はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版

御芳名


おことば

準備はいいですね


1245

おなまえ
micmic
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メッセージ
あらま、ついに丸善まで。とはいえ、十年あまりまえにビルの立替えをやってからというもの近寄る気持を起こさせない雰囲気になってはおりました。じつは札幌丸善もいまひとつ。札幌では紀伊国屋も、琴似店とテレビ塔前店を閉店して残るはロフト店とオーロラタウン店のみ。ガンガン発売されては消えていく消耗品のような本をみるにつけ、出版不況なんぞという言葉も鵜呑みにはしがたいが、変動していることは確かではあります。

日付Tue Apr 5 22:14:43 2005

1244

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 京都の古い歴史の本屋が、またひとつ、なくなる。

京都新聞によると、
「丸善(本社・東京都)が、リストラ策の一環として、京都河原町店の自社ビルと土地を29億円で売却した。早ければ年内にインターネットカフェなどのビルに生まれ変わる。 同社は1907(明治40)年に中京区の三条通麩屋町に京都店を開設。同店は、梶井基次郎の短編小説「檸檬(レモン)」に描かれた。専門書を幅広くそろえ、京都の大学教授や学生にも愛された 」

 古くは、四条河原町の「京都書店」(画集がそろっていた)、そして2000年の「駸々堂」の倒産(左翼本がそろっていた)。今度は洋書と漫画と、原稿用紙の「丸善」。ほしい本を見つけるのに、四条河原町から三条そして、三月書房までハシゴをよくしたものだった。そのころの丸善の建物は古めかしかったが。

 とはいえ、最近では、京都駅前の近鉄内「旭屋書店」に行くことがほとんどで、丸善は地の利が悪く、便箋や小物は寺町の鳩居堂やロフトのほうがいいもんなあ。中途半端な存在になってしまった。




日付Tue Apr 5 20:50:00 2005

1243

おなまえ
micmic
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メッセージ
これはお久しうございます。わたくしも昨年はじめてハードディスクのクラッシュというやつをやってしまいました。悲しうございました。バックアップできているつもりでも、あとになってみるとあれこれと惜しいものもございました。
さて、木琴ですが、わたくしであります。あれは歌声喫茶ではなくて、わたくし中学校のコーラスクラブなんぞになりゆきで入部してしまいまして、このクラブの選曲が歌声ノリなのでありました。たぶん顧問の先生がそっち系だったのでしょう。この「木琴」、こういう素朴な反戦思想をとりあえず知っておくことが大切だなと思う昨今の右傾化ではございます。

とはいえ、第二次世界大戦で日本に投下された爆弾・焼夷弾は16万トンだけれども、おとなりの朝鮮に朝鮮戦争のおりに投下されたのは311万トン、で、何と20倍であったことは注意を要します。しかし、ベトナムは1600万トンでさらに5倍。これ全て落としたのは米軍であります。何と申しましょうか。


日付Sat Mar 26 20:14:03 2005

1242

おなまえ
はるか
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メッセージ
久留米からです。こちらの掲示板への書き込みははじめてですね。

お変わりありませんか?

私のパソコンはOSを2000からXP Proにアップしようとしたら、アプリケーションの愛称が悪くってまたまたHDDを換える憂き目にあってしまいました。(x_x;)相変わらず、パソコンと格闘し、鍛えられております。(^^ゞ

以前、「のび」の掲示板に「木琴」の詞のことを書き込んでおられたのはmicmicさんでしたか?

またお邪魔します。

日付Fri Mar 25 08:47:06 2005

1241

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 埼玉の工場勤務の時代(2002年)に、大クレームをおこして
抑うつ症をわずらい、三味線を弾く元気すらなくし、しばらくしたら、
三味線の皮が破けてしまいまいました(使わないと破けるのです)。
そんなときは、明るい唄は、ダメでした。明るい曲どころか、何も
したくなかったです。

 京都に戻った当初も、お座敷遊びにゆく気力もなかったのですが
大学の同期や、会社の上司が引きずるように誘い、そうこうしているうち
に「お座敷で学んだ小唄や宴会芸を栞にしたら」という言葉に励まされ、
徐々に曲をためていったら、面白くなってきた次第。スタンプをためるよ
うな感じです。僕にとっては、お座敷遊びがリハビリです。いまは、リハビリ
以上の効果です。でも、連れ合いは理解してくれません。けど、パキシルも、
サイレースも3年前の半分の量になりましたから、もうすぐ全快ですな。

 ところで、私も市丸さんのテープを持っています。彼女のハイトーンの
コロコロと転がる歌声が軽やかでいいです。



日付Wed Mar 23 18:03:22 2005

1240

おなまえ
micmic
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メッセージ
わたしにCDなんか聞いたところであまりにミーハーかつ健康的すぎて参考にはなりますまいに。
こんなのこんなのでありますな。
しかし、趣をかえて
こういうのも
なんかスケベっちくてよろしい。

