はげましのお声、ないしは罵詈雑言ありあり版
1155
おなまえ
micmic
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メッセージ
歴史を勉強することでしょうか。問題は帝国主義戦争を軍記とヒーロー群像の世界と誤解することから出発するわけだから、戦争は戦士たちの血沸き肉躍る合戦絵巻ではなくて、権力によって刈り出された人あるいは扇動に乗せられてひっぱり出された人が自身がひどい目にあわされながら、また無辜の庶民を虐殺する場面であったし、それでゼニ儲けをし、権力を拡張するのはそれとは別の富裕な人々であるということを理解してもらうしかないんじゃないでしょうか。
どうしてもゲームから卒業できないタイプならば、軍事力にモノをいわせて恫喝をかけ、一方的に相手の譲歩をひきだそうとする子供っぽい棍棒外交でなく、相手の利益をはかりながら、あわせてこちらの利益をはかる大人の外交ゲームで楽しんでもらうとか。とりひき先をダマしたり、ひどい目にあわせて、自分の利益を最大化しようとする子供の商売から、顧客満足度をあげることによって相手と自分の両方の利益をはかる大人の商売ゲームに成長してもらうとか。ゲームはおおむね禁じ手があるほうが、スリリングになりますから。
でも、やっぱりダメかしら。ドンキホーテは500年くらいでは目覚めないのかもしれません。
日付Mon Nov 29 21:51:21 2004
1154
おなまえ
micmic
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メッセージ
>>「趣味としての軍隊」少年をうならせる、反軍隊の考えはあるのでしょうか。
すいません。ないです。わたしとしては国家権力によって生命の危機にさらされている人の実力抵抗と国家による軍隊の国内、国外のPeopleに対する蛮行を「軍」の一言で同一視されてはもはや何もいいようがないのであります。たぶんその手の軍隊ごっこがしたい人のお楽しみにリッダ闘争が称揚されては少くとも『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』を読むかぎり、リッダ闘争に参加した人々は悲しみそうな気がします。
かつて世界一の鉄砲生産国であり、かつ使用国であった我が国が突如武装を解除し、「百姓がむざと殺されぬ世」にした一点で江戸幕府はえらいと思うのですが、たぶん戦火に疲れた民衆もまたそれを望んでいたような気がします。ぼくが歴史(本)から学んだことは為政者が権勢かなんかを争ってケンカするとそれでババを引かされ、ヒドいめにあわされるのは庶民だということです。
おそらく、もっともタチの悪いものは『おとこのこの大好きな兵隊ごっこ』をエラい人々がやることでしょう。
ところで、権力者に対する揶揄が痛快であるとしても、弱者・少数派に対する揶揄は揶揄するものの品性の下劣を示すに過ぎないように、「どういう立場にあるものが、どういう立場にあるものに対して」、というエレメントは無視されてはならないような気がします。
日付Sun Nov 28 22:05:15 2004
1153
おなまえ
蓑田
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メッセージ
あ、もちろん川原泉の『メイプル戦記』も好きですよ。
日本ハムよりも先に、札幌に野球球団作りましたね。
日付Sun Nov 28 20:07:57 2004
1152
おなまえ
蓑田
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メッセージ
高校3年生の時に社会党の石橋さんの『非武装中立論』が出て
同級生から勧められたが、あまりそそらなかった。
一つには幼少の、浅間山荘銃撃戦の余韻が続き、「銃はカッコ
良い」という遊び心があり、また、他方、『ガリア戦記』や『第
2次世界大戦録(チャーチル)』『三国志演義』といった戦記物
が大好物だったから、軍隊をなくすよりも、どう軍隊を動かすか、
どう動いたら情勢が変わるかに興味があったせいだ。
もちろん、そこには、自分が軍隊の一員として行って死ぬとい
う可能性もある。そのとき、「京都−大阪戦争」「リッダ空港」
で戦争を実行した日本唯一のコマンドたち、赤軍の姿をみると、
自分が目標のために死ぬ可能性も込み込みで、戦記物が好きだっ
た。
大友と矢作の『気分はもう戦争』は、高校の時の漫画アクショ
