はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版

御芳名


おことば

準備はいいですね


1170

おなまえ
蓑田
--------
メッセージ
そろそろ、2004年も終わりに近づいた。
そこで、今年の回顧展をランキングしてみよう。
まず、1位は、東京の大英帝国の至宝展。
   2位は、奈良のモネ展
   3位は、天保山のロートレック展示
   4位は、水道橋トッパンの日本の活版印刷の黎明期
   5位は、京都のスターウォーズ展
   6位は、... 
   最下位は、松坂屋のビートルズ展
そして、番外は、大津のオノ・ヨーコ展、ってとこかな。

 新しい発見は、「堀木エリ子」さんという、和紙漉きの
アーティストです。たまたま、講演会を聞いて、彼女の存
在を知ったのですが、情熱・ロマン・作品にほれました。
松下電工のショールームで、彼女の和紙でできた、賞味や
タペストリーを見ましたら、従来の和紙とは違う、風合い
近代の素材(アクリルなど)との融合に、感心しました。

 彼女を紹介すると、和紙の良さをうまく取り入れた新し
い素材を開発し、建築・インテリアの分野で独自の境地を
切り開き、今業界で大変注目されている人です。
 たとえば、和紙の世界は、イサム・ノグチの「明かり」
が世界的にも有名だが、21世紀に和紙を再生し、新しい
技術を開拓するという情熱は、平成の「西岡常一(斑鳩の
宮大工)」か「棟方志功(版画)」といった位置にいるの
ではないか、とほめすぎ。 


 彼女はの経歴も面白い。堀木さんは、短大卒業、銀行勤
務の後、京都の手漉き和紙商品開発・販売会社に就職。こ
の会社は、手漉き和紙商品(封筒、ポチ袋など)を企画販
売していましたが、機械漉き商品に価格競争で負け、閉鎖に
追い込まれてしまう。しかし、そこで、終わらなかったの
が、堀木さんのすごいところです。彼女は、和漉きについ
ては、まったくの素人でした、が、しかし、

1.手漉き和紙に惚れ込み、手漉き和紙に危機感を持つ

  堀木さんは、この会社での仕事を通じ、手漉き和紙の文
 化に魅了されると共に、機械漉きに価格で負けて消滅してい
 くことに、いたたまれなさを感じます。
  そして、自分で何とかしなくてはと、行動を開始します。

2.使命感と情熱

  堀木さんは、自分が手漉き和紙の伝統を受け継ぎ、現代
 の技術と融合させて発展させることで、手漉き和紙を100
 年後にも伝統産業として生き残れるものにしようと決意し
 ます。機械漉きとコストで勝負することを避け、手漉き和
 紙が長期に使えることを活かして、建築・インテリア分野
 の新しい素材として挑戦しようと決心します。そして、京
 都の呉服問屋の社長さんに頼んで出資してもらい、事業を
 興します。これが24歳のときでした。ああ、なんという
 志の 違いか(蓑田の24歳は、卒業前で飲んだくれてい
 た)。

3.和紙職人の頑固さに挑戦

  和紙に色をつけたり、和紙以外のものを漉き込んだりす
 る堀木さんの技法は、和紙職人の反発をくらいました。古
 来日本人は、白く汚れのない和紙に神性を感じ、和紙は不
 浄な物を浄化させると考えてきました。だから、結婚式の
 祝い金は和紙で包んで渡しますし、お正月の鏡餅は和紙の
 上に乗せます。白き故に和紙であるとする職人とは真っ向
 から対立しますが、使命感と情熱で職人を説得し、徐々に
 理解を得て、共同作業にもっていきます。
  しかし、職人が大事にしている和紙の精神性は守って作
 品を作ろうとしました。

4.「やらない」という選択肢を捨てる

  お客様からの製作依頼の中には、和紙の持つ欠点(破れ
 る、汚れる、変色する、寸法が変わるなど)故に、とても
 不可能と思うものもありました。しかし、堀木さんはさま
 ざまな人や技術との融合で、不可能を可能にしていきます。
 それができたのは、自分の中から「やらない」「できない」
 という選択肢を捨てたからだそうです。「やるかやらない
 か」「できるかできないか」迷っていたら「できない」理
 由ばかりが浮かんでくる、「やらない」という選択肢を捨
 てたら、後は「どうすればできるか」しか残らない、そう
 するといろんなアイディアが浮かび、作品が出来上がると
 いう。

