はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版

御芳名


おことば

準備はいいですね


1290

おなまえ
micmic
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メッセージ
このはなしそのものは、ナチズムの心性としてでたり、同様に日本軍国主義の総動員体制のイデオロギーの型としてでたり、はたまた和の精神で全員一致を尊ぶ日本VS全員一致をみると異常を感じるユダヤ人といった二分法で登場したり、なんというかおなじみなのではありますが、困ったことにこの手の集団こそが爆発的な威力を発揮したりもするのでございます。
このノリは、いまどきの企業セミナーなんかにもよくあるやつであります。しかし、毛沢東なんかにもあり、ようするに目的のある集団が威勢よく行動するときの基本パターンなのでしょう。
元型とかが好きなムキならば、マンモスハンターとしての旧石器人の根幹にインプットされた行動パターンとかいい出すのではあるまいか。

けれどもこれは「一時的」といったミノさんには説得力があり、長くつづければこれ自身にある等質な集団のもつ硬直性、異端排除、疲労あるいは脱落するメンバーの増加なんてのがあるわけで、ようするに人間集団の興奮状態、交感神経フル稼働、アドレナリンびしばし、心拍数増加、瞳孔パッチリ状態なんではあるまいか。アドレナリン中毒は体に悪いよなんて思います。

主流というのは多数派というよりは、いままさに成果を上げ、行動が図にあたって繁栄している集団の行動原理となりやすいのだろうね。とはいえ、集団とはいっても特に有能あるいは生産的な10%に残り90%がゆるやかにぶらさがっている、なんてのもそれはそれでありそうな気もする。ぶらさがるほうでスイマセンなどとちょっと引け目なmicmicでした。

日付Sat Jun 4 21:35:14 2005

1289

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
> その指摘した項目をみると、比叡山の荒法師や、某セクトも構造的に
> 一致するのではないか

その通りです。それゆえ僕は「体育会=主流派」と考えるわけです。中核派も吉田寮自治会も体育会的心性から無縁ではあり得ないゆえ、そこからカタギへ戻った者が類い希な有能さを発揮し、企業や官庁で活躍する例はたくさんあるはずです。蓑さまもあるいはその一人なのではないでしょうか。

僕は体育会的心性を否定するつもりはないし、この心性が今日の社会を支えていることを認めます。ただ、そこからどう頑張ってもはみ出してしまう人がいるのです。一時的と割り切っても参加できる人はまだいいんですよ。

> 下記の項目についての、エッセイか本をかいたら

商品として文章を作るのは新聞社時代にもう飽きてしまいました。某広告会社の片から、就職活動についてなんか書かないかというお誘いは前からあって、章立てまで作ってもらっているのですが面倒くさくてダメだ。僕の授業を受けてくれたり、サイトを見てくれる「縁のある」若い人に伝わればそれでいいや。





日付Sat Jun 4 18:38:21 2005

1288

おなまえ
蓑田
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メッセージ
おっとせいさんのHPをみて、切り口が面白いと思いました。
(すみませんね、オレが書くのは趣味として、この板が居心地が良いので)。

 「体育会的心性」という指摘は、公にはこれまで見なかったので、それを列挙した
ことに、その勇気をほめたい。

 ただ、その指摘した項目をみると、比叡山の荒法師や、某セクトも構造的に
一致するのではないかという、感想を持ちます。そして、しかたがないけど、
ある時期の大衆団体(たとえば、総資本VS総労働の三池、そして某Y寮も)
一時的にせよ、下記の「忌避すべき」状態をしかたないにせよ取らざるをえなかっ
たのではないか。ただし、健全な団体ならば、それを一時的と認識する(NEPとか)
力があるが、健全でない場合は、常態的な体質となる、つまりは「体育会的心性」が肉
体化、思想化するであろう。下記のチェックリストは、健全性の自己認識の相対化のた
めに意義深いと感じる。

 (ヘルメットをかぶり白衣を着る。細胞があって、下位は上位に従う。浅草橋に突入する
 ことが賞賛される。祭りの一言で人間関係が形成される、....)

