はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版
1425
おなまえ
micmic
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メッセージ
ううむ、スパムな書き込みを許しまくってますが、今度はもっとべつの対策してみました。というわけでテスト。過剰防衛になってしまって、まっとうな書き込みができなかったかたはmicmic@satani.orgまで教えてくださいね。
日付Sat Mar 25 11:35:05 2006
1424
おなまえ
micmic
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メッセージ
いやわたしの知っている物々交換復活はたとえば98年ロシアとか、ようするにハイパーインフレの結果として貨幣の信頼がなくなり、そんな危険なものをもつよりは安全な物品でバーター取引したほうが安心だというわけでして。崩壊したのは取引手段のほうではなくて、貨幣がシミュラクルたりえなくなったというわけでした。
しかし、その他でもバーター取引そのものはそれなりに機能していますから、貨幣が絶大な信頼をおかれていないような局面を想定すれば、物々交換もあながち過去の遺物ではないということでして。
物々交換の復活といっていいのか、異論ありそうなのには、日本中世の貫高制(貨幣)から、近世の石高制(物品)というのもあるけれども、これはべつに米だって貨幣たりうるよ、とみることも、たんに農村への税制と官僚への給付にだけおこったことで全体としての貨幣経済の進展には無関係とももうせます。
日付Thu Mar 16 21:41:49 2006
1423
おなまえ
蓑
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メッセージ
>貨幣そのものが消えて物々交換になったってのがあるんすけれども
あ、これ面白い。情報資本主義において、銀行の決済機能が一時的に停止したり、はたまたバックアップそのものがコンピュータウイルスで消失したときには、物々交歓が復活するのかしら。
そういうときに定価商売にならされたわれら日本人は、多対多のリバイアサン状況でうまく物々交換を乗り切れるのだろうか?
うまく乗り切れたとしても、そこに名古屋人と大阪人の値切りのお作法が出現すると、はたまた混乱が。でも、貨幣で表象できないと大阪人は「はい、おつり、100万円」のギャグがいえなくて、意気消沈するかも。
出張先から。こういうサイトやSNSは、メールが使えないときは便利ですね。
日付Wed Mar 15 00:58:56 2006
1422
おなまえ
micmic
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メッセージ
でも、フラクタルにはいかなる特異点もなく、株価ラインをフラクタルとして見るのであれば、その暴騰部分も、暴落部分もまた、通常の部分でしょう。
恐慌については、それは株価ないしは信用に基く諸商品の暴落として出現するけれども、貨幣そのものを危うくする例がそんなにあるわけじゃない。いやタマには貨幣そのものが消えて物々交換になったってのがあるんすけれども。しかし、資本主義経済と呼ばれるような経済にはほぼ必須の恐慌ではありますが、すべての貨幣経済に必須というわけではない。いわゆる社会主義でもよろしいし、もっと前近代のものを例としてもよい。バブルの嚆矢はオランダのチューリップバブルを嚆矢としますが、株式会社の誕生がその直前であったのは偶然ではありません。
ようするに不換紙幣はシミュラクルの好例であっても、唯一の例ではないし、交換価値の暴落として出現する恐慌は貨幣そのものの破綻ではない。結局のところ、フラクタルとシミュラクルのベクトルのずれは180°ではなく、90°くらいのような気がします。
日付Tue Mar 14 15:23:25 2006
1421
おなまえ
蓑
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メッセージ
リニアとおもっていたのが突然、崩れるカタストフィちゅうやつもありまっせ。
特異点の近傍までは線形なんです。
フラクタルは葉脈や血管、海岸線といった一見無秩序の秩序性を示し、シミュラクルは、金からときはなたれ貨幣という純粋体系に結実するが、しかし、純粋ゆえに恐慌という無秩序をときに発現する。とすると、この二つは、方向がぎゃくな概念装置なんですかね?