5.日本古来の伝統技法と現代技術の融合

  手漉き和紙の良さは活かし、欠点を現代技術との融合で
 カバーして、これまでに無い素材を作り出してきたのが堀
 木さんの仕事です。現代技術を探すときは、自分の領域か
 らできるだけ遠いところで探すとも、言っていました。技
 術の融合の事例です。言い換えれば、編集者(コーディ
 ネーター)です。たとえば

 1)アクリル板に和紙を貼るための特殊粘着シートの開発
 2)ガラスとガラスの間に和紙を挟み込むための特殊樹脂の開発
 3)さらにそのガラスの表面へのエッチングや無反射加工
 4)金属の漉き込み
 5)10m〜20mの大型和紙一体抄紙法の開発
 6)立体抄紙法の開発

6.長靴から地下足袋まで

  堀木さん自らが長靴をはいて和紙を漉き、加工し、地下
 足袋に履き替えて施工します。会社としても、和紙を漉く
 ところから施工まで一貫して受け持つ。分業では情報が途
 絶え、良い仕事はできない。つまり、各工程がフルに情報
 を共有しあって初めて良い仕事になるのだという堀木哲学
 です。

 堀木さんのすごさは、作品を見て実感するものです。生で
 見られないのであれば、堀木さんの会社のホームページで
 作品を見てください。
 
 なお、実物を見られるところがあります。JR京都駅1階
 を烏丸口正面から入り、すぐ左に行くとホテルグランビア
 のロビーに上がるエスカレーターがあります。このエスカ
 レーターを上がりながら左を見ていくと、ワコールの大き
 な広告があります。3m×8mくらい。これが堀木さんの
 作品のひとつです。このポップは、なんと和紙でできてい
 るのです。

  それじゃ。

 ホームページは下記。

 http://www.eriko-horiki.com/

日付Mon Dec 13 04:30:08 2004

1169

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
ゴジラは1954年版の第一作があんまり名作なもので、そのあとのシリーズはどれをみても見劣りがしてしまい、ついつい見てないのでした。平成ガメラシリーズはストーリーのつくりがよいのでついつい見てしまいましたが。
ちょっと下の369あたりを見てみるとナベちゃんの書き込みがいっぱいあるのだけれど、あらためて読むと何だかシミジミいたします。

日付Sun Dec 5 21:11:43 2004

1168

おなまえ
蓑田
--------
メッセージ
 子供を連れて「ゴジラ・ファイナル・ウォーズ」を見に行
きました。結論を言うと、単独のゴジラ映画としては、ここ
数回の中で、一番、笑える映画です。
 監督の北村は「誰も観たことのない、新しいゴジラを撮り
たかった」と言っているが、確かに新しい作品にはなってい
ると思う。それはゴジラ作品として新しいのではなく、ゴジ
ラシリーズでゴジラ作品としてもはや成立していないために
「新しく」感じるということであり、過去とのつながり、も
しくはファイナルらしさを期待する向きには、残念な内容だ
ろう。でも、おもしろければ、OKである。

 まず、特殊技術・設定は、マトリックス、Xメン、キル
ビルのパクリ。
 しかし、オリジナルなのは、徹底してプロレスのノリを貫
いていることだろう。ゴジラが一人バロルロワイヤルで、次
々と怪獣(アンギラス、タランチュラ、ラドン、キングシー
サー、ガイガン、カマキラス、ジラ等々)を倒すが、まるで
鬼神・猪木がアクラム・ペールワンの腕を骨折させるがごと
く、社長パンチをくりひろげる。強い。強すぎる。思わず敵
のX星人も、ジラを「マグロばっかり食べているから負ける
んだ」と宣う。だいいち、ドン・フライや、船木成勝が出て
いるんだ。この監督がプロレスを好きなのは、伝わる。
 古い設定では、海底軍艦「轟天号」が登場し、マンダをや
っつけていた。
 なお、怪獣総集合と思いきた、ビオランテ、キングコング
は出ていなかった。ま、ムキにならなければ、前作、前々作
のメカゴジラのシリーズよりは、断然ましである。ゴジラが、
アンギラスのサッカーボールを、キーパー役としてはずのの
は、「シェー」以来のオフザケだ。
 ついでにいうと、音楽は元ELPのキース・エマーソンで
ある。火の鳥といい、仕事を選ばないヤツだ。


