はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版
1650
おなまえ
micmic
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メッセージ
身贔屓かもしれないけれども、
1648>>やはり、不用意に引用を行なった私に非があったようです。
についてはU子さんは全然悪くないと思うの。
ぼくらには、部分引用は必然なわけ。
全文引用では、どこがイイタイところかわからない。
引用者が勝手にまとめれば、それが、引用元の主張なのか、引用者の(誤った)解釈なのかが、わからない。もちろん文脈無視がどうのこうのという人もいるだろうけれども、それに対しては引用元を明示することで、いったいどの文脈をどう無視したのかを説明してもらえばいいわけ。部分引用、引用元明示、可能ならリンク。そして、このリンクこそがウェブの革命だと思うのです。
ちょっと話が観念的過ぎて、よくわかんない、というのは「自然堂治療室掲示板」を見た印象でもあるのだけど、こちらはまさに印象なので、主張しようとは思わないし、ある程度「抽象的・観念的」なほうが理解が進むケースはある。具体的過ぎてどこがポイントかよくわからない、というのもちょくちょくあってね。
それはさておき、
たしかに、
1635>>私に残された心的外傷を回復する為の心理療法を行なっています。
よりは
1640>>具体的には「被害者が泣き寝入り」していた状況から、「被害者が自己主張できる」状況への変化をめざします。
のほうが、ステキですね。
日付Mon Apr 2 21:18:47 2007
1649
おなまえ
U子
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メッセージ
重箱隅ですが、1ヶ所指摘させてください。
> 「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」とは「心的外傷を回復する為の心理療法を行なって」いくこと、でよろしいですね。
『「心的外傷を回復する為の心理療法を行なって」いくこと』
でも間違いではないのですが、後付けで追記した
『「被害者が泣き寝入り」していた状況から、「被害者が自己主張できる」状況への変化をめざします。』
の方が、より具体的かと思われます。
日付Mon Apr 2 20:41:47 2007
1648
おなまえ
U子
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メッセージ
> 要するに、「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」に個別の課題ごとにどういう具体的内容をもりこむか、が問題です。そして、1630からはそこに如何なる具体性も読みとれなかった、というのが観念的・抽象的なはなしだナアとmicmicが思った理由です。
確かにそうですね、納得いたしました。
ただ、カウンセリングの場は「超・高度にプライベートなエピソード」で成り立っています。その為、具体的な例を挙げる為には、厳密な匿名性の確保が必要となりますね。恐らく、筆者はそこまで手をかける必然性を持たなかったのでしょう。
というより、もともとBBSのやりとりの文脈の中で取り交わされた文章なので、単純に一部を切り出して引用したら、理解に苦しむのは当然でしょう。やはり、不用意に引用を行なった私に非があったようです。以降は留意しますので、ご寛恕くださいませ。
日付Mon Apr 2 20:16:01 2007
1647
おなまえ
U子
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メッセージ
「あらビックリ! Ay ya」の全項目を読了。
なんて面白い!目からウロコが数知れずハガレ落ちました♪
素晴らしい体験を有難うございました!!
