はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版

御芳名


おことば

準備はいいですね


1305

おなまえ
蓑田
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メッセージ

>白州次郎といいますと、武相荘のことでしょうか。これはまさに邸宅というべき豪
>華な農家建築であります。さすが裕福な階級の人は豪壮ですね。傷んでいたとはい
>え、もとの家のつくりが500年建築というか代々の家なんですね。
>わたしの感覚ではこの建物はいかなる意味でも「掘っ立て小屋」とは呼べません。

 東京ライフのときに、川崎からR.246で町田の「武相荘」にいきました。おれの島原にある、祖父母の田舎の家(昔大地主だった)に比べれば、まだ、作りは甘いな、と思いました。もちろん、武相荘は高山郷の茅葺には及ばぬ。手入れをして、見せるようにきれいにしただけで、昔の写真だと、もっとぶっきらぼうな家屋でしたよ。さらに、クーラー付のマンション生活の上田家には、快的さの面から個人的には飯場の小屋と同類項に感じました。蚊が多そうな家だった。蚊帳でも張るのかしら。

 たしかに、「掘っ立て小屋」には当たらず、むしろ、大河内伝次郎の山荘に近いかもしれない。でも、戦争中、白州夫妻が、当時、小田急も通らない鶴川の田舎で帰農生活をしていたというのが、趣味として好き。当時の感覚では、イコンとしての「掘っ立て小屋」に引きこもる覚悟でしょう。戦争嫌いだし。


日付Thu Jun 16 01:22:15 2005

1304

おなまえ
micmic
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メッセージ
いやわたしのけいじばんに関する限りスピードは不要です。庵主からして、一週間以上の亀レスあたりまえですから。おたくに関してはwikipediaのおたくの項が詳しい、というか妥当なかんじがするけれども、さすがパロール、ほんとに使用者によってじつにさまざまな定義と価値づけあっておもしろい。うかつに公衆の面前で「おたく」と書いたり喋ったりすると予期せぬ多種多様のメッセージを発話者の意図と関係なく喋ってしまうわけだなあ、としみじみいたします。
そういえばwikipediaには件の電車男も掲載されてますね。おやま、舞台でもやるのね。


日付Tue Jun 14 00:24:35 2005

1303

おなまえ
小麦
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メッセージ
気づいたのが遅くてごめんね。
そもそも「電車男」に関して言えば、アキバ系オタクの中の何属かが、明示されないまま、話が進んでいくんですねー。たぶん、アニメ系なんだろうと(服装や部屋のポスターから)類推できるんだけども、彼女に「マトリックス」を強烈に勧める物言いなんかは、かなりの映画オタクでもありそうだし、かつ、彼女の家のパソコン(デスクトップの古いやつね)の機種名(忘れた)を上げて、「古典的な名機です」とどとーのように解説し始め、それで、「今度一緒にパソコン選んでください」という彼女の誘いに舞い上がってしまう。どうやら、アニメとかSFとか、映画とか、メカとかパソコンとかあちこちの事象にくわしくて、女に詳しくない人のことを、この映画制作者たちは「オタク」と定義しているらしいのです。
で、私は自分のページに書いたような感想を抱いたわけさ。都合よく一般受けしそうな「オタク」だこと、と。
実際にはアイドルと鉄道とパソコンが平行しているオタクもいるから、別にありえない、とはいいませんが…。

日付Mon Jun 13 22:14:09 2005

1302

おなまえ
micmic
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メッセージ
白州次郎といいますと、武相荘のことでしょうか。これはまさに邸宅というべき豪華な農家建築であります。さすが裕福な階級の人は豪壮ですね。傷んでいたとはいえ、もとの家のつくりが500年建築というか代々の家なんですね。
わたしの感覚ではこの建物はいかなる意味でも「掘っ立て小屋」とは呼べません。
でもようやく、感覚のズレがどこにあったかわかりました。

日付Mon Jun 13 21:46:07 2005

1301

おなまえ
micmic
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メッセージ
いや申しわけない。建築基準法がどうこうというのでなく、ただ日常の語感として、掘っ立て柱のない掘っ建て小屋というのは車輪のない車と同様の奇異な雰囲気がするのです。あくまで日常語の範囲でこんな雰囲気だと思います。しかし、人によって語感はさまざまということでしょう。