 翌日の、温水プールでは、さっそく、うき輪を2つつけた
わたしが、「轟天号」の役をして、長男と次女がマンダの役
で私の体に巻き付き、私がグルグル水中で回転して、どこま
でツイテコレルカの「轟天号」ゴッコをしたら受けていた。
 ただし、その次に調子に乗って、3人でどこまで息が続く
かの「死体ゴッコ」(うつぶせで水に浮かんで死ぬふりをす
る)は、プールの警備員が過剰反応して、騒ぎになったため、
次回以降は、こっそりとすることになった。

日付Sun Dec 5 17:01:12 2004

1167

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
コスタリカのDVDをみていて思うのは国家予算の25%が教育予算につぎこまれ、給食と義務教育はほんとうに無償なんだそうな。軍隊という金喰い虫をもってないとこういうところに国富を投入できるなあとね。この点では我が国は世界三位の軍事大国だから、予算の点と周囲の国に与える脅威の点では軍のもつ害悪はそっくりそのままではある。もっとアタマいたいのはそういうオモチャがあると使いたがるガキが後をたたないことである。ただしコスタリカが廃止したのは「常設の」軍隊であって、非常時には招集できることになっているから、実在する国家の制度はよくもわるくもその程度ではある。
しかし、この「常備軍」というやつがタチの悪いシロモンではある。それ自身の存在意義を捏造しようとしちゃうわけだから。すまん極めて抽象的な感想である。
もっとも『解放』されるまえのフセイン政権下のイラクでも、上下水道と医療費、教育費は無償だったというからそういうことではないのかもしれないのだけれども。

日付Sun Dec 5 00:06:51 2004

1166

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
とりあえず、校内暴力とか、少年犯罪とかはぼくらのころよりはずいぶん少ないけれども、最も少なかった1990年ころよりは随分増えたそうです。しかし、ぼくらのころは学校に警察を導入とかいうと、非難轟々ではありました。隔世の感がありまする。
さて、【名無しの権兵衛】はこのcgiのdefaultでありまして、いちいち、クッキーをセットして、読み込ませるなんぞというプログラミングが面倒くさかったからであります。いや、手抜きですいません。

日付Sat Dec 4 17:54:48 2004

1165

おなまえ
蓑田
--------
メッセージ

「名無しの権兵衛」でなく、「蓑田」です。
このPCなんで、デフォルトが「名無しの権兵衛」
なんだろう?

日付Fri Dec 3 07:39:44 2004

1164

おなまえ
名無しの権兵衛
--------
メッセージ
 先日、長女の学区の公立中学で、入学予定者(小6)の
親に対する説明会がありました。長女は、私立女子中学
へのお受験だが、落ちたら、その公立中学が進学先とな
っています。

 その説明会で、配られたチラシによると


[2] 全国的な中学生の問題事象の傾向について
  ・問題行動事象の件数は戦後第4のピークを迎えています。
  ・地域格差がなくなっています。全国どの地域でも同じよ
   うな事が起こっています。
  ・ごく普通の生徒が突然大きな問題行動を起こす場合が見
   受けられます。T
  ・いきなり型(短絡的〉非行の増加が見られます。
  ・同じ生徒(グループ)が繰り返し問題行動を起こすことが
   あります。
  ・深夜俳個・無断外泊や家出の件数が増加傾向にあります。
   (プチ家出)
  ・携帯電話を利用した犯罪被害が増えてきています。
   (出会い系サイト等〉   」

 と、問題行動が全国で発生しているとなわれている、前置きした上で



[3]最近の○○中学校の状況について
  ・校内では、比較的落ち着いて学校生活に取り組んでいる状況です。
  ・体育大会や文化祭などいろいろな行事に積極的に参加し、全員の
   力で素晴らしいものをつくりあげています。
  ・とても元気で、活気かあります。昼休みには半数以上がグランド
   でバレーボールやサッカーなどして体を動かしています。
  ・授業中は数年前に比べると集中して学習できています。
  ・けんかや悪質ないたずら、喫煙等、やや気になる行動が見られます。
                               」