 この列挙した項目は、実は1960年代の高度経済成長時代の心性だが、どうなんだろう、
大きなイベントを実行するときには、こういった項目をトップ・リーダーは「演じる」「役者
になりきる」ことがもとめられるというプラグマティズムを感じている。小学校のキャンプの
リーダとして登場する場合など。が、他方で、そういう状態が日常化すると、結局のところ、
トヨティズムの宗教じみてあぶないが、そういう手法の一時的な採用は、是と考えるか非と思
うか、過去より存在する問題のような気がする。

  
 言い換えると、目的のためにプロセスは、どの範囲まで採用しても目的を損なわないか、と
いう素朴な問題構制に行き着く。好みでないが、全否定できないだけに苦しい。
 最後は個人の趣味(価値観)に依拠するが、僕は、もう「一時的にせよ」、そういう感動的
な運動(会社の事業展開も含む)は、もう勘弁願いたいと感じている。体が持たないし、病気になる。

 下記の項目についての、エッセイか本をかいたら、「みんな一緒で」という風潮に悩んでいる
 高校生に受容されるのではないか。ぜひとも、まとめてみたら。ついでにプロレス論もね。


・ ある目標の下、成員が一致団結している(試合に勝つ!)
  ・そういう目標が存在することを疑わない(全国一!)
  ・成員相互の人間関係が良好であることが強調される(コンパで盛り上がる)
  ・上意下達の命令系統・組織系統が存在する(キャプテンとか何とか部長がいる)
  ・目標に向けて努力することが何よりも賞賛される(ナイスファイト!)
  ・努力して傷つくことも賞賛される(あいつを見習え!)
  ・努力に対してマゾヒスティックに嗜癖する(全てを捨ててこの試合に賭ける!)
  ・目標を達成して全員で大喜びすることを奨励・強制する(胴上げ)
  ・世界より体育会内世間を重視する(コンパで側迷惑な騒ぎ方をする)
  ・体育会内世間と目標以外目に入らない(イラク戦争なんか聞いたこともない)
  ・同じような服装を身につけてうれしがる(ユニフォーム)


日付Sat Jun 4 03:51:36 2005

1287

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 近所に京都文教大学があって、そこの学生新聞が駅で無料配布される。
反原発は扱われることはない。
 一方で、京都大学新聞では、「小林圭二×荻野晃也」対談が、都合
4ページの大紙面でつくられる。
 文化の蓄積は、なかなか変わりつらい地層のようなもんなんだな、と
いう感想で、反原発そのものには、なんら他意はありません。
 確信して入部するものもいるが、「朱」に交わって「アカ」になる
ものが多数だろう。その装置が21世紀にも機能しているのが、おどろ
き。他方、寮はもっと入れ替わりが大きく、流動性が高いのに、
古典芸能が引き継がれている。

日付Wed Jun 1 16:15:04 2005

1286

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
> 今ほど、寮の存在って、メジャーで無かった気がする

若者にはそうだったけれど、寮生活に象徴される旧制高校をなつかしむムードって、旧制高校出身者が現役世代に残っていたこともあって、今よりずっと強かったのでは?総じて、今より往時の方が、寮というもののイメージ(それが実体に近いかどうかはさておき)を喚起しやすかったのではないでしょうか。

日付Wed Jun 1 00:54:28 2005

1285

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
> そもそもの意義がすっかり忘れられたころ

そうさな。そうなってこそ祭りだな。
その日を草葉の陰で楽しみに待つとしよう。


日付Wed Jun 1 00:49:47 2005

1284

おなまえ
micmic
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メッセージ
反原発の記事を載せるとなんかマズいのでせうか。

日付Wed Jun 1 00:14:05 2005

1283

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 マスコミ対策は、80年、81年、82年は、やっていたね。新聞社とKBS。
鴨川レースの記事は、毎年、新聞の隅っこに掲載されていた。また、見てもらう
だけの芸風を持っていた。

 鴨川レースの運営もおおげさでした。優勝は、カフェドハマノ杯のビール1
ケース。地塩寮や応援団、農学部など大勢参加していた。スタートでは、応援団
が応援歌を唄い、ゴールではインターナショナル。僕は、もっぱらカメラマンを
していた。85年のおっとせいがピンクヘルメットで丸太町橋を行進する姿や、
朱美さんの風船一杯つけた衣装の写真が手許にある。

