元にいたいという背景には、親が金持ちで子供の経済的負担がない、あるいは軽いということがある。そういう親元から仕事に通えば、さらに財産蓄積が可能となり、富裕層は富裕層として固定する。もちろん幾分かはパラサイト化し、一生フリーターとなって遺産を蕩尽して終わるわけだが。
ただし、俺の世代は、俺の親の世代よりは確実に貧乏だから、成長した子供を抱え置く余裕はない。家も狭いし。さらに人口減少によって不動産価格・賃貸相場は下落するだろうから、親元を離れる経済的条件は好転するともいえる。そんなわけで、親元を離れる子供というのもまた、一定数を下回ることはないような気もする。ま、このへんは楽しみにウォッチングすることにしよう。
日付Thu Oct 30 02:53:53 2003
824
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
われわれの世代の共通の欲求として、親元を離れたい、というのがあったな。別のところに住んで、自分の働きでカネを稼いで、ガール/ボーイフレンドとよろしく秘めごとをいたす、というの。だから、地元大学へいって親の住む家から通うのはまっぴら御免だった。
ところがどっこい今や親の家というやつはすごく居心地がよいらしい。わたしの仕事先の学生寮の子の機会をみつけて帰りたがること、 ゝ。
しかし、史的には子が親の家を離れずにいるというのはなんら珍しいことではなく、いちいち独立する社会のほうが近現代の農村解体、都市化/単婚家庭の普及にともなう歪みともいえる。この仮定にたつと、子が親元をはなれたがらないという傾向は社会が安定してきたともいえるわけか。
日付Wed Oct 29 08:17:16 2003
823
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
まあ昔から30以上の奴は信じるなとか、若けりゃいいのさイデオロギーはあったからね。そういうイデオロギーに縛られている人々は、落ちるばかりになった年齢に達したときになれば、「女の華は20代」とか「男の勝負は30代」とか言い出すに決まっているので大丈夫でしょう。
何をもって社会人というかは難しいところだが、最近の若い衆は親が好きだね。俺の場合、社会人になりたいという気持ちは希薄だったけれど、家を離れたいという動機は強かったなぁ。その意味では我が両親の育児は成功したと言えるかもしれない。
日付Wed Oct 29 01:38:07 2003
822
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
いや青春を無為に過ごすのは全然かまわないっちゅうか、それでこそなんだが、イカンのは「17、8がピークであとは落ちるばかり」なんぞというセリフをどこぞで聞いてきて真に受けているあたりである。
18の画家、18の俳優、18の作家、18の歌手、18の運転手、18のトビ、18の郵便局員、18の専業主婦、18の舟大工。みーんなケツの青い駆けだしではないか、おたのしみはこれからだ。そーゆーことに気づいてないあたりがゆるせんかったのだが、一夜あけてみたらまいっか、という気になっている。ようするに社会人になりたくないわけであるな。
日付Wed Oct 29 00:46:29 2003
821
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
十代後半って「そういう年頃」なのかもね。
自分って無為に青春を浪費している、ああかわいそう、というポーズをとってみたいというか。
いっしょに「なにか、いいこと、ないかなー」と歌ってみては如何。
日付Tue Oct 28 22:11:29 2003
820
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
これもネタ。備忘のために記す。個人指導であたった大検受験中の女の子がいう、「いまが人生のピークなのに、楽しいことが何もない」バーーーカモノ。おめえは女子体操の選手かい。体操の選手だって人生は引退してからだろうがあ。十代なんぞただのガキだろーがああ。
詩人なんかには早熟のひとというのはいて、十代や二十代で才能を使い果たした感のあるひとというのはいる。しかし、それは結果というものだし、また詩人として終わっていても人生のほうはまた別である。
どうやらどこかで、「ハイティーンが人生のピークであとは落ちるばかりだ、あのころに帰りたい」なんぞというセリフをどこぞで吹き込まれてきたらしい。もちろん勝手に誤解しただけという可能性は否定されない。
然し、わたしは憤っている。そーゆー言論は断乎弾圧して、焚書して、まるめて、こねて、孔に埋めてやるうううう。……ゼーゼー。
日付Mon Oct 27 12:27:53 2003
819
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
うん、辺境史については東北史もふくめて、この20年の進歩というのは隔世の感はある。ところで旧土人保護法がアイヌ文化振興法とさまがわりしたのはそれはそれで進歩である。道がアイヌ予算をもらってくる仕掛になっていて、当のアイヌは無視したところでアイヌ生活向上施策予算15億1000万とアイヌ文化振興研究開発予算7億1200万が道路・港湾整備のようするに土木事業につかわれていたりする。それでもタテマエが進歩すれば、それはそれで進歩であるとは思うのである。それは当然のことではなくて糾弾されべき不正ないし、スキャンダルになりうるわけだから。
とはいえ、いろいろ面白いはなしを聞いてきたので受けうりを書いたり喋ったりするつもり。
いっぽうで、ことに90年代なかばあたりからの保守反動思想の普及ぶりはどうしたことだろう。右翼・国家主義的理想追求、実行者にみえた中曽根元首相も自己認識ではどうもバランス・現実路線だったらしいしな。石原官房長官なんか、政府の中枢にいながら、選挙で選ばれたからというだけで自分のことを「民間」と呼ぶ始末。民間っていったい何なのさ。
ところで妹はすでに退院しておりまして、実は盲腸ではなかったそうな。面白いからその顛末も書くようにいっているのですが、退院しちゃうといろいろすることがあるみたい。