母親の一人が、質問
「喫煙とは、どの程度ですか」
「タバコの吸殻が、毎日、構内に落ちています。常習の1名は、小学校
 3年生の時から吸っているようです」
「この前、救急車が中学校に入ったようですが」
「それは、生徒同士でけんかがあったためです。悪質な場合は、警察を
 呼びます」
「付近の団地の駐輪場に、中学生の自転車が止めてあるようですが」
「自転車通学は、本学では禁止していますが、近くの団地に勝手に
 とめている生徒がいます。もちろん注意していますが、ご父兄か
 らも、のらないように、指導してください」

 なお、毎月の学校通信がHPにあるので、そちらをみてほしいという。
昔と違って、隠さず、まずは事実をありのままに伝えるよおうにしてい
る、という。

 子供の成長は、家庭と地域と、学校の3本柱(僕の卒論が、近代日本の
 農村における子供の発見と、大人<1人前>基準の変容)だったが、い
 まや、家庭が壊れた一家が多くなり、地域(ギャング集団、爺さん・お
 ばあさんの視線)は薄れ、そして、学校は消防車・警察と地続きになっ
 た。
 
 まだ、僕の家は、私立中学へ逃走するという選択肢があるが、公立中学
へしか選択肢がない家庭もあるだろう。もちろん、公立中学から、洛南高
校、洛星高校に入学する、まじめな子もいるが、総じて、損な環境である。
 これが、中教審教育(1971年以降)のツケだ。
 学校のよい風土は、継続するのは難しいが、壊れるのはすぐだ。そして、
一度、壊れると、回復は容易でない。
 




日付Fri Dec 3 07:38:13 2004

1163

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
またまたMLでおもしろいのを貰ったのでちょっと見てちょうだい。
事情は諸外国でも似ているのねのね。
======ここから=======
[TUP-Bulletin] TUP速報414号 ドナから豪首相への手紙 04年11月28

Schu Sugawaraさんのメッセージを転送します

バグダッド入りをはたしたドナがハワード首相につきつける命がけの糾弾
======================================
 4月、米軍包囲下のファルージャに、人道救援活動のために入り、その帰路、地元
のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マルハーンが、24
日に再びバグダッド入りし、そこから送っている現地報告を継続してお送りします。
この第2信は、マーガレット・ハッサン [注:「TUP速報409号 殺害された人
質からの家族の手紙」参照] でさえ殺害される現地から、対米追従路線を改めないジ
ョン・ハワード首相に送った命懸けの糾弾の書簡です。
                          (翻訳:萩谷 良/TUP)
======================================

ドナ・マルハーン
オーストラリア首相ジョン・ハワード氏への手紙
2004年11月25日

親愛なる友人の皆さん

きょう首相に送るつもりの手紙です。皆さんにもCCでお見せしたいと思います。オ
ーストラリアを発った日に200人くらいでやった平和集会で、読み上げました。み
んなに、私の首相に対する要請の証人になってもらいたかったのです。このメールを
読む皆さんも証人になってください。

親愛なるハワード首相殿(CC ダウナー外相殿)

私がバグダッド帰還の途につきましたことをお知らせしたく思います。イラクのたく
さんの家庭の苦難を軽減するための人道的援助の仕事を続け、あの国の人々に状況を
報告し、平和のメッセージを送るためです。

過去20カ月で、イラクに行くのは、これで3度目になります。

最初に行ったときは、有志連合諸国が侵略する前でした。私は、驚くほど暖かく迎え
られ、絶大なもてなしと友情を受けるばかりでした。

あの頃は、イラクの人々はオーストラリアを愛し、賛えていたのです。

2度目にイラクに行ったのは、占領されてすでに半年ほどになったイラクでした。そ
れでもなお人々は大いに私を尊重して、受け入れてくれたものでした。人々は、私の
ようなオーストラリア人からの援助に感謝の気持をもっていましたが、あなたが与え
る「援助」に対しては同じ気持をもたなかったわけです。

滞在の終わり頃には、イラクの人たちは私に「なぜオーストラリアが我々に危害を加
えようとするのか」とか「あなたの国の政府はアメリカにくっついていくのか」など
と尋ねるようになっていました。

