はげましのお声、ないしは罵詈雑言ノーマル版

御芳名


おことば

準備はいいですね


1860

おなまえ
名無しの権兵衛
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メッセージ
しかしそれは違うんではないでしょうか?

日付Mon Sep 3 17:06:03 2007

1859

おなまえ
micmic
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メッセージ
今月の香山センセイのお言葉。やっぱりここは朝青龍がネタになっとります。
「この際、『うつ病一歩手前』か『急性ストレス障害』かは、はっきり言ってどちらでもいい問題です。いずれにしても今の時点ではこれと特定できるような本格的な疾患ではないが、非常に落ち込んだ抑鬱状態、ダメージを受けた状態ではある、といった程度の意味だと考えてよいでしょう。<snip>それにしてもそもそも横綱を精神科医に診せるべきだ、と言い出したのは誰なのでしょう。おそらく従来なら、禅僧だとかスポーツ界の先人だとか、”人生の達人”がまず呼ばれたはずなのに、そこで若手の精神科医にまず白羽の矢が立つのが現代、ということなのでしょうか。精神科医が引っ張りだこのこの状況、私としては決してうれしくありません。私たちはやはり、世の中の裏方でよいのです。」(SFマガジン10月号『センスオブリアリティー』)
だそうな。けれども、禅僧というのはよいね。わけのわかるようなわからんような権威あるようなないようなあたりがとてもよろしい。

ところで朝青龍はゴチャゴチャうるさい本邦を逃れて帰国できてちょっとはほっとするのかな。逃げ帰るようでクヤしいかな。ここはひとつモンゴル相撲の大先輩かなんかに勇気づけてもらってきたりするとよいのかな。

ま、いっか。う″

日付Mon Sep 3 14:53:14 2007

1858

おなまえ
micmic
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メッセージ
「ま、いっか」はパトレイバーの後藤隊長がお得意なのでファンである私としてはちょっと恥ずかしいっす。

北海道へ移住したmicmic鱈の大地に住んでいるわけではありますが、あれは結構アニサキスなんぞが元気にピクピクしていたりするので、不寛容な火焔攻撃に出てしまいます。

映画版Gone with the windのタラはジョージアの肥沃な大地を指すようだけれども、マーガレットミッチェルの意図したタラはアイルランドの聖地だそうだけれどもこちらは石がゴロゴロした不毛に近い丘陵だそうな。

Tomorrow is another day.なんぞと一発キメられてはアトがつづきませぬ。



日付Sun Sep 2 23:00:14 2007

1857

おなまえ
tomi
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メッセージ
またお久しぶり。

>その不寛容に対する態度は不寛容でいいのか

こういうところに論理の特異点があって、人に悟りを開かせたり、奈落の底に落としたりするんですよなあ。「よかった」節にもまた、「よくなきゃイカンのか?」という特異点が…

そこでワタクシ、「まあいいか」節を提唱します。
生きづらくてもまあいいか、いじめられてもまあいいか、仕事進まないけどまあいいか、矛盾だらけでもまあいいか…タラの大地があるからまあいいか。

日付Sun Sep 2 22:40:30 2007

1856

おなまえ
U子
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メッセージ
精神鑑定と精神分析は異なる概念だと思ふ....(ボソッ)


日付Sun Sep 2 22:19:15 2007

1855

おなまえ
U子
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メッセージ
8/4にKonozama....もといAmazonで注文した湯浅誠・著「貧困襲来」が、何故か1月待たせた挙句にやっと到着いたしました。
名著ですので、取り急ぎご紹介しておきますね♪


日付Sun Sep 2 22:07:02 2007

1854

おなまえ
U子
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メッセージ
> ええと、二つの観点を物理的に同一スペースに書くことが不可能だから。

それを可能にするのが、これからの社会を席巻するであろう「解離」の概念かと。
....と話題が一周したあたりで、お後がよろしいようで m(__)m


日付Sun Sep 2 22:01:00 2007

1853

おなまえ
micmic
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メッセージ
これはなかなかキビしい攻撃。困りましたね。

>何故みずからの「支える側面」ばかりを自虐的に見つめようとなさるのでしょう?

ええと、二つの観点を物理的に同一スペースに書くことが不可能だから。もしくは、「悔恨と苦痛」が専ら「支える側面」に関する話題であったからということでしょう。なお「自虐的」という判断についてはこれを共有しないので、そう見えたということだけを理解しておきます。

>自らの立ち位置を正当化なさってもいいのではないでしょうか?