ところで「Ay ya」向きの記事を見つけましたので、ご参考までに引用いたします。
以下、ジュディス・L・ハーマン著「心的外傷と回復<増補版>」第一章よりの引用です。
---- 引用:ここから -----------------------------------------
一八九六年前後には、フロイトは、ヒステリーの源泉を発見したと考えていた。十八例の症例研究にもとづく論考『ヒステリーの病因』において、フロイトはめざましく宣言した――「私は、いずれのヒステリー症例の基底においても過早な性的体験が一度あるいは二度以上生起しており、(中略:U子)」というのである。
一世紀たった今となっても、この論文は、幼少期の性的虐待の遠隔作用に関する現代の臨床記録にひけをとらない。
(中略:U子)
ところが、『ヒステリーの病因』の出版はこの線に沿った探求の終焉を記すのである。はやくも一年以内にフロイトはヒステリーの原因の心的外傷説をひそかに斥けていた。フロイトの書簡集を読めばフロイトが自分の仮説の社会的な意味合いの急進性にたじろいでゆくのがわかる。ヒステリーは女性にはありふれた病気であるので、かりに患者の語るところが真実であり、彼の説が正しければ、彼自身のことばを使えば「幼小児に対する倒錯行為」というものが蔓延しているという結論にどうしてもなってしまう。それもヒステリーを最初に研究したパリの無産者層だけならともかく、目下繁栄中のウィーンのご立派なブルジョワの家庭においても蔓延していることになってしまう。この考え方は断然まちがっている。信じられるものではとうていない。
ジレンマに直面したフロイトは自分の女性患者たちの話に耳を籍すことをやめた。
(中略:U子)
ヒステリーの心的外傷説が廃墟と化した中から、フロイトは精神分析を創始したのであった。二十世紀の心理学理論の主流は女性たちの現実を否認した、その上に築かれたわけである。セクシュアリティは依然問診の中心的位置にあったが、現実に性関係が持たれた虐待(搾取)的な社会的コンテクストは完全に無視されるようになった。(中略:U子)二十世紀の最初の十年間に、フロイトは自分の診ているヒステリー患者たちの訴える幼少期の性的虐待の物語はウソであると決めつけ、しかも患者たちの虚偽の訴えというものを臨床的に具体的に記載することは一切していない。「私はついにこれらの誘惑のシーンは実際には全く起こっていないこと、私の患者たちがでっちあげたファンタジーにすぎないことを認めざるを得なくなった」
(中略:U子)
このことを理解しようと思えば、まず、この研究をさせるように促した知的および政治的雰囲気を理解しなければならない。
(中略:U子)
これらの科学者たちは自分を善意の救助者で女性をその低い水準から引き上げる者と思っていたが、男女の社会的地位が平等である世界など片時も思ってみたことさえなかった。女性は研究して人間らしくケアする対象であって、固有の権利を有する主体であるべきではなかった。ヒステリーについて啓蒙的な見解を擁護するその同一の人物がしばしば、女性の高等教育機関への進学、専門職への加入を認めず、また女性の参政権に断乎反対している。
---- 引用:ここまで -----------------------------------------
日付Mon Apr 2 19:56:23 2007
1646
おなまえ
亀レス常習犯のmicmic
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メッセージ
>>返答を待つのにくたびれたので、
すいませんが、少なくとも、ウェブではmicmicは返答を考えても大抵の場合、丸一日くらいは、ああでもない、こうでもない、あとでまた考えよう、などとやってますので、即日の反応は期待しないでください。
日付Mon Apr 2 19:27:33 2007
1645
おなまえ
U子
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メッセージ
> すいませんが、よくわからない、というのが感想です。つまり、いったいこの話は、抽象化する以前に、
> どういう事件があって、
今になって気付いたのですが、ひょっとしてmicmic様は「複雑性PTSD」について御存知ないのでしょうか?
万が一そうでしたら、wikipediaの該当項目を御覧になるだけで、疑問の殆どが解けるのではないかと存じます。
もし御存知でしたら、余計なお節介をご勘弁ください(常識の範疇ですものね)。
日付Mon Apr 2 19:22:39 2007
1644
おなまえ
一日たつてみてみるとどれが答えるべきことだったかわからなくなったmicmic
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メッセージ
これは、イタい経験を蒸し返させるような無粋なマネをして申しわけありませんでした。