あの人たちとの友好的な関係が変質するのを、私は感じました。暖かさが消えてしま
ったのです。

今回のイラク訪問では、私は通りを歩くことができないでしょう。あけっぴろげの歓
迎も受けないでしょう。その代わりに不安と疑いに迎えられるでしょう。

ハワード首相、私はオーストラリア人であるために、大変な命の危険にさらされてい
るのです。

私たちにとってまったく脅威ではない国を侵略するという、あなたの決定が、一国民
全体の怒りを招き、その人たちを大変な混乱に突き落としてしまったことが、おわか
りですか。

ここでひとつ、あなたにお願いをしなければなりません。私は2004年12月の間じゅう
イラクにいますが、謹んでお願いいたします、どうぞ、その間、あなたの口を閉じ、
この侵略について熱意をこめて語ったり、占領を賛えたりなさらないでください。

あなたやダウナー氏の発言がイラクはじめアラブ全体のマスコミで大々的に流されて
いることに、あなたはお気づきでないかもしれません。

わたしはイラクで無事でいるつもりですが、反乱グループのどれかに捕虜として捕ま
えられても、そのとき私の命を救ってくれるものがあるとすれば、それはあなたとあ
なたの政策に反対してきた私のこれまでの経歴でしょう。それが私の唯一の希望です


もしそのようなことになったならば、うわべだけ私の身を気遣うような言葉は一切慎
んでください。イラク国内のどんな集団とも連絡を取ろうなどとはしないでください

私を「救出」しようなどとはなさらないでください。

それよりも、前回のときのあなたの、私を愚かで無責任だという、誤った情報にもと
づく侮辱的発言を変えずに繰り返していただきたいと思います。たぶん、あなたが私
を批判するのを聞けば、抵抗勢力の人たちは、私が何か正しいことをしているのだと
思ってくれることでしょう。

これは本気でお願いしているのですから、どうか、これは守ってください。私のこの
お願いの件は、バグダッドのオーストラリア大使館のほか、私の家族や友人の広範囲
におよぶネットワークにも伝えます。

私はこのような状況のなかに、何の準備もなしに入っていくのではありません。自分
の身の安全には徹底的に注意を払っており、必要な場合には オーストラリアその他
の国のイスラム教徒たちが私のために擁護の動きをしてくださる手はずは整えてあり
ます。

私の引き受けようとしている危険は重大なものです。そのことはよくわかっています
が、私はそれが必要だと考えます。

イラクという素晴らしい国全体に言うに尽くせぬ苦難を引き起こした占領にあなたが
言語道断にも参加して、私たちの国にひどい恥をかかせたと私が言うとき、私は何百
万ものオーストラリア人の叫びを繰り返しているのです。

私はこの恥を打ち消す何かをしなければなりません。

あなたの政策とその帰結を拒否すると私が言うとき、私は何百万ものオーストラリア
人の声を代弁しているのです。

私はイラクに赴き、このことを伝えなければなりません。

あなたの軍事的関与に匹敵する友情と共感の人道的関与を必要とするということを、
私は心から語っているのです。

この思いを届けるために、私は行かなければなりません。

ハワード首相、あなたのおかげで私は、この大切な任務をもってイラクに戻るよりほ
かなくなったのです。

イラクの状況をよりよく知るため、私が現地から差し上げる生情報は強い関心を持っ
てお読みになると信じています。(あなたの政府の役人はバグダッドでは自分達の家
からほとんど出られないのですから、私は喜んで詳しい情報を無料で差し上げるつも
りです)

イラクの人々のこの占領とオーストラリアの関与についての思いを、あなたが虚心に
受け止めてくださることを願っています。

あなたに、この人たちの叫びが聞こえることを祈ります。

草々

ドナ・マルハーン

追伸 どうか、いつもいつもサダム・フセインのことばかり言うのはやめてください
。サダムなど問題でないことは、私たちみなが知っていることです。イラク人は、あ
なたが彼のことを言うたびに笑っています。どうか、誠実になり、イラク人の知性を
侮辱するようなまねはお慎みください。