新辞林・ワープロ漢字辞典 ほったてごや【掘っ建て小屋】
ほったてごや【掘っ建て小屋】
掘っ立て式で建てた,急造の粗末な建物。

広辞苑第五版 ほったて‐ごや【掘建て小屋】
ほったて‐ごや【掘建て小屋】
礎石を置かず、柱を直接地に埋めて建てた小屋。粗末な家。

岩波国語辞典 ほったて【掘っ建て・掘っ立て】ほったて【掘っ建て・掘っ立て】
土台を置かず、地面を掘って直接に柱を立てること。「―小屋」「―柱」

だから、飯場のプレハブとか極端なはなしモンゴルのゲルとかのような掘っ立て柱をもたない住居はけっして「掘っ立て」とはいわないのですが、(少なくとも私のいった現場ではけっして言いませんでしたが、)そちらではいうのですね。

>>粗末」な家に住んでいた時代のすべてが、日本人が猛々しくなる

もちろんこんなことは言ってません。日本人のすべてがとか日本人だけがとかそういうことは申あげたタメシがございません。この手の全称命題でなにごとかが記述できれば、それは大発見でございます。通常の文章は存在命題でございます。じつは職業病でして、「原文に勝手にこの手の副詞が挿入してある選択肢は、まず九割がた誤答とみなせ」などとゴーインな指導をしております。そもそも「日本人」が限界定義不能なので全称命題は無意味でございます。ただし存在命題はいくらも可能です。

ただ、何も大陸に攻めこまなくても、蝦夷に対し継続的におこなわれた侵略とか、内部の賤民に対する迫害とか、武士団の横暴とか、日本人の集団の猛々しい呵責なさは枚挙にいとまがない。もちろん信長・秀吉といった武士集団の一揆など平民に対するそれは特筆に価しますが。しかし、もちろん日本人だけではありえない。この手の集団の暴虐は世界史でも一種普遍的と呼べましょう。

ようするに「貧しい⇔豊か」、と「モーレツ⇔ゆったり」とは直交する概念であって、さほどの相関性はないのではないかしら。



日付Sun Jun 12 10:54:01 2005

1300

おなまえ
蓑田
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メッセージ
>粗末な小屋にようやく住んでいた日本人がしかし、大勢集ったときの猛々しさ、呵
>責なさは歴史の証明するところではないでしょうか。一銭五厘で刈り出されて、軍
>組織にエラい目にあわされつつ、中国・朝鮮その他アジアの国々で現地の人をエラ
>イ目にあわせたのじゃあるまいか。いやもっと前でもよい。何なら、秀吉の朝鮮出
>兵くらいまで遡ることもできるでしょう。ふんどし一丁で大刀振り回す蛮族、これ
>こそわれらがご先祖さま。

 なにか1299で、板が暴走したみたいだ。続いて書く。

「粗末」な家に住んでいた時代のすべてが、日本人が猛々しくなるというのは、暴
論でしょう。過去、倭の国が勘違いをおこそいて大陸に喧嘩を売ったのは、聖徳太子と、和寇の連中と、秀吉、大日本帝国の4つで、他の時代は、貧しかったからと言って植民地分割戦争に走っていない。
 僕がイメージする「掘っ立て小屋」とは、イギリス流のカントリージェントルマン、たとえば、白州次郎が、太平洋戦争中に疎開した鶴川ですごした農生活のようなイメージだ。今後、人口が減り、家族数が増えると、住居があまってくる。それをなげくのではなく、社会資本、それも、カントリージェントルマン生活の基礎として考えると、良い使い方ができるだろう。それは、建築基準法で言う「掘った小屋」構造ではなく、また、古来からの日本の「田」の字の入母屋住宅ではないかもしれないが、比ゆとしての「掘っ立て小屋」。僕も、9歳までは、親父のダム工事に連れられて、飯場生活を体験したからわかるが、昨今の掘っ立て小屋は、プレハブ総二階の「飯場」を指すことは多い。イメージする「掘っ立て小屋」は、昔ながらの茅葺がよいが、これは、今では贅沢品になっている。