とっくの昔に正当化しています。さもなきゃ退職しています。ただ、帝国を生産の面で支えているのは最底辺で搾取・収奪される労働者ときまっていますから、この国で生きているものは国籍の有無によらずその意味では有罪でありましょう。それでも生活・人生はつづく、というわけでして。退職して別の職につけばそれがいかなる雇用形態であろうとも同じ問題はもちつづけることになりますね。

>何故みずからの「エリート性」に縛られたままでいらっしゃるのですか!?

だってエリートなんだもん。非エリートぶりっこしたってアンタ、それはタダのカマトトですがな。でも、幸か不幸かエリートになっちまったからできる、わかることもあるんぢゃないかしら。

こんなものでケツまくって逃げさしてもらいます。



日付Sun Sep 2 21:42:21 2007

1852

おなまえ
U子
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メッセージ
日が変わったので、続きを。

> 今も拡大しつづける諸の悲惨を、しかし自分が支える側にあってそのことをどうにもできないってのはツラいもんがありますね。

庵主様も重々ご承知のように、ひとりの人間の中にはネオリベラリズムの現代社会を「支える側面」と「支配される側面」が同居しています。なのに、何故みずからの「支える側面」ばかりを自虐的に見つめようとなさるのでしょう?
所詮我々皆プレカリアート。我が家は失業家族ですし、正規雇用者の庵主様だって過労に起因する病を抱えていらっしゃる。とだ様だって例外では無い筈。そんな格差社会のなかでの「生きづらさ」を梃子にして、自らの立ち位置を正当化なさってもいいのではないでしょうか?

図書館で借りたのでうろ覚えですが、雨宮処凛はアジテートします。「生きづらくてよかった。いじめられてよかった。リストカット・オーバードーズしてよかった。フリーターになってよかった。」
何故なら、その立ち位置から「生きづらい同志」との連帯ができるから....「万国のプレカリアートよ、団結せよ!」
私は彼女が指し示す旗のもとに結集することをためらいません。なぜ皆さんは躊躇なさるのですか?何故みずからの「エリート性」に縛られたままでいらっしゃるのですか!?



日付Sun Sep 2 08:56:23 2007

1851

おなまえ
U子
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メッセージ
あ、そういえばマツナガも退職したって話、してませんでしたっけ(^^ゞ


日付Sat Sep 1 21:09:23 2007

1850

おなまえ
U子
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メッセージ
> でも、明日のメシは喰わにゃあならんしねえ。

そうなんですよねぇ〜(号泣)。
マツナガも私もいつになったら抑鬱から回復できるかなぞ見当もつかず、この年齢での再就職を考えるとホントにどうしようかと。まして私は「女」ってスティグマ持ちですしね〜。
んだもんで、やっぱ雨宮処凛の言説はステキだにゃ〜♪とシミジミ思う今日この頃。


日付Sat Sep 1 21:07:16 2007

1849

おなまえ
micmic
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メッセージ
不寛容のもつオゾましさについてはいまさらいうまでもないとは思いますが、それではここに不寛容があるとして、その不寛容に対する態度は不寛容でいいのか?というのは考えちゃいますね。
不寛容に対し、不寛容で臨めば絶えることのない争いがつづくこととなる。
不寛容に対し、寛容であれば、その不寛容を認めたこととなる。
そもそも不寛容でなければ、生存そのものが不可能な場合もありましょう。
おそらく一般解はないのでしょう。

そのとおり、とだの言辞は不寛容のなすワザかもしれません。しかし、それをしてとだに言わしめる悔恨と苦痛は私にはわかる。自分の活動は本当に利敵行為に過ぎなかったのか。昔、ヘルメットを被って大学解体を叫んだヤツラが、一転オピニオンリーディングにおいても、現実的生産活動においても日本帝国を中心となって支えている。一見否定的な因子を温存することで、ゆらぎと多様性を獲得しつつ全体としてより安定性を形成する資本主義の掌中で踊っていただけではないのか。

青臭いと嗤うことは簡単でも、今も拡大しつづける諸の悲惨を、しかし自分が支える側にあってそのことをどうにもできないってのはツラいもんがありますね。

とかいって、とだにアッサリ「全然ちがうよ」とかいわれたりして。それはそれで全然OK No Problem。

******
勿論運動ってのは無垢なものが有罪のものを断罪する活動ではありえなかったし、これからもありえない。ある人々にとっては抑圧されることから、ある人々にとっては抑圧せざるをえない自分自身の立場からアガきだすものであろうよ。でも、明日のメシは喰わにゃあならんしねえ。