それで、ようするに
1630>>私が言いたいことを代弁してくれるような台詞
とは
>>「被害者の立場に立つ」とは
>>被害者とともに、加害者に復讐すること
ではなくて、
>>被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆくのを援助すること
である。
ここで、解釈が割れそうな、「被害者の立場に立つ」とは「被害者が被害者である苦痛からのがれるのを援助すること」である。
そして、「加害者に復讐する」とは「彼等が私の苦痛以上の苦痛を受け、私の恨みを思い知ること」であり、(1635)
「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」とは「心的外傷を回復する為の心理療法を行なって」いくこと、でよろしいですね。
そういうことならよくわかりました。おっしゃるとおりだと思います。
これが例えば、ルワンダ内戦の大虐殺の被害者の場合、隣人である加害者に対し、大虐殺して返すというのが、復讐だとすると、虐殺の記憶は忘れはしないが、それでも隣人として同じ土地でともに生活するというのが、被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆくというわけですね。
しかし、難しいのは「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」の内容です。例えば、日本軍による中国民衆への虐殺なんかを考えた場合、復讐として大虐殺をしかえすとか、高額の賠償を請求するという道ではなく、「怨みに報いるに徳をもってす」とした、中華民国・中華人民共和国「政府」判断とかでしょうか。
しかし、「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」と称し、「未来志向の関係を構築する」と称して、当の虐殺の実行者遂行者を神と祭ってあがめて、果ては大虐殺は無かったなどと強弁するというのはちょっと頂けないでしょう。
要するに、「被害−加害関係という関係性そのものを、打破してゆく」に個別の課題ごとにどういう具体的内容をもりこむか、が問題です。そして、1630からはそこに如何なる具体性も読みとれなかった、というのが観念的・抽象的なはなしだナアとmicmicが思った理由です。しかしながら、その具体部分はU子さんと、カウンセラー氏のあいだでは共有されているわけなのですから、micmicにはそれ以上に語るべきことは何もないのでした。
日付Mon Apr 2 19:22:33 2007
1643
おなまえ
U子
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メッセージ
No.1572(2007/3/9)の、micmic様の書きこみにコメントを付けさせて頂きます。
> ううむこう、言葉にしてしまうと何かちがうような気もする。でも、傷無し人間なんかまずいないことだけは確かでありました。
私もそう思います。
ご承知のように、「傷」によって発生するPTSDを治癒させる為には、専門家のケアが必須です。そして、「傷」に対して適切なケアをしなかった人たちの中で、解決しなかった「ルサンチマン」が堆積し、ひいては「加害者」へと変貌を遂げていくのではないかと思います。
鬱病の社会問題化に伴い、カウンセリングが「これから繁盛する商売」であることは明白です。そして、資格が不用なゆえに「看板を上げさえすれば、誰でも何時からでもカウンセラーになれる」という現実もあります。それを見越して世にあふれるカウンセラーさん達の中で、その「社会的な意義」を認識している人がどれほど存在すると思われますか?
日付Mon Apr 2 19:13:16 2007
1642
おなまえ
U子
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メッセージ
No.1572(2007/3/9)の、micmic様の書きこみにコメントを付けさせて頂きます。
> ううむこう、言葉にしてしまうと何かちがうような気もする。でも、傷無し人間なんかまずいないことだけは確かでありました。
私もそう思います。
ご承知のように、「傷」によって発生するPTSDを治癒させる為には、専門家のケアが必須です。そして、「傷」に対して適切なケアをしなかった人たちの中で、解決しなかった「ルサンチマン」が堆積し、ひいては「加害者」へと変貌を遂げていくのではないかと思います。
鬱病の社会問題化に伴い、カウンセリングが「これから繁盛する商売」であることは明白です。そして、資格が不用なゆえに「看板を上げさえすれば、誰でも何時からでもカウンセラーになれる」という現実もあります。それを見越して世にあふれるカウンセラーさん達の中で、その「社会的な意義」を認識している人がどれほど存在すると思われますか?