 そのココロに、寮が市民の見ていない場面で勝手に潰されるのはかなわ
ない、という心配があった。今ほど、寮の存在って、メジャーで無かった気
がする。阪大や小樽大は、マスコミにも報道されず、粛々と潰されていったもの。
大阪市大もそうかな。山形と駒場ぐらいが、学生の踏ん張りで、世の知られると
ころとなった。
 インターネットの働きが、サブカルチャー界で寮の知名度を上げたような気が
する。

 寮は、怪しいんだけど、自分でそう主張するのははしたない。正当性を気取っ
ているが、それが却って怪しさを増長させる微妙さが良い。ようは、やるのだっ
たら、チマチマせずに、大げさにやる。小さなウソはわかるが、大きなウソは嫌
われない。限りなく自治会メンバーに近いが、バリケード実行委は、学友会とは
異なる、有志団体と強弁するみたいな。
 さらにいえば、アンドレが、スーパストロングマシンとして、登場するような
怪しさだ。誰もが正体を知っているのに、誰も指摘できないし、しない。そうい
う仕掛けと、存在そのもののズ太さが面白い。

 わかって変化する、化けるのはよいが、わからずに変わるのはどうだろうか。
六本木ヒルズの回転ドアは、ヨーロッパで作られたときには、できるだけ軽量
化するという基本設計思想があった。簡単に止まるのが良いドアだった。とこ
ろが、日本に輸入されたときには、できるだけスムーズに動いて止まらないよ
うに、モーターを強くし、重くなり、見栄えを良くするためにステンレスを貼
って重くなり、さらに駆動系が重くなる。当初は700kgぐらいの回転ドア
が、ユーザーの要求にしたがって変更していったら、2700kgの重さにな
り、イナーシャで子供を殺すマシーンに至ったというのが、回転ドアの悲劇で
ある。基本の設計思想をわかって受け継いだり変更するのと、わからずに受
け継いだり変更するのでは、得られるものの大きさが違うような気がする。

(いまでも、慣性の法則ってすごいのは、大学新聞が「反原発」の記事を載せ
 ていること)。

日付Tue May 31 17:02:44 2005

1282

おなまえ
micmic
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メッセージ
じつはそんなワケもわからずにつづけているなら、それはそれでいいかなと思う今日このごろ。そもそもの意義がすっかり忘れられたころ、起源と民俗の考証の対象になったりすると面白い。500年後の寮生の研究のネタにでも。
ところでエセ古拙というものはあって、たとえばグルカナイフの民芸品なんかだと、腕のいい職人の手になるもの近代工業製品なみあるいはそれ以上に精度が高かったりする。ところがそれでは民芸品としては味わいがない。精度の低いやつのほうが高価に売れたりする。手製のあじわいというやつだ。本当は職人の技量が低いだけなんだが。そんなわけでその手の用途にはワザワザ精度を下げて生産するのだそうな。


日付Mon May 30 22:10:26 2005

1281

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
僕は確か8年ほど前に子供を肩車して鴨川レースに出ました。そのときすでに「吉田寮祭の歌」は歌われておりました。新機軸どころか古典ですな。レースの参加者はわずか十数人、正直「もうやめたらいいのに」と思いましたです。

その後、何でか知らないけれど「吉田寮90周年記念講演」をやれと言われて十数年ぶりに寮食堂に入りました。寮祭パンフの惨状にガチンコで腹が立って、かなり小言を申し上げましたが、今年もパンフはダメですか。エネルギーが内側に向かうのは勝手だけれども、あんなモノに広告を取ってお金をいただこうという根性が気にくわない。

旧教養部もかつての面影はなくなっちゃったし、京大も吉田寮もどうでもよくなっちゃった、というのが昨今の感慨です。

日付Mon May 30 19:21:45 2005

1280

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 2005年5月29日(日)、卒業後(17年)では2回目の吉田寮祭に行き、
「鴨川レース」を見物した。実は、鴨川レース自体、7年間の寮生活では1回しか走
っていない。体育系のイベントは、スポーツとしての学生運動と同様に、好きでない
のだ。結婚直後に連れ合いと見たのが、92年だから、実に13年ぶり。