 中央の政治・経済から、一歩はなれた場所で自律して生活し、何か、あれば物申すようなディタッチメントの位置がよいかな、と考える。あまり、BRICSがどうのこうのとか、ムーアの法則で半導体サイクルがどうだとか、に振り回されないのが良いんだが。いやおうなく、世界がつながったせいで、原油の値上がりが続き、中国の人民元の問題が、常任理事国問題にまで、つながり、カシミヤの流行がモンゴルの砂漠化を助長する。ほんとうに、いまこそ、赤軍の世界同時革命の情勢になってきた。どこかの亀裂が、全体をいっぺんさせるだろう。都市生活者は、気が気でない。

日付Sun Jun 12 02:10:52 2005

1299

おなまえ
名無しの権兵衛
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メッセージ
粗末な小屋にようやく住んでいた日本人がしかし、大勢集ったときの猛々しさ、呵責なさは歴史の証明するところではないでしょうか。一銭五厘で刈り出されて、軍組織にエラい目にあわされつつ、中国・朝鮮その他アジアの国々で現地の人をエライ目にあわせたのじゃあるまいか。いやもっと前でもよい。何なら、秀吉の朝鮮出兵くらいまで遡ることもできるでしょう。ふんどし一丁で大刀振り回す蛮族、これこそわれらがご先祖さま。


日付Sun Jun 12 01:46:33 2005

1298

おなまえ
micmic
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メッセージ
実はいまだにアレコレ考えてしまうのがこれです。

彼女に「パソコンを一緒に選んでくださいね」といわれて、電車男が、秋葉原の電気屋でパンフレットを集めて回る場面(店員が田中美里)。いや、オタクならさー、本体買って、あとは自分でメモリ増やしますとか、OS積み替えますとか、そういう方向に走りませんか?

わたくしとひとみさんは「なんだ、メモリ増やすとか、好みのOSのインストールなんか普通ぢゃん、知っているかぎりごくごくフツウのユーザーがやっているわい。オタクというのは、パソコンでコーヒーを淹れるとか、OSそのものを作るとか、そういう人のことであろう。」と話したのですが、しかし、彼等は彼等でもっとべつの人のことをオタクと思っているらしい。よって、テーゼ「オタクとは何であれ、自分のやらないようなことをする人のことである」と。しかし、これでは例えば自称するオタクをカバーできない。たとえば、Linuxを使う女性はオタクであり、頭が切れて有能でバリバリ仕事をするらしい。(あくまでもval hensonとその仲間たちの自称。他称に使用するのは不適当。)ようするに自称と他称とオタクである、ないは直交する概念であり、4通りの全ての組合せを有する、つまり相関がない。ううむ。しかし、マンガやアニメのオタクはotakuであるけれども、パソコンのオタクはnerdないしはgeekでありますな。この両者を同一視してさらに、テレビドラマオタクとか、鉄道オタクとか演繹するあたりで既に誤謬に深くハマりこんでいるのかしら。
やはり「おたくでは……ざーます?」系に限定しておくべきであったか。


日付Sat Jun 11 23:42:52 2005

1297

おなまえ
micmic
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メッセージ
例の『街道をゆく 韓のくに紀行』は1972年の執筆なので歴史認識としてはずいぶん古いのだけれども、

さらに朝鮮史のおもしろさは(私が勝手に面白がっているのかもしれないが)この金ユ信将軍はは古代駕洛国の最初の王である金首露王の子孫だという。駕洛国については以前のべたように金海地方を主たる根拠地とし、別称として加羅、大伽耶、任那などというよび名がある。
駕洛国は、新羅国と百済国のあいだでサンドウィッチのハムのようにはさまっている小国で、古くから日本をたよりにしていた。
「駕洛国(任那)が日本国を頼りにしていたということは、状況として考えられない。日本側の『日本書紀』が勝手にいっていることである。」
という説が朝鮮側にあるが、大筋としては私も賛成である。古代の日本列島には、外国に兵力を出せるほどの強大な統一国家がうまれていなかった。しかしながら駕洛国は古くから韓人とモトの日本人である「倭人」の雑居地であったことは、諸資料から推してまずまちがいない。だから、
――金海や釜山付近の連中は純粋の韓人というより倭人の血がより多くまじっているといってよい、という言いつたえが朝鮮側にある。とすれば、作家金達寿氏の遠祖のもう一つ遠祖は駕洛国人だから、つまり金達寿氏は倭人であるというように、系譜的にはそうなる。
つい金達寿氏をダシにしてしまったが、要するに韓人といい倭人というけれども、それらは二千年前には混血してあるいは南朝鮮におり、あるいは北九州にいて、仲はわるくなかったにちがいないということを言いたいのである。