日付Tue Mar 14 07:15:35 2006
1420
おなまえ
micmic
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メッセージ
いや、シミュラクルのほうはよろしいのです。べつに兌換紙幣であろうとも今度はオリジナルであるはずの正貨である金・銀のほうが、その使用価値と交換価値に別次元の開きがある。つまり、存在しない価値のコピーとしての貨幣であって、けっしてオリジナルとしての金・銀ではないのですから。
そうではなく、このオリジナルなきコピーの存在はカオスではなく、コスモスとして存在している。無秩序ではなく、むしろ貨幣体系にせよ、美術体系にせよ、秩序を構成しているわけでいっそ線形にちかい。
いっぽうのフラクタルのほうはこれは無秩序のもつ特性を示している。ようするに数学とかコンピューターサイエンスのほうではカオス理論の脈絡で登場するもので、その非線形性に本質が存在するわけで。ようするに、シミュラクルが問題なのではなく、いったいどこがフラクタルと関係するのか、が全然わからないのでした。
日付Mon Mar 13 22:29:44 2006
1419
おなまえ
蓑田植
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メッセージ
書いた段落が飛んじゃいましたが、まあ、いいです。不換紙幣は国家の発行する贋金であり、しかし、ボードレールはパリの憂愁だったっけ、乞食に贋金をめぐみますよね、逮捕されるのを見越して、そのとき贋金は交換の体系からきなはなされ、たんなる贈与の対象となる。しかも偽りの贈与で慈善家の地位をえようとする。
またアンドレジードの小説にも贋金作りがあって、これは、ジードはもちろん小説家だけど、この小説の主人公も「贋金つくり」という小説を書いている、つまり、貨幣と小説の芸術性(オリジナル/コピー)の構造を、自己言及的にあがこうとしていた。いやジードにいたっては、まさに入れ子構造のいなったいる。
というのが、オリジナル/コピー、フラクタルの相同性を誤解する/理解するきっかけでした。そのご、そんなことはあまり考えなくなりましたね。
日付Mon Mar 13 01:45:36 2006
1418
おなまえ
蓑田植
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メッセージ
ごっつい、乱暴な発想ですが、手許にもう20年前の読書ノートがないんで適当にいいますと、
オリジナルとコピーの話は、複製技術時代の芸術として「アウラ」(現前性だったっけ)の消失に起因するが、しかし、オリジナルとみわけがつかないコピーになんら非がないのであるから、コピー時代には、オリジナル性が芸術の価値でなく、コンテンツのパッチワーク・ブリコラージュ・モンタージュに芸術性をみようというベンヤミンちゃんの言葉がまずもって先にある。
次に、貨幣の問題。金の兌換姿勢として紙幣があったときはまだ、オリジナルとコピーの区別がついたが、兌換制を放棄した後、貨幣の「アウラ」はなにか。パラフレーズして、海岸線・葉・雪片といったフラクタル構造もまた、その形の絶対的な階層は特定できない。自己言及性というのかな。そんな発想が、20年前のぼくにはシミュレーションとフラクタルを近似なものに見せてくれました。
適当な理解ですよ。
ルパン三世や、黄金の7人が、印刷局で贋金つくりをするストーリーはどきどきしました。その意味性に眩暈を覚えます。
日付Mon Mar 13 01:27:37 2006
1417
おなまえ
micmic
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メッセージ
>>フラクタルとタカダワタルを架けている
ってその橋渡し(架橋)は語末の「タル」だけやおまへんか。
事ここにいタルと、みのさまのバイタルな想像力のトータルな発露はわたくしの思いあタル範囲を大きく逸脱しておしまいになり、これではタルコフスキーも真っ青、すっかりみのさまリサイタルというに足る状況ではございます。
けれども、シミュラクルっていうと
現代用語の基礎知識2001年版 ◆シミュラクル(仏 simulacre)〔外来語年鑑2001年〕像。皮相。
ということでまあ、どっちかというと日常語なのだけれども、ボードリヤール先生にかかるとちょっと用語みたくなっちゃうわけで、たとえば美術批評なんかには
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実体を欠き、外観のみを有する「模像」。J・ボードリヤールによって有名になった。彼によると、消費資本主義社会において、流通する諸記号はオリジナルとそのコピーというプラトン主義的な対概念から解き放たれ、シミュラクルとして加速しつつ循環するようになる。この論理は生産から消費へという、より広いコンテクストの下で展開され、シミュレーションにおける現実が主題化されていた。美術においては、1980年代におけるポップ・アートの捉え直しにおいて、 J・クーンズなどの作品がまさにこうした問題圏を共有していたため、ときにシミュレーショニズムと呼ばれる。しかし、一般には単なるコピーと混同され、「オリジナルが欠落していること」のもつ問題性が軽視されているきらいがある。シミュラクルが失墜させるのはオリジナルそのものというよりは、むしろオリジナルなものとのつながりが保証されていた理想的なコピーの真正性である。貨幣をめぐる現代の諸問題に典型的に現われているように、さまざまなコピーどうしの識別基準が失われる可能性が問われているのであり、このことは「芸術」という語のもつ「信用」の問い直しを促しているのである。
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なんぞとあるけれども、アタマ悪いmicmicはこれとフラクタルのつながりがやっぱり全然わからないのでありました。
日付Sat Mar 11 11:09:29 2006
1416
おなまえ
蓑田植
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メッセージ
