はげましのお声、ないしは罵詈雑言昇順版

御芳名


おことば

準備はいいですね


昇順掲示板 from 1890 to 1905

1890

おなまえ
U子
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メッセージ
お医者さんも大変みたいですね〜。

私が通っている精神科医も、しばしば疲労困憊の様子を見せ、どちらが鬱病患者だか判らない程な時もあります(苦笑)。
患者の立場に立ち「良心的」であろうとするお医者さまから順にバーンアウトしていき、残るのは拝金主義の「デモシカ」医師ばかり....良くないパターンですね。


日付Thu Sep 6 09:45:56 2007

1891

おなまえ
U子
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メッセージ
> やっぱり「らしい」と嬉しくて「らしくない」とイヤなんだなあ、と妙に納得してしまいました。期待どおりってことだものね。

「あれっ!?」って思ったので、胸に手を当てて一寸考えてみました。
で、少なくとも私にとって、誰かが「その人らしい」時に嬉しい理由は、別にそれが「期待どおり」だからじゃないんだろうな、と確認。

じゃ、なんで嬉しいのかというと「その人が、自分以外の誰か・何かに無理強いされていない」ことが確認できたような気がするからなんです。
例えば、知人が、我が家の二人みたいに「らしくもない」会社員生活(おまけにIT業界^^;)で追い詰められて病んだりしたら悲しいですよね。
そんなのじゃなくって、その人が「自由意志」(←これも怪しい概念ではあるんですけどね(^^ゞ)で自分の行き先を選んでいるところを想像すると、「行け行け〜♪」って感じで嬉しくなっちゃう次第なのでした。


日付Thu Sep 6 13:46:27 2007

1892

おなまえ
ちょっとちょっといぢわるなmicmic
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メッセージ
わかりました。自分でない他人あるいは知り合いに対して、「その人が、自分以外の誰か・何かに無理強いされていない」ことを期待希望していて、その人の選択、例えば17年間勤めて、愛着もある会社を辞めて配偶者の転勤先に移住することが、「「自由意志」で自分の行き先を選んでいる」であると期待推量していると、そういうことですね。了解しました。

訂正をひとつ。
>近寄らなくてよかった。
といいましたが、ヒトミさんが、ソフトハウスでSEなので、自分はやってないが、近寄ってなくもないのでした。

ところで、
>会社員生活(おまけにIT業界^^;)
書き込みをみるかぎりでは向いていないようには見えないのでした。

しかし、90年代には京都大文学部は知っているだけでもかなりのSE、プログラマを輩出してますね。実は結構文学部向きなのかな。


日付Thu Sep 6 20:34:07 2007

1893

おなまえ
micmic
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メッセージ
でも、3K職種といわれるIT屋さんの中でも、あの会社はトクに評判悪いみたいですね。

といって、「がんばれゲイツくん」なんかでチョロチョロ読んだだけでありますが。

日付Thu Sep 6 20:36:56 2007

1894

おなまえ
U子
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メッセージ
小国さん> まあね。
小国さん> 迷った時は、「未経験のほうを選ぶ」が信条なので。
小国さん> 40代で何を甘いことを! とあきれられてしまいそうだけれど、やっぱり1度の人生なら、最後の最後まで、あれもこれも試してみたい。

この台詞を吐ける人を自由と言わずして、何を自由と言えるのか判らないU子なのでした♪


日付Thu Sep 6 21:49:00 2007

1895

おなまえ
U子
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メッセージ
ひょっとしたら「自由」という概念について認識が食い違っているのかもしれませんね。
その概念について自分の中を探ってみると、こんな引用群が出てくるのですが....


ひぐらしのく頃に「綿流し編」エピグラフより 

 あなたの乾きを癒せない。
 真実を欲するあなたがそれを認めないから。

 あなたの乾きを癒せない。
 あなたの期待する真実が存在しないから。

 それでもあなたの渇きを癒したい。
 あなたを砂漠に放り出したのは私なのだから。

             Frederica Bernkastel


ひぐらしのく頃に「祟殺し編」エピグラフより 

 井の中の蛙は幸せでした。
 井戸の外に何も興味がなかったから。

 井の中の蛙は幸せでした。
 井戸の外で何があっても関係なかったから。

 そしてあなたも幸せでした。
 井戸の外で何があったか知らなかったから。

             Frederica Bernkastel


ひぐらしのく頃に「目明し編」エピグラフより 

 砂漠にビーズを落としたと少女は泣いた。
 少女は百年かけて砂漠を探す。

 砂漠でなく海かもしれないと少女は泣いた。
 少女は百年かけて海底を探す。

 海でなくて山かもしれないと少女は泣いた。
 本当に落としたのか、疑うのにあと何年?

             Frederica Bernkastel


ひぐらしのく頃に「皆殺し編」エピグラフより 

 井戸の外の世界が知りたくて。
 私は井戸の底から這い上がろうとしました。

 井戸の外の世界が知りたくて。
 何度、滑り落ちて全身を打ち付けても上り続けました。

 でも気付きました。
 上れば上るほどに落ちる時の高さと痛みは増すのです。

 外の世界への興味と全身の痛みが同じくらいになった時、
 私は初めて蛙の王さまの言葉の意味がわかりました。

             Frederica Bernkastel



日付Thu Sep 6 22:12:12 2007

1896

おなまえ
micmic
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メッセージ
そうかもしれません。
micmicにとって自由というのは永遠の他人事で、
こいつは自由だなあ、と感じさせるヤツに「おまえ自由だなあ」というと
「何が自由なもんか、こんな不安な状況を余儀なくされて」
とか
「いま、それどころじゃない、ああ忙しい忙しい」
とかいうことになっています。