日付Wed Mar 23 17:45:54 2005

1239

おなまえ
いとう
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メッセージ
ごめん、「お供はつらいね」だったかも。「奴さん」ですね。
両方あったのかなあ。ビデオ見返すのもなんだし、まちがってたらごめん。
今、聞き返してたら、端唄のにぎやかなのも悪くないですね。

あと、中務先生のこと、書いちゃいけなかったかも。
石垣カフェの人に聞いただけの話だから。元寮生ってことで気を許して話してくれただけかもしれない。さて、どうしたものかな。詳細を聞き返しに行くほどの気力もないような。聞いたからといって本当のところがわかるわけでもなさそうだが。
私はとりあえず静観、か。削除依頼でも来たら削除よろしく。来ない気もするが。私、名誉毀損とかになるのかなあ・・・私は良い先生だって信じてるから大丈夫かな?とにかく、今の状態だと先生に挨拶に行くのも恥ずかしいからなあ。でも、ほんとは行くべきなんだよなあ。でも、今は無理。

日付Wed Mar 23 12:17:26 2005

1238

おなまえ
いとう
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メッセージ
小唄、端唄と言えば、私、CD1枚ずつ持ってますよ。
市丸さんの「決定版 小唄入門」と、「ビクター邦楽名曲選 端唄名曲集」特に前者が好き。音数が少ないから。
鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」見て、原田芳雄が「梅は咲いたか〜」って口ずさんでるのがかっこよかったせいで買ったんだったかな?
何かお勧めのCDなどあれば教えてくださいませ。って、今CD買う金も欠乏しがちなんですが^^;

吉田寮MLで、若い人が遊びに来ていいようなことを書いてたので「石垣カフェ」に行ってきました。楽しい時間がすごせました。
私、寮以外であまりちゃんとした人間関係築けてないんで恥ずかしくて寮に足を踏み込み兼ねている、すごい近所に住んでるのにねえ、って話をしたら、そこにいた女子が「確かにそれは恥ずかしいですね」みたいな無神経つーか率直極まりない返答をしやがって、かなり「気ぃ悪いゎ」だった^^;寮周辺には「愚痴撲滅特別委員会」でも結成してるかのような人たちが一塊いますよね。なすびとか。
彼らが活動し続けてくれてるおかげで私も自由に暮らせてるんですが。
まあ、その女子は山形浩生の「バロウズ本」の話なんかできる兵だったんで許す。

石垣カフェで、私の恩師の中務先生が、今、アカハラ疑惑の渦中の人と聞いて、そんな権力に固執するような人じゃないと思うんだけどなあ、と思いつつ、ちょっと心配してます。劣等生の私は卒業してからまったく連絡も取ってなくて激しく申し訳ないんですが。

日付Wed Mar 23 10:38:35 2005

1237

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 古い話ですが、
 昔の「連月ハウス」が、遊郭だったという話を聞いてから、遊女に興味
を持ちました。もちろん、自分自身は廓で遊ぶことは無いが。思い出
すと、連月ハウスは廊下が一周する作りをしていて、おそらく、玄関
の蔀の下、ガラリを通して品定めを行い、部屋へと案内されたのだろう。
 建て替わった連月ハウスには、今、長谷川くんが住んでいる。

 『日本女性生活史』の読み方では、ボク自身が「巫女説」を面白がり、
また、吉原が町奉行の治外法権で、網野善彦のいわゆる「無縁」や「公
界」である、というお話が好きだったので、近代の話は飛ばしたと思う。
もったいないことをした。吉原には堺のような自治組織があったらしい。
 「梅は咲いたか」の端唄は、歌詞に「土手八丁」とあったり、
「吉原にいらっしゃい」で締めくくるから、船で吉原に通う歌なんで
しょう。船で渡るというのが、異境への雰囲気をかもしだす。

 舞妓から芸妓に変わる「襟替」に際して、このとき「先笄(さっこう)」
というのだが、彼女らは黒紋付を着て、お歯黒にする。その期間は3日間。
 結婚の風習が入り込んでいるのは、巫女(舞妓)から現世(芸妓)に帰っ
たという証なのだろうか。笑うと、白塗りに紅い唇から真っ黒の歯が見えて、
ものすごく怖いのである。そして、ご祝儀はもっと、怖い。

日付Tue Mar 22 01:25:51 2005

1236

おなまえ
蓑田
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メッセージ
 かなり資料は捨てたんですが、
フレーザー『金枝篇』(岩波文庫)や、柳田國男『巫女考』によると
遊女は巫女かた出発したとする説で、対して、明田鉄男
『日本花街史』(?)によると、社会的弱者が遊女になったのであり
そういった構造を見ない柳田をクソミソに言ってました。