日付Sat Sep 1 18:23:28 2007

1848

おなまえ
U子
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メッセージ
>  「京大らしさ」粉砕!全ての大学は産学協同路線のもと、自主性のかけらも一掃し、息詰まるエリート養成空間にすべし。日帝の余命は確実に縮まるであろう。

私が何故上掲の言説に強烈な嫌悪感を受けたのか、拙いながら言葉にしてみたい。

その前に、私が三里塚闘争に関わらなかった理由について述べておく。私が大学に入学した時には、既に運動は「分裂」しており、そこに見られる「不寛容」の匂いに耐えられなかった。
そして、私は上掲の言説にも、相似形の「不寛容」を感じたのだ。

京大女子寮で、女性解放運動や障碍者解放運動に関わっていくうちに、私たちは「抑圧者」「加害者」に対する不寛容が運動の阻害要因になっていることに気付いていった。
「ひとつでも『加害者』の側面を持つ人間が運動の主体となることが許されないなら、全ての差別・抑圧において『被害者』である人間――女性、かつ障碍者、かつ在日、かつ被差別部落出身、かつアイヌ、かつetc,etc....――にしか運動の主体となる権利が無いってことになっちゃう。それってナンセンスだよね?」
女子寮のホールのソファでダベりながらそんな会話を交わしたことを思い出す。

成長期に虐待を受け複雑性PTSDを罹患した私は、しばしば抑えきれないほどの私怨や逆恨みに突き動かされる。
「児童虐待を受けたことも無い癖に、苦労人みたいな口を叩くんじゃねぇっ!」
「大きな口を叩く奴等なんか皆、心を粉砕されるような虐待に遭って見やがれ!」

そして一息つき、「それは違う」って、気を取り直す。「加害者」を「被害者」に引きずり下ろしたって何の解決にもならない。そもそも「今・ここ(笑)」に居る私は100%の「被害者」でも「加害者」でもない。
そして私は「息詰まるエリート養成空間」に居たくなかったし、後輩にもそんなところに居て欲しくない。たとえ「今・ここ」の私たちが矛盾や欺瞞を孕んでいるにせよ、いや孕んでいることそれ自体が解放への道程でなけりゃ、革命なんて永久に「坊ちゃん嬢ちゃんの自己実現や自分探し」に終わっちまう。

....今日のところはここまで。



日付Sat Sep 1 12:56:57 2007

1847

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 昔の写真を探していたら、学友会の旗を、1983年6月2日の集会の写真風景で見つけました。モノクロですが、記憶では真紅の赤に、白抜きの「L」、そして、黄色の鮮やかな「三ツ星」だったと記憶します。

 レイアウトは

 Lの横に 
      ★
     ★ ★  という並びで、リッダの三ツ星が位置しています。


 写真では、縦が人間以上に大きく2mほど、横が3mの巨大な旗です。

 なお、集会は、いまでは信じられないでしょうが、吉田と熊野がいっしょにいて黒ヘルが80、緑ヘルが10、赤ヘルが40、ノンヘルが200人位で、教養部正門前を埋め尽くしていました。
 こののち、1983年3月26日の三里塚の分裂の影響で2寮の関係が崩壊し、白ヘルによる熱田派(赤ヘル)へのテロが始まるのでした。

 当時も今も、バカな分裂劇と思っていますが、1982年の反核、1983年の反中曽根、レーガン、1984年の日韓連帯の挙げ基調の中で、実につまらない争いをして、自治会運動(社会へのかかわりの興味)をなくさせるものだったと思います。
 

日付Sat Sep 1 00:59:38 2007

1846

おなまえ
micmic
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メッセージ
いえ存知ませんでした。というより常任委員会メンバがオザワ氏から僕等の世代に代わるところで旗を使用することもなくなってしまい現物を地下で見た覚えすらなかったりするのです。

しかし、リッダ闘争連帯ということならさもありなんといったところでしょう。
まあ、テルアビブ空港乱射事件と呼ばずリッダ闘争と呼称した時点である程度は連帯する気持ち、少なくとも同情する気持ちがあるわけではありますが。

さて重信メイの「秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年」をようやく入手しました。本が絶版になっていて、古本で買うしかなかったのだけれども、アマゾンはクレジットカードとか苦手なので、郵便振替などの使える古本屋にくるのを待っていると三年かかってしまいました。いまなら、300円くらいで買えるようです。


日付Sat Sep 1 00:16:26 2007

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