追追伸 「幸いなるかな、平和をつくる者ら、その人らは神の子と呼ばれん」マタイ
福音書5-9

この手紙をお読みいただき、ありがとうございます。上書きをつけて議員諸先生にお
送りいただいてかまいません。

あなたの巡礼者
ドナ

追伸 どうぞご心配なく、私は元気です。じきにまたお便りを送ります。

追追伸 Eメールを下さった方たちにお礼申し上げます。全部にご返辞を差し上げる
時間はないと思いますが、ちゃんと読ませていただきますし、メールをいただけてあ
りがたいと思っています。

追追追伸 ラーイドが、オーストラリアのみんなによろしくと言っています

追追追追伸 「急進的な変革は、政府間の交渉ではなく、民衆の強制によってのみ行
われる」(アルンダティ・ロイ)

                     (全訳 萩谷 良/TUP)

原文
http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/120


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
TUP速報
配信担当 菅原 秀 Schu Sugawara
電子メール: TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp
TUP速報の申し込みは: http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/
*問い合わせが膨大な数になっています。ご返事が書けない場合がありますので
ご容赦ください。
======ここまで=======

日付Wed Dec 1 00:40:14 2004

1162

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
コスタリカについては警察が軍隊のしていたこと、およびOASの仕事などはかたがわりしているとのことで、悪くいえば、軍が警察という名前で民政をやっているともいえるわけですが何分軽装備、(小銃のみ)および、航空機が全四機とのこと。DVDの付属冊子によると。なので外交上のヨコグルマとしての機能と内外人民への虐待は相対的にかなりましらしい。
1980年のニカラグア革命に際してはアメリカから、干渉勢力として武装するように圧力があったけれども、永久中立宣言を採択して拒否、しかし、コントラの基地を置くことについては譲歩せざるを得なかったそうで、なかなか大変そうです。
よくいえばスリリングな悪くいえば危うい綱渡りの連続のようです。

>>小田実が、

あああ、そうだった、読んだ。実は知ってたわ。今が今まで、てっきり忘れてた。当時は「ふーーん」程度にしか受けとめていなかったのね。

日付Tue Nov 30 22:23:21 2004

1161

おなまえ
とだおっとせい
--------
メッセージ
コスタリカのことは、1980年代前半に小田実がよく書いていました。
当時僕は旧ベ平連系の「日本はこれでいいのか市民連合」系の集会によく行っていた、小田の本をときどき読んでいたので、そういう国かあると言うことは知っていた。

何かの時に小田と会話する機会があって、コスタリカのことを詳しく聞かせてもらいました。細かいことは忘れたけれど、まったく武力を持っていないわけではなくて、警察予備隊みたいのはある、と言っていた。

日付Tue Nov 30 19:49:38 2004

1160

おなまえ
蓑田
--------
メッセージ
 ぼくの発言に「リード」が必要でしたね。18歳のころ考えた、と。
こちらも、余計な誤解を与えてしまったようだ(一貫して過去形で書いたの
ですが)。


1.なんで「コスタリカ」が見えなかったのか

 さて、まさに、18歳のころ、「非武装中立が現実的とか非現実的とかなど
というはなしがされ」ました。つらつら思い出すと、1980年韓国の光州で
反朴の闘争が行われたころ、清水幾太郎という学者が「日本よ、国家たれ」と
いう、日本自立の論を中央公論の5月号だったかに発表し、世界、諸君、文芸
春秋、思想の科学、朝日ジャーナル等で、まさに論壇あげての騒ぎになりまし
た。のちに、世界文化フォーラムという香山健一などの右派系の文化団体が、
後押ししているという話を聞いたが、そんなこともしらずに、論壇は一気に
国家主義的言動が主流になってしまった。これに危機を抱いた1980年当時
社会党元書記長だった石橋政嗣(後に中曽根政権の不沈空母発言時に委員長に
なる)が、社会新報に連載していた持論を、緊急出版したのが『非武装中立論』。

 (高校の政経倫社のレポートに、経過をまとめたのでよく覚えています)。

 その当時でも、コスタリカの存在は言及されていなかったと思います。共産
党は、武装中立だし、新左翼諸党派も同様。社会党、それも、石橋と土井のラ
インだけじゃなかったではないですか、非武装中立をまじめに論じていたのは。
向坂協会派は、ソ連よりだから、武装だし。その社会党も、コスタリカの存在
はつかんでなかったと推測します。