なぞというのがある。海峡をあちらコチラと渡る倭人たちの姿はなんだか楽しい。
ただ日韓同祖論となるといかにも具合が悪いが、ナニ、現代の政治関係に流用してどうこうということがなければ、同祖ではあろう。もっとも現生人類はどのみちミトコンドリア・イブの子孫ではある。



――任那は日本の植民地だった。
というぐあいに『日本書紀』ではなっている。これが朝鮮側の学者から否定されていることはすでにのべた。日本の古代国家が海外に植民地を必要とするような条件がないし、たとえあっても維持を可能にする条件が稀薄だから、これが日本書紀の筆者が、国家としての必要上、日本のイメージをできるだけ東海のミニ中国としてえがこうとしたための筆の走りすぎであろう。
しかしながら、『日本書紀』が任那としてよんでいるこの駕洛国のあたりの住民がなんどもふれてきたように、倭人もしくはそれに似た民族の集団であり、日本列島に住む民族がかれらに対して人種的一体感をもっていただろうことは否定できない。といって、こういうあたりまえのことをいっても、朝鮮人も日本人もよろこびそうにないというのが、このふたつの――つまり人類学的に相似的要素がつよく、そして地理的にもちかい両民族――のじつにくだらない共通点である。


ところで同書によれば、朝鮮・日本・満州をつらぬくツングース系のオヤジというのは「観念で激昂する」のだそうな。あらかじめ準備された観念に興奮して怒ってしまい、目の前の現実が見えなくなるんだそうな。そういえばそうのような、アヤシイような。


日付Sat Jun 11 21:04:43 2005

1296

おなまえ
micmic
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メッセージ
松田聖子さんというとオールナイトニッポンで、「ちわーセコイツマダでおま!」というていたのを覚えておりますが、あらま、お嬢さんはSAYAKAさんといって芸人さんになっていらっしゃったのですね。いま調べてはじめて知りました。政治家と芸人は世襲制になりました。そういえば、東京大をはじめとする有名大もずいぶん世襲化が進んでいるのだそうです。
こんなのとか。
しかし、ぼくらのころも京都大の学生の家庭の平均年収が800万を越えて、「ああ、学歴世襲化」ってなはなしもございました。ゆとり教育でますます世襲化がすすむのでしょう。
松田聖子さんと中森明菜さんのアイドル派VS歌唱力派対立図式は25年を経過して、少くともマスメディアに大きくのる芸人としては聖子さんの圧勝でした。聖子さんはどうやらいまもアイドルでありつづけていらっしゃる。たかだか43歳ですものね、芸人としてはまだまだこれからでしょう。また20年後にこんどは真紅の水着あるいはちゃんちゃんこで写真集をお出しになるとよろしいかと思います。

日付Sat Jun 11 18:55:20 2005

1295

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
6世紀に大和政権に対して反乱を起こした筑紫国造磐井なんかもそのタイプのお人でしょうか。九州の豪族にしてみれば、大和政権に靡こうが新羅に靡こうが、そのときの風向きでどうだってよかったのでしょうな。

日付Sat Jun 11 01:28:23 2005

1294

おなまえ
小麦
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メッセージ
あっしは、さやか、といえば聖子の娘、ぐらいにしか思ってなかったので、とっても面白く拝読いたしました。
で、聖子ですが、イチゴ柄の水着かあ。すげーなー(オチはありません)