 京都の気候は快晴で、汗ばむ陽気だった。20年前とは異なり、三条大橋か
ら疾走し、出町柳のデルタをゴールとする。14時12分STARTで、到着は、
38分ごろか。参加者は37名で、そのうち女性が3名。吉田寮の前からデモ行進で
三条河原まで向かい、そのとき、僕は初めて「吉田寮祭」の歌なるものを聴いた。
「よしだりょうさい、よしだりょうさい、わーい、わーい、たのしいな」に引き続い
て、小長井君が発案した「オブレリ、あなたのおうちはどこ、わたしのおうちは吉田よ、
岩倉にあってもおなじなのよ(I willより)」を歌っていた。これは新機軸だな。

 20年前よりは、参加人数は減っているという感じ。また、走破する鴨川は、本日
に限定して言えば、水は若干清らかで、藻は一面に張っているが、網をもって水に入
っている家族も多かったようだから、そう、危険な行為ではなさそうだ。ただし、吉
田寮生が、STARTのために三条の橋の下の川で並ぶと、いっしょに川で遊んでい
る子供たちが付いてゆき、その親が、ダメーッと怒っているのは、かわいかった。

 鴨川レース自体、マンネリ感は否めない。それは、折田校長の遊びもそうだし、吉
田寮祭の仮装決起(この発案上田の82年)もそう。教室乱入を面白げに苦笑いする
教官よりも、サクラでよいから学生を配置して「俺たちの学ぶ権利を妨害するのか」
という反動分子として登場させ、教室内をシーンとさせる程度の寸劇は形成可能かと
思いたい。つまり、昔の寮闘争の遂行とおなじように、なぜ、このことが行われてい
るのか、それを継続することは自分たちにとって、どういう意味があるか、のテーマ
が認識しにくいのかな。と忖度する。その反映が、寮祭パンフレットの読みにくい、
ヘタウマもどきの出来具合に反映されている。他者に対する、アピールは考えられな
いのあろう、内向きにエネルギーが向っている。

 ま、それでも、面白がりの蓑田は、W臨時職員さんから、依頼があれば、カンパは
一種のお布施と観念して出す。
 何が面白いのか、真剣に考えて、それを深掘りすると、意外に広くおもしろくある、
と信じたい。ニーズに対するうまいアプローチの仕方は、政治の左右とは、関係なく
存在し、うまく立ち回ったほうが、得なのだが。

日付Mon May 30 01:04:12 2005

1279

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
こんな地上ではあるけれども、どうか無事にお産まれ下さいますよう。赤子さま。

日付Sun May 29 10:57:12 2005

1278

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 時間が許す限り、人見さんの掌を握り合い、おなかの上に軽く手をかざし
温かさを伝える。そして、赤子に声をかえると、良い。
 プラスのストロークを、二人に交わそう。

日付Sun May 29 01:55:49 2005

1277

おなまえ
micmic
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メッセージ
ところが、あやしげなクモユキでして。なんでも切迫早産ないしは流産の可能性ありということで入院しています。赤子にはいま出てきてこられてはいろいろとタイヘンなので、あと十週間ほど肚の中でゆっくりしてもらいたいわけですが、といって、安静にすることとハリドメの薬を点滴するほかにこれといった手法もなく、がんばらずにリラックスするのが肝心なのだそうです。そんなわけで、わたしは着替えだのなんだのを持っていったり持ってかえったりしているのでした。
さて、どうなることやら。

日付Sun May 29 01:22:26 2005

1276

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 新品はいいな。他人の子供でも、思わず抱かせてもらうと、
気持ちよい。特に手のひらや、小さな足の裏側を指で押すと反
応するでしょ。ギュッと反射運動で、握りかえしてくるやつ。
 子供のシッカロールと、乳のにほいは、家族が増えたという感覚
を実感させてくれる。

 こういうのを、心理学でTransactional Analysis(TA交流分析
=ふれあい心理学)というだけど、小さい頃にどれだけ、両親や周りの
大人・子供から、そういった気持ちのよい「ふわふわ」の贈りものが
子供に蓄積されたかで、その後の育ちに影響するという学説がある。

 この「ふわふわ」は、他人にあげればあげるほど自分にもたまってく
る、へらない便利なもので、お互いに与え合うこともできる。形はみ
えないけど。

 ときに、がんばったね、と我が子をぎゅーと抱きしめてあげる、自分の
親の世代はしてくれなかったけど、そういう「ふわふわ」をいつまで分け
合ってやれるか。中1の長女は、恥ずかしがっているから、入試合格と
か、ここ一番の時にか使わないと、嫌われるようだ。

日付Fri May 27 01:36:39 2005

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