ンの連載だったが、「おれは好きで戦争やっているんだ」という
セリフは、アフガニスタン侵略の情勢下にもかかわらず、蓑田は
当時、うんうんと納得したもんでした。
だから、入学と同時の4月末、時すでに大学に赤軍はなく、次
なる選択枝として「日共左派の末裔」を見つけた。もう時効だが、
とある国際空港で、そこが持つ合宿所で、夏の援農のときに、火
炎ビンを指導を受けつつ作って、それを深夜に投げこみに行った
ときは、ドキドキして楽しかったもんです。充実感。また、その
セクトの親玉から永田洋子さんとの論争(まだ早いよ、ひろこち
ゃん。/でもわたしはゆきます)を聞くと、臨場感あふれるドラ
マでした。
ぼくとしては、「趣味としての軍隊」という深層心理も手伝っ
て、軍隊をすてた国の事例を見る、という検討はありませんでし
た。考える手順としては妥当だが、軍事少年としては、おもしろ
くないのだ。
「趣味としての軍隊」少年をうならせる、反軍隊の考えはある
のでしょうか。
日付Sun Nov 28 19:57:59 2004
1151
おなまえ
micmic
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メッセージ
映画といいますとdvd『軍隊をすてた国』を見ました。非武装中立を現実に実行している国はほかにもあるけれども、憲法に明記してあるのがここなんだそうです。その昔、非武装中立が現実的とか非現実的とかなどというはなしがされるときに、それでは先例を検討しましょうというはなしにならなかったのは何故なんだろう。
日付Sun Nov 28 11:45:33 2004
1150
おなまえ
micmic
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メッセージ
ローザルクセンブルクは85年くらいに憂歌団を観にいったら対バンについていました。たしか市大の学祭でありました。もうすっかりメジャーになってまして、エラい賑わいぶりでありました
「体制密着のNHKの賞を」のくだりがなんだかシミジミといたします。そういえば、70年代、洋楽というか、ロックとかブラコンとか聞くとなるとNHKだけが頼りでパープルやツェッペリン、キスをテレビ中継する局はNHKしかなくって、FMでもFM大阪ではダメでNHK-FMだけでした。民放テレビでとなると80年代になってようやく小林克哉のアレが深夜になってでてくる始末でした。まあ、その種のロックはとっくに反体制ではなくなっていたということなのでしょうが、お上の規制以上にすさまじいものは「民間」を僭称する「資本」の自主規制攻撃でありました。
そういえば、豊田勇造のセンシミーナとかサラ金ブルースとかがかかったのもNHK-FMでした。
日付Sun Nov 28 10:51:06 2004
1149
おなまえ
蓑田
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メッセージ
ありがとう。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hanao/live-rport/hot-92.htmを読みました。
とても、熱が伝わる文章で、コアなファンが見て取れます。
で、西部公演がビデオになっているとは、おどろきです。
なお、子供連れの上、その日は大変暑かったんで、一部の途中で帰
りました。よって、ラストの「気絶」の場面は見ていません。コメ
ントを読むと、二部はさらにすごいノリだった、ようです。
ぼくは、29歳の「青年」最後の年で、すでに、ライブに体力が
追いつかなくなっていました。腹も出てたし。
「橋の下」は、貴殿から拝見した歌詞をみると、ヘロインの
歌だったのか。いい詩ですね。
日付Sat Nov 27 19:23:47 2004
1148
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
西部講堂ライブは
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hanao/live-rport/hot-92.htm
これですね。
終わった瞬間に気絶したってのがカッコイイ。
『橋の下』はこんな歌詞。どんとの歌の中では5本指に入るくらい好きな曲。
こんなとこ来たことないけど なぜか来たのが 橋の下
真っ暗でだけどよく見りゃ おやじひとりでなにしてる