 日本読書新聞かなにかが唯一、ベンヤミン『暴力批判論』やエンンツェンス
ベルガー『政治と犯罪』を引用しながら、暴力には法措定的暴力と、法廃止的
暴力がある..って書きながら、一般的な暴力すなわち軍隊の存在を良い/悪
いといった議論で片付けられないと、前提し、さらに暴力を誰が占有するか、
それが問題で、かつ、その暴力を法措定(国家強化)でなく、法廃止(国家と
軍隊の止揚)という結果に目的的に使えば、暴力装置の存在は許される。とい
う武装/非武装をこえた、プロセス重視の論を張っていました。少数だけど。
この路線が、今思うと、赤へルですね。暴力を廃止する「暴力」は存在する
という論。

 時代が、革新から生活保守へと転換し始めた「1980年」の時期に行わ
れた、非武装中立の論議で、なぜ、コスタリカが取り上げられなかったのだろ
うか。早乙女勝元は、そのころ日本共産党バリバリだから、知っていたとして
も「社会党ヨリ」になるから、やめたと考えられる。やっぱり、皆、ヨーロ
ッパ志向で、見えなかったんじゃないか。また、新左翼は、ニカラグアのFS
NLによるサンディニスタ革命を前年に見ていたから、武装が当たり前でした。


2.「自分だけはバリアに守られて生き抜ける」


  って、いつまでも思って、卒業できない「軍隊オタク」は、多くなったん
 じゃないですか。「丸」には、シャープな戦闘機や、フリゲート艦は出てき
 ても、第1次世界大戦で塹壕線で病で倒れる兵士(レマルク)や、サイゴン
 で公開処刑される人民解放軍戦士の写真は、ありませんから。

  1975年のベトナム戦争終了、1979年のポルポト派大虐殺までは
 戦争の悲惨さを描写する報道があったものですが、1980年のアフガン
 あたりから、戦争は見えなくなり、1990年のイラク侵攻にいたっては
 テレビゲームとなってしまったようです。

  そんななかで、ガンダムのコックピットや、EVAのエントリープラグ
 は、主人公は安全だという戦争への捉え方を植え付け(武器にエアバック
 みたいな便利なものは無い)、さらには、テレビゲームでは簡単にリセッ
 トできることから、死は身近でなくなったと思います。

  こに風潮は由々しき事態でありまして、親としては自分の息子、娘には
 見せてやらねばと、広島の原爆博物館に連れてゆき、ケロイドの人形を観て、
 長女は泣きながら出てきました。けして、うちの子は、千羽鶴には、放火し
 ないでしょう。次は、長崎の博物館で、放射能による「無脳幼児」のホルマ
 リン付けである。


日付Tue Nov 30 17:25:29 2004

1159

おなまえ
micmic
--------
メッセージ
恥ずかしながら、micmicはエヴァンゲリオンはLDで全巻もっているし、パトレイバーももっているし、「NHK新八犬伝」はDVDを買ってしまったし、吉川英治の三国志は小学校のころ全巻読破したし、プレステはもってないけれども、スペースインベーダは名古屋打ちが得意で20面以上クリアしたし、ヨメハンのSFマガジンを横からとってパラパラと読んだりするほうではありますが、こういう趣味は定冠詞「恥ずかしながら」をつけることによって、その淫靡な楽しみを増すものではありますし、他人様の御迷惑にならない範囲で、できれば机の下か休日、終業後にひっそり楽しむというのがリクリエイションとしての正しい場所ではあります。
ようするにラムズフェルド氏とか、阿部氏、石破氏のごとき、エラい人が国家予算で「兵隊ごっこ」をやることと、そういうやつの兵隊ごっこをトチ狂って支持しちゃったりすることが問題なのであります。庶民のささやかな娯楽はそれがさささやかな娯楽として自覚され、定冠詞「恥ずかしながら」が乗っているかぎりイインじゃないでしょうか。でも開きなおられたりするとちょっとアレではありする。このゲームの感覚で、現実の日中関係や、イラク問題が語られると、「オイオイ」ってなことになるわけでして。
さて、本題。二十年まえ、わたしが非武装中立の先例を捜そうとしなかったのは本当にやっている国が存在することを全然知らない、という無知のなせるワザでした。先例といって検討するのはいつもいつも欧米ばかり、せいぜいがスイスの武装中立くらいでしょうか。実は、4,5年まえまで気づいてなかったバカ者がわたしなのです。
そんなわけで、「どうして」という疑問文のかたちで提出したため誤解を呼んでしまいましたが、じつは「あああ、馬鹿者であったああ」という主旨の感嘆文だったのでございます。おさわがせしてすいません。