日付Sun Oct 26 21:31:04 2003
818
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
あ、妹君にお大事にとお伝え下さい。
日付Sun Oct 26 18:04:28 2003
817
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
表の稼業は受験日本史屋、裏では若い衆の「日本」に関する常識を揺すぶることを目標に置いているのだが、時間と、そして第一には能力の限界があって、なかなか難しい。それでも、今の我々が考える「日本」という領域(空間的にも人間的にも)が近代の産物に過ぎないこと、日本人とやらの「民族」は所与のものではなく、政治的に作られてきたものであることは何とか伝えたいと思っている。倭人=日本人ではない、倭寇はただの海賊ではない、ということを話すだけでも、分かってくれる子は分かってくれるからねぇ。
日本史の教科書はそれでも進化してきたし、大学入試問題を作る側にも「辺境」を勉強してほしいという意識が見られるのは良いことだ。コシャマインもシャクシャインも、15年前の教科書には載っていない方が多かったのではないでしょうか。日本の対アイヌ政策が教科書に載っているに越したことはないが、後は使う側の意識と知識の問題という気もする。
旧植民地関係でも、5年ほど前に関西大学が黒旗軍やら霧社事件やらを出してきたのにはちょっと驚いた。受験生には気の毒だけど。
日付Sun Oct 26 18:04:03 2003
816
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
解放と正義のゆくえ〜ユダヤ・パレスチナ問題とアイヌの歴史から、と題する、鵜飼哲、花崎皋平講演にいってきました。忘れぬうちにちょっとメモ。
なんでアイヌとパレスチナなのかなあと思っていってきたのですが、パレスチナのかたが日本へきてアイヌの人と話したがったのだそうです。アメリカ先住民のひとやアボリジニの人がきてもそういうことになる。
「自分たち」が世界から消えてゆく、という事態を現実の問題として感じる恐怖はなみならぬものがあるそうです。
さて、土地を奪われ、共有財を奪われ、「民族」粛正の憂き目に合いそうになっているという点でたしかに接点をもっているのだけれど、イスラエルがパレスチナ人に対する虐殺と収奪を隠蔽しようとするように、ぼくら日本人も最初の植民地である北海道でやった場所制度および明治以降のアイヌの奴隷労働、共有財の接収としての河川の禁漁化、男女を遠く離れた場所で強制労働しつづけることによる生殖活動の事実上の禁止など日本人がアイヌにしてきたことの歴史を隠蔽していること。この事実を歴史教科書からはずしつづけていること、これが理解できないうちは満州で日本人がしようとした植民という行為は理解できないんじゃないか、とのこと。
たしかに歴史でアイヌのはなしは事実上、コシャマインの戦い、シャクシャインの闘い、クナシリメナシの戦いでおしまい。北海道の植民行為を「開拓」といいかえたままでは「入植地」とは何なのかはわかるまいねえ。
日付Sat Oct 25 22:49:51 2003
815
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
新八犬伝のDVDを買ったのでついついとノートマシンでちょろちょろ見たい欲求にかられてしまいました。
犬山道節の雄姿。
しかし、AAではこうなるのでした。
aa道節
aa道節アップ。
新しいドラマよりも30年前のもののほうが面白く感じられるのは単なる懐古だけではないような気がする。ひょうたん島のほうがこころよりはよほどおもしろい。
おまけにたまに喫茶店で手にとるとスピリッツもモーニングもさっぱりおもしろくない。自分で楽しむぶんには古いものばかり見て聞けばいいんだが、会話の共通のネタがなくなっていくのは困ったことである。
日付Sun Oct 19 12:31:06 2003
814
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
> おとなしく、一万円くらいのDVDプレイヤとテレビでみるのがいちばんのようである。
ワロタ。
しかし、最初からそう思っているのと、自分の手を使ってその結論に達するのとでは雲泥の差である。
日付Sat Oct 18 22:46:55 2003
813
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
これは幸い。鮮魚売場の筋子は9月10月くらいで終わってしまい、その他の時期にはしつこい味付けの『イクラ』しかなくなってしまうのであります。
日付Thu Oct 9 09:26:07 2003
812
おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
イクラ醤油漬け、開缶いたしました。
今日一日で三分の一をいただきましたので痛む心配はなさそう。
前回のもおいしかったが、今回のはイクラのぷちぷち感がさらに良くなっているように感じました。ごちそうさまでした。
春のイカナゴ釘煮を待て。ひょっとすると佃煮に堕落してしまうかもしれないが。
日付Thu Oct 9 01:15:54 2003
811
おなまえ
micmic
--------
メッセージ
「せーの」*3問題ですが、これは2ビートで「せー」が前拍「の(ブレス)」が後拍になりまして、「の」のあとの八分休符でもって素早く吸気するわけですが、三連発はよいとして五連発のあとは結構苦しいです。なおこの全ての「の」でもってロープを引くわけでせわしないことであります。
だぞざど問題につきましては、さよう「そこの駄布団とどうきんとって」などとサラっといえるようになってこそ立派な和歌山県民といえます。しかはあれども、小学校に残存する方言撲滅運動は「おまえ、これ何かいうてみい(雑巾、座布団などをヒラヒラさせる)」という悪質なイジメと化してもいたのでした。
日付Tue Oct 7 08:48:18 2003