そや、シミュレーションとフラクタルの合体のようなかんじで、ボードリヤールの「シミュラクル」というのがあったですね。まだシミュレーションという英語がはやるまえに、法政大学出版の本をシュミで読んだおかげで、シュミレーションといういい間違いは絶対できなくなりました。
日付Sat Mar 11 02:58:16 2006
1415
おなまえ
蓑田植
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メッセージ
>■株が面白いのは、フラクタクル人生っていう感じがあるからだ。
これって、フラクタルとタカダワタルを架けているものだとおもってました、山口昌哉の弟子です。いいじゃないですか、おっとせい用語にしたら。そういやあ、つげの「メメくらげ」は、もともと「××くらげ」と書いたのに、ガロの編集者が勘違いをしたのがはじまりで、そのおかげで、メメクラゲが大人気になったとさ。
そういやあ、最近、戸田が釈放されたり、戸田が文春でたたかれたり、大活躍ですね。二人とも知っているだけに面白い。
>シュミレーション
この言葉や、てっこんキンクリートを発明した奴は、偉大だ。
日付Sat Mar 11 02:48:04 2006
1414
おなまえ
とだおっとせい
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こっちにはまだありそうだ。
本やCDは、見つけたら即買いしないと消えてしまう世の中ですな。
http://www.bk1.co.jp/search/search.asp?kywd=%92%DF%83P%92J%90%5E%88%EA&srch=1&Sort=za&submit.x=44&submit.y=11
日付Fri Mar 10 23:39:25 2006
1413
おなまえ
micmic
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メッセージ
鶴ヶ谷真一のエッセーが何だか楽しい。
でも新品でハードカバーで買うのもナンだし、ブックオフにでるか文庫になってから、と思っているんだが、
どうも消えてしまいそうである。
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ある日、中学生の綺堂と書記官アストンは連れだって神田神保町を散歩して、現在のすずらん通りにさしかかった。あまりに町が汚いことを恥じた綺堂が、「ロンドンやパリには、こんな汚い街はないでしょうね」というと、アストンはうなずいて、「シンガポールや香港にも少ないでしょう」といった。すぐにつづけて、「私は、日本の街を歩くことを好みます。そこにはロンドンやパリはもちろん、シンガポールや香港にも見出されないような、大きな愉快を感ずることができるからです。それは途中で出逢う人、――男も女も、老人も子どもも、みなチャーフルな顔つきをしていることです。どの人もみな楽しいような顔をして歩いています。こればかりはおそらく他の国には見出されますまい。それを見ていると、私も自然それにつりこまれて、おのずから愉快と幸福とを感じます。(中略)」といった。さらにことばを継いで、「東京の街はいつまでもこのままではありません。街はかならず綺麗になります。路もひろくなります。東京は近い将来、かならず立派な大都市になることを私は信じて疑いません。しかしそのときになっても、東京の街を歩いている人の顔が今日のようであるか、それは私にもわかりません」。そういって、アストンは悲しむように低い溜息をもらした。明治二十二年に日本を去ったアストンは、『日本書紀』の英訳、『日本文学史』『神道』という著作を残している。少年時代に耳にしたこのアストンの一言が、のちの綺堂の生き方に何らかの影響を及ぼさなかったはずはない。
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日付Fri Mar 10 20:05:20 2006
1412
おなまえ
micmic
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メッセージ
実は用語の思い違いというのは結構やるほうなので、ちょっと不安になって、googleで検索してたら、
こんなのにヒットした。
ただのtypoといえばそうなんだが、ううむ、なんか凄いぞ高知大学。
以前stereotypeを「ステロタイプ」と書いてあるのを見てやっぱり不安になって辞書をみるとわりと古めの訳語ではそういうらしく、
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日本語辞典(現代国語、外来語) ◆ステロタイプ
⇒ステレオタイプ.
ステレオタイプ《外》
[stereotype][〜な](1)【印刷】鉛版.組みあげた活字を紙型にとり,鉛を
流し込んで作った複製版.なまってステロ版とも.〈明〉★1725年英国のジェッ
ドが石こうを使う方法を始め,1829年フランスのジュノーが紙型を発明.(2) 紋切
り型,決まり文句.決まりきっていて変わりばえのしない表現や行動様式.ステ
ロタイプとも.〈現〉
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とあった。あ、「ステロ版」そういう言い方したよなあ、と妙に感心したりして。安直に辞書だの百科事典だのガンガンひけるあたりパソコンというのは便利である。
日付Fri Mar 10 19:28:36 2006
1411
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
おおご指摘ありがとう。シュミレーションとシミュレーションみたいな素朴であほな間違いであります。
内容においても雰囲気で適当に書き散らしました。確かにフラクタルじゃないですねえ。
投資行動は、特にアマチュアにとっては日々の生活の中のごく一部を構成するに過ぎないけれども、そこで体験する浮き沈み、ドキドキ感は、人生とか生活というもっと大きなモノのミニチュアだなあ、というニュアンスのつもりでした。
どういえばいいんでしょ。やっぱりミニチュアとか類似とか、自分でよく分かってる用語を使えば良かったな。
1410はコピペして、1411とともに日記に貼らせていただきます。
日付Thu Mar 9 23:59:22 2006