自分のこととなるとそれの不在ばかりが主張をし、ああ自由が欲しいと呟いてもみるが、手にはいってみるとただメンドウくさくなって逃げたりもするらしい。

自由の刑に処せられたり、自由へと呪われたりしてタイヘンなものらしい。

ところで、地縁・血縁からも距離がとれ、二人そろって会社のシガラミからも縁を切ることのできたU子さん。見る人から見ればとても自由に見えるだろうね。


日付Thu Sep 6 22:25:06 2007

1897

おなまえ
micmic
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メッセージ
さらにある種の人々からはこのmicmicですら自由に見えるらしい。

micmicとしてはそんなのはどっちでもよろしい。晩御飯のオカズのほうがよほど重大事でございます。

日付Thu Sep 6 22:37:20 2007

1898

おなまえ
U子
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メッセージ
> 見る人から見ればとても自由に見えるだろうね。

いわゆるお約束の「野垂れ死ぬ自由」って奴ですね :-)


日付Thu Sep 6 22:59:53 2007

1899

おなまえ
U子
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メッセージ
何度か酒食を奢ってもらい、深夜勤務も共にした親しい仲間....同僚と上司の二人が、一晩すら患う間もなくコロリと過労死しました。
二人の無念の分まで、私には自由を享受する義務があると思っています。


日付Thu Sep 6 23:14:16 2007

1900

おなまえ
tomi
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メッセージ
「自由とは何ぞや」について話しているようでいて、
実は「充足感とは何ぞや」を議論しているという、
そんな印象を受けます…

日付Thu Sep 6 23:23:14 2007

1901

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
自由や自由な人はさほどうらやましいとは思わないが、気楽、ってのにあこがれます。おきらくごくらく!って唱えるの結構好きです。

守るものがある時点で、もうその人は自由ではないのではないでしょうか。生活にせよ家族にせよ仕事にせよ個性にせよ。おぐにさんは、自分の欲望・欲求を真摯に見つめる人だとは思いますが、自由な人だとは感じません。

ま、ここの書き込みも含め、みんな自分が価値を置くものを「自由」と名付けているだけのような気もしますが。

日付Fri Sep 7 00:50:06 2007

1902

おなまえ
U子
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メッセージ
「自由」という概念について
 A.「何であるか」って定義
 B.とのような「尺度」で捉えるか
が食い違っているみたいですね。そしてそれは、人それぞれ歩んできた人生によって変わってくるのでしょう。

もし
 A.「束縛するものが無い」という状態
 B.staticな「状態」(=100%であること)
と捉えるならば、自由な人なんてそうそう居ないでしょうね。

私は
 A.複数の可能性の中から、自分の望むことを選び取ることができる精神状態
 B.0〜100%の「尺度」で図るもの
が「自由」だと考えます。そこに至るまでの経緯をサクっと。

高校を卒業するまで親に虐待を受け続けてきました。学校以外の場所に出歩くことは許されず、詳細な用途を申告しなければ小遣いも貰えず、進路にも干渉され(本当は理系志望だったのですよ)、プライベートなスペースはご不浄だけ、たとえ逆らわなくとも親の気分次第で恣意的な暴力を振るわれる....なんて環境に居た私は、「自分ひとりでは何も選択することができない」という病的な精神状態にまで追い込まれました。
その後、親元から解放され精神的に回復していった道のりは、他者からどう見えようとも「自由を獲得していく過程」としか形容しようがありません。

ちょっと「極論」でしたか(^^ゞ



日付Fri Sep 7 08:45:24 2007

1903

おなまえ
micmic
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メッセージ
>みんな自分が価値を置くものを「自由」と名付けているだけ
はなしが自由に流れこんだのは、1894からで、1892では「自由意志」は話題の隅にあるけれど、自由は全く問題とはされていないように思います。

micmicにとっては自由というのは、
「野垂れ死にする自由」とか、「労働者を解雇する自由」とか、「コーヒーでも紅茶でも自由にしてください」「自由意志ないしは意志の自由」とか枕詞がつかないことには肯定的にも否定的にも評価不能となり、ただファンタジーの書き割りとなるばかりなのであります。






日付Fri Sep 7 09:14:21 2007

1904

おなまえ
U子
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メッセージ
話の流れからいって、枕詞は「自由意志ないしは意志の自由」でいいんじゃないでしょうか?


日付Fri Sep 7 09:36:54 2007

1905

おなまえ
U子
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メッセージ
> しかし、90年代には京都大文学部は知っているだけでもかなりのSE、プログラマを輩出してますね。実は結構文学部向きなのかな。

手に技能を持たないカッコ付き「エリート」の格好な「受け皿」だったということでしょう。日進月歩の使い捨て技術の習得を命とする職場ですので。
カッコ付き「エリート」が外れたら「日雇い派遣」に相当するところでしょうかしらん?

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ところで、いきなり「学友会旗」の話に戻るのですが、

> いえ存知ませんでした。というより常任委員会メンバがオザワ氏から僕等の世代に代わるところで旗を使用することもなくなってしまい現物を地下で見た覚えすらなかったりするのです。

私も在学中は、ほぼ同様でした。同じ職場に、在学期間が全然かぶらないほど昔の「L常任委員長」がいて、彼から教えてもらった次第であります。
という訳で、90年代以前からも状況はあまり変わっていなかったのでした♪


日付Fri Sep 7 11:09:25 2007

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