 『日本女性生活史』という本がUPから全5巻ででていたんで
すが(全部、東京で捨ててきました、いい本でした)、その古代編
でも社会的弱者説を強調していたような気がします。(高くてもう
買えないな)。

 京都の花街が、他の花街と違って栄えたのは、明田に言わせると
明治期の京都府知事の槇村正直と一力茶屋の杉村氏が都をどりを興
行として成功させ、さらに、婦女職工引立会社を設立し、娼妓解放
令を徹底したからだtぽいう。建仁寺の敷地にここに歌舞錬場、病院、
女紅場(にょこうば)を作って娼妓解放令の徹底を図った。
 しかし、明田の著では、その祇園街も売春防止法の実施(?年)
でお茶屋の廃業が進んだとあるから、舞芸妓さんと酌婦娼妓は近接
していたと、思われます。4月の桜見にはまたお茶屋に行くから
女将に、具体的に、非礼なきようにその前後を聞いてみますわ。
 今は、お座敷遊びの「お囃子」や「小唄端唄」を採譜するの趣味
深くやってます。40曲ぐらいはありますので、下手な芸妓さんよ
りも詳しくなっているので、教えています。祇園古典文化研究会でも
立ち上げようかしら。

日付Mon Mar 21 22:49:28 2005

1235

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
僕も久方ぶりに文学部現代史学専攻出身だったことを思い出すことができまして、蓑さまには感謝しております。実は僕の卒論は『廃娼運動』でありました。

日付Mon Mar 21 22:25:46 2005

1234

おなまえ
micmic
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メッセージ
micmicはべつに削除するつもりも、見せしめにするつもりもございません。蓑さんがはなしを振ってくれたお蔭で、micmicはあんまりよく知らなかった東雲楼の一件についてとだの話を聞くことができたし、自分でもちょっと調べてみようと思った次第でして。しかし、インターネットというのはとりあえず便利なものではありまする。さて白拍子にせよ、吉原花魁にせよ、はたまた幇間にしても、座敷芸や謡、といった文化は売笑とともにあったわけで。苦界と極楽とは同じ場所にある。「文化」は決して抑圧のexcuseにはなりえないと思うけれども、まさにその抑圧の現場から生まれてくるものはある。
ところで宮さん宮さんとは、
これでしょうか。

日付Mon Mar 21 22:13:36 2005

1233

おなまえ
蓑田
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メッセージ
すんません。聞いた話で明治と大正の年代は、きちんと調べるべきで、
うろ覚えで「大正デモクラシー」と書くのは事実に基づいてませんので
撤回します。削除でも、浅はかさの「見せしめ」の目的で掲示でも、
管理人のご趣味にお任せします。屋形の女将さんにも教えときます。

 「舞妓の反乱」は、10年前の出来事ですが、その書物で書かれていた
いじめは、女将さんに聞いたら以前はあたりまえのようにあったというこ
とですが、その後、彼女たち(藤花さんら)の指摘をきっかけに、表面に
出ることになって、今の待遇改善につながったということ。それをもって
「歴史は繰り返す」というのは、これまた根拠希薄なので、撤回します。

 東雲楼のストライキは、有名な話なんですね。おしえてくれてありがとう。
少しばかり情をこめて「齋藤さん」って、歌うようにします。
 「宮さん宮さん」はいつの歌だろう? 図書館で調べてみます。


 

日付Mon Mar 21 21:28:10 2005

1232

おなまえ
micmic
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メッセージ
わたしは不勉強なので東雲楼の同盟罷業については、
『働く女性と法の百年   東雲楼のストライキによせて=浅倉むつ子』の記述を読んでこの直系は『人身売買大国日本』なんかのほうじゃないかなと思うばかりであります。
現代の祇園の舞妓・芸者さんの世界のほうは1956年のまえと後でどう変化したのか、ちょっと興味はあります。とはいえ、単に芸者さんと酌婦娼妓は別ということとにはなるまいと。


日付Sun Mar 20 13:30:31 2005

1231

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
2.親のこさえた借金のため、楼閣経営者から数年分の労賃を前借りして苦界に身を沈めた彼女達に、果たして「自由業の意識が高まり」などということが一度たりともあったのでしょうか。1900年(だったかな?)の大審院判決は確かに楼閣が娼妓の身体を拘束する契約は無効と認めたけれども、金銭貸借契約を有効と認めたため、結局娼妓は性労働に従事せざるを得ず、奴隷的拘束はつづいたのです。
3.「さいとはつらいね」には二説あって、東雲楼の番頭が「斎藤」という姓であったというのが一つ、「さりとはつらいね」の音便であるというのがもう一つです。

何を言いたかっかというと、「歴史は繰り返す」って安易に使いたくない台詞だなと。

日付Sun Mar 20 10:39:18 2005

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