日付Tue Nov 30 10:49:15 2004

1158

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
> 今は思っていません

これは僕の読み方が足りなかったようで失礼をいたしました。ごめんなさい。
趣味に貴賤はないとしても、人に話せる趣味と話せない趣味は分けてもよいような気がします。僕にとって人殺しの組織に対するフェティッシュや、殺傷道具に対する美意識は、他人に見せてはいけない、恥ずかしい領域のように思われるのです。というか、そうであってほしい。「恥ずかしい趣味」の行き場を奪おうとは思いません。それはかえって危険だから。こっそりとやってほしい。その方が楽しいのではとよけいな想像もしてしまいます。

「生の人」と出会うことが大切だってのはその通りだと思うのですが、自分だって「生の人」だし、家族や友人の中で日々暮らしていながら、戦闘に巻き込まれてババ引くのが自分だってことが、なんで分からないのかしらね。自分だけはバリアに守られて生き抜けるとか、愚かな方向にのみ想像力が発達してしまっているような気がします。

日付Tue Nov 30 09:21:30 2004

1157

おなまえ
蓑田
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メッセージ
あらら。「その昔」というから、「その昔」の時点で、自分の歴史をふりかえり
「何故なんだろう」を考えたのですが。「趣味としての軍隊」「銃はかっこいい」
と、今は思っていません。三里塚で、甲山裁判で、ウトロで、元富士で「ひどい
目に遭遇している人たち」の生の姿に接すると、軍隊の無い世界、銃のいらない
世界を求めるようになりました。同時に、銃を考えるセクトからも脱落し、
ぼくの新左翼時代は、おわりました。
 「趣味としての軍隊」を脱するには、生の人と会うこと。会わなくても、戦闘
にいや応なく巻きこまれる、非戦闘員たちへの想像力をはたかせられるようにな
ることが、個人的には有効かと。エヴァンゲリオンごっこでコアへの攻撃だ、と
やっている子供らに、「ベトナムから遠く離れて」を見せたら、かわいそうだね、
と言っていましたから。

 なお、ぼくは(構造主義者ですので)趣味そのものには、「恥ずかしい/恥ず
かしくない」あるいは、「貴賤」はないと思っています。だからフェチでもいい。
ただし、あるのは「その趣味が、場所、時とふさわしいか」のマッチングだけ
です。「恥ずかしい趣味」といいだしたら、少女まんが、筒井康隆、プロレス、
コミケ、未来少年コナン、澁澤龍彦、マルペ、宝塚歌劇団、マツケンサンバ、
稲垣足穂、などのエンタメは、行き場をなくします。

 「通過儀礼としての軍事ごっこ」の段階があってもよいと思いますが、
それこそ、赤軍は大人になるのが遅れて、大ぼさつ峠で首相官邸占拠を夢想し、
ピョンヤン、PFLPで海外拠点を妄想したわけで、重信房子の人としての
生き方は感心をよびこそすれ、「自分の机の下で戦争ごっこ」をしてほしいのは
彼らでは無いでしょうか。

 micmicのご指てきの通り、あたしは、もっぱら、WIN/WINの商売
が今、おもしろいですわ。まだ、趣味の域までは達してませんが。


 でもって初期の発話「それでは先例を検討しましょうというはなしにな
らなかったのは何故なんだろう」については、どうお考えですか。

 なお、地域の中学校で興味深いチラシが、入学予定者にわたされ
ましたので、その生情報は、いずれ紹介。

日付Tue Nov 30 07:19:52 2004

1156

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
僕は、「趣味としての軍隊」とか「銃はかっこいい」というのが、ロリコンみたいな一種の「恥ずかしい趣味」であり、自分がそういうフェチの持ち主であることを表だって言えない雰囲気を作りたいと思いました。こっそり自分の机の下で戦争ごっこやってて下さいです。

日付Tue Nov 30 00:48:48 2004

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