そっと座って聞いてていいかい?静かに響く川の音
長い髪軽くまとめて 顔をよく見りゃいい男
真っ黒のカバン ゴソゴソ 取り出したのが花の種
汚れた水だってきれいになるよ 2人で植えた けしの花
なんにもないけど 橋の下 なんにもないけど 橋の下
川なんか見たことないのに 渡ってるよと橋をゆく
橋なんか用がないから 今日もここで2人きり
お花が咲けば 元気になるね
あしたもくるよ 橋の下
なんにもないけど 橋の下
日付Sat Nov 27 18:43:20 2004
1147
おなまえ
蓑田
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メッセージ
「おなまえ」の修正。
「名無しの権兵衛」は、デフォルトで、「蓑田」のまちがい。
日付Sat Nov 27 17:56:59 2004
1146
おなまえ
名無しの権兵衛
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メッセージ
当時の1回生の編集員とともに、ローザにインタビューしました。
1984年6月16日号より
「6月2日 同志社学友会館ホールで行われたコンサートで、ローザ=
ルクセンブルクがやっていた。聴衆はは600人強。アンコールでは
興奮したファンがたち、花束がおくられ、ローザの作るリズムにそこここ
で衝かれたように、体をゆさぶる人たちがいた。ローザ=ルクセンブルクは
久富隆司(21)<ボーカル・ギター>、玉城宏志(26)<ギター>、
永井充利(22)<ベース>、三原重夫(24)<ドラムス>の4人編成の
バンド。ちなみに皆、京大軽音楽部に所属し、学生は3回生の久富氏、
あとは社会人である。過去1年ほど活動をしていて、ひとつ売り出そうと
NHKのヤングミュージックフェスティバルにデモテープを送った。
この賞は、過去NHKの地方のFM局により行われていたもので、今年
から初めてバンドを呼んで本格的な審査が行われたものである。従って
あまり有名ではないが、しかし、厳しかった予選を勝ちぬいてローザは
金賞を獲得した。週刊誌などにも取り上げられ、彼らの名前は一躍、
有名になった。あの体制密着のNHKの賞を? でもNHKの人にも
良心的な人がいることがわかったよ、とローザの面々は言う。このバン
ド名でもOKなんだから。
彼らの音楽はどういうものだろうか。パンクということはできない。
かといってエスニックというと、それには収まりきれない。しかし、
基本的にはロックであるという。『ヘヴィメタルのように力任せでは
ないが、タイトな演奏だ。影響をうけたアーチストは、メンバーによって
いろいろだそうだ。目標とするアーティストは作らないという。
それにしても、彼らの詩はカゲキだ。めがねのおじさんが出てきたり、
路上で活動するある種の宗教団体でてきたり。放送コードに引っかかる
ような映像をバックに演奏する。彼らのナンバーを拾ってみよう。
『造反有理』『非国民のすすめ』『ストリートファイティングマン』
等々。
しかしながら、今、ロックというメディアは力を持ち得ているだろ
うか。60年代ロック。パンクロック、みな反体制でありながら、風
化していったではないか。この点、彼らは心得ているようだった。
政治的であるならば、演説でもして表現すればよい。でも、自分た
ちがやるのは音楽だ。音楽で世の中は変わらないだろう、でも『人間
は変わることができる』というジョンレノンの言葉を口にした玉城氏
は印象的だった。
日本に文化はない、日本のロックはまだなにもやていない、と極論
するローザ。だから、まだまだ、いろんなことがやれる、と。
世紀末に疾走するする日本でローザのつくるビートは、なにを刻む
のだろうか。さあ、ギグへ行こうぜ。
ローザ講演予定
6月24日 精華大学
6月25日 渋谷パルコ
6月30日 スタジオあひる
7月 8日 CGBG
7月10日 チキンジョージ
7月16日 京大西部講堂 」
(残念ながら、紙面の都合で、記念写真は掲載されなかった。反トマホークや
原理研究会の追追放決議、精神衛生法、刑法改正などの闘争情報が満さいだっ
たため。今では、価値観は逆ですね。)
上記から、ローザのギグには、編集員は全員、CGBGか西部講堂に
いって、はまっていたのです。中国帽子も流行していたので、相しょう
がよかったのか。特段、伝説とは思わなかった。
そして、BO/GUNBOSになっても、西連協のDMで、無料のコ