日付Mon Apr 2 18:25:03 2007
1641
おなまえ
U子
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メッセージ
相当旧いですが、No.1536(2007/2/9)の、とだおっとせい様の書きこみにコメントを付けさせて頂きます。
> つまり、病むということは、普段は社会に生きる人間が負う義務を免除されること、
> 社会の「流れ」から離脱することを許され、
> なるべく早い時期に社会に復帰するために、
> 心身を復調させることに専念することを許されることなんだあと、思ったわけです。
そのような意味も否定いたしません。
しかし、私には、木村敏が「『生命のかたち/かたちの生命』生命との関わり」(1992年)で、下記のように述べている方に親和性を感じます。
---- 引用:ここから -------------------------
他のどんな分野の医学についても言えることだけれども、患者は行きているから、生きなければならないから、病気になるのである。病気とは、生きていることのこの上なくすぐれた一つの表現形態なのだ。患者は自分の人生を生き、自分の生活を生き、自分の生命を生きている。生きにくい人生を生きようとするところから無理がくる。彼が他人との関係で苦しみ、自分自身との関係で悩み、周囲の世界との関係で途方にくれるのも、彼なりに無理を承知で懸命に生きようとしている生きかたなのだ。
このような患者の生きかたに密着して、その病気の生命的な意味を、生きかたの一形態としての病気を捉えようとするならば、観察者の側でも自らの行為――それは当然治療行為ということになる――によって、その行為自身に内在する感覚――いわば治療感覚――でもって、患者との関係そのものを自らのこととして生きなくてはならない。このような治療感覚で患者を見るということは、主体として生きている患者を主体の立場から見るということである。(中略)精神病の治療目標はもはや個々の症状の消去ではなくなって、患者が――ときには症状を持ちながら――主体的に生きていく努力の援助ということになる。
---- 引用:ここまで -------------------------
日付Mon Apr 2 13:24:52 2007
1640
おなまえ
U子
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メッセージ
こちらも修正しておきましょう。
> 加害者のそれがどう変化するのか
被害者の治療中は、原則として加害者との接触を一切絶ちます。
「安全な場所」を確保しないと、治療効果が上がらないからです。
治療が完了した暁には、被害者から加害者に対しての接触が再開されるでしょう。
具体的には「被害者が泣き寝入り」していた状況から、「被害者が自己主張できる」状況への変化をめざします。
それによって、間接的に加害者の行動・感情が変化することが予想されます。
日付Mon Apr 2 09:08:06 2007
1639
おなまえ
U子
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メッセージ
以下について、さらに補足を加えておきましょう。
> その結果として、被害者の社会的精神的状況がどう変化し、
>
> 心理療法を受ける以前には、殆ど全ての他者を「敵」「味方」に二分せざるを得ませんでした。
> そして「味方」は1〜2名程度しか居らず、残り全てを「敵の候補者」と認識しておりました。
>
> 心理療法により、その考えが徐々に弱まり、中間的な存在を認められるようになりつつあります。
最終的には、
「その都度ごとに相手との関係(あいだ)を見極め、適切な関係性を持てるようになること」
を目指しています。
例えば現在は、同一人物に対しても
・友好的な雰囲気の時は「味方」
・敵対的な雰囲気の時は「敵」
と黒白つける「2項対立」的なラベリングを行なってしまいます。
それを
「この人は、ただ『この人』としてここに居るんだ。
ただ、今この瞬間は私と友好的or敵対的orその他etcな関係を持っているだけなんだ」
と認識できるようになるべく、心理療法を重ねています。
日付Mon Apr 2 08:07:39 2007
1638
おなまえ
U子
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メッセージ
返答を待つのにくたびれたので、暇つぶしにもう1ヶ所マイナーチェンジします。
> その結果、境界性パーソナリティ障害に至りました。
「境界性パーソナリティ障害」を「複雑性PTSD」と変更させてください。
症状はほぼ同じですが、概念がかなり異なります。
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「さあ思い切り私の頭を砕いて。
そして私を見合う地獄に連れて行って。」
(「ひぐらしのなく頃に『目明し編』」より(笑))
日付Sun Apr 1 22:22:51 2007
1637
おなまえ
U子
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メッセージ
もう1件補足しましょう。
> > どういう事件があって、
>
> 幼少地から高校卒業までの間、実母に精神的・肉体的虐待を、実兄に性的虐待を受けました。
> その結果、境界性パーソナリティ障害に至りました。
それに加え、就職後、男性の同僚からレイプ未遂を受けました。
かろうじて逃げ延びましたが、逆恨みされ、社内に「U子は性的に放埓だ」という噂を流されました。
日付Sun Apr 1 21:22:29 2007
1636
おなまえ
U子
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メッセージ
以下について、もう少し補足しなければなりませんね。
> その結果として、被害者の社会的精神的状況がどう変化し、
心理療法を受ける以前には、殆ど全ての他者を「敵」「味方」に二分せざるを得ませんでした。
そして「味方」は1〜2名程度しか居らず、残り全てを「敵の候補者」と認識しておりました。
心理療法により、その考えが徐々に弱まり、中間的な存在を認められるようになりつつあります。
日付Sun Apr 1 20:38:52 2007