日付Sat Jun 11 01:16:18 2005

1293

おなまえ
micmic
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メッセージ
メイラーの迷惑メールフィルターにひっかかってごみ箱に直行していたので気づかなかったけれども、うちにも来てました。関本弘美さん。まったく気が多いんだから。

日付Fri Jun 10 00:29:31 2005

1292

おなまえ
micmic
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メッセージ
すいませんがどうもこういうところは気になります。
>>寮のような掘っ立て小屋がほしいなあ。
掘っ立て小屋というのは掘建柱による建築になる小建築物をいうわけでありますが、東寮はもちろん西寮も、礎石をちゃんと置いてあったと記憶しています。柱は掘建柱ではなく、それゆえ、牽引による移動も可能な形態であったはずです。わが国は湿度が高いので掘建柱は腐食しやすく、あまり上等な住宅には使わないものでありますが、土地によっては掘建構造による豪華住宅というのもありえないわけではありません。それに東寮は宮大工クラスの建築物でございます。それが災いして補修もままならないと聞いたときには皮肉なはなしとは思いました。
そういえば、出雲大社の古代建造物が48mにおよぶ巨大掘建柱になっていたと聞いた記憶があります。

だけれども、ちょっと待っていただきたい。
粗末な小屋にようやく住んでいた日本人がしかし、大勢集ったときの猛々しさ、呵責なさは歴史の証明するところではないでしょうか。一銭五厘で刈り出されて、軍組織にエラい目にあわされつつ、中国・朝鮮その他アジアの国々で現地の人をエライ目にあわせたのじゃあるまいか。いやもっと前でもよい。何なら、秀吉の朝鮮出兵くらいまで遡ることもできるでしょう。ふんどし一丁で大刀振り回す蛮族、これこそわれらがご先祖さま。

体育クラブで一年生のときに上級生にさんざエライ目にあわされた人が自分が三年生になったとき平気で一年生に御無体をはたらいたのを目にしたような記憶があるのです。

日付Thu Jun 9 21:58:03 2005

1291

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 今日は、ちょっと蒸し暑かったけど、風が吹くと肌には心地よい
感じがした。風呂からあがると、さわやかな感じ。

 思い出したのは、木造のY寮は、西寮の山城さんの守衛室でも、
東寮の若井さんのところでも、世間話をしながら、お互いに情報を
ポツリポツリと言い合って、決して論理的ではないけれど、分かり
合っている空間と言うのがあって、それが、居心地がよかった。

 いまは、子供とじゃれているときに一瞬そういう気持ちになるが、
明日のことは明日の風が吹くさ、いま、ここにある居心地のよさを
楽しもうと言う感じが、あのころあった。だから留年を平気で出来た。
 この感覚は、実家でも、山の中でも、ボックスでも、スタバでも
得られない。
 そして、守衛室に生八橋を持ってくると、若井さんがお茶をいれて
くれて他の寮生と、ほくほくする。こういうのを、宮本常一の「寄り
合い」というのだろう。語りの中に、互いの情報交換があって、それ
が蓄積されると、おのずと、その場の心情が醸成される。

 もう、こういった空間から離れていく年経つだろう。まだ、あたらな
自分のそういう場を再発見できていない。まだまだ、祇園のお座敷では、
遊んでやっているんだ、という気負いがあるから、それが失せたら
柳のような存在になれるだろう。(それを許されている経済環境には、
今、申し訳ないが感謝している)。

 自分から終末を決めることはしないが、自分の終末はどうなるか、
最近興味がわいている。定年までつとめて、子供たちはすでにその歳
では、大学も卒業しているから、できるなら長女の孫でも見る機会さ
えあれば、その後、酔っ払って、60歳で階段から落ちて天に昇れれば
本懐だ。小針覗宏か、中島らも。

 まずは、スイカや桃をまずそうに食べて、種を庭にペッと捨てられる、
寮のような掘っ立て小屋がほしいなあ。

 そういう住まいに日本人の大多数が、棲むようになれば、モーレツな
体育会の感性は後退し、やさしい日本人になれるのではないか。
 状況が、意識を決定する。唯物論です。


日付Mon Jun 6 22:11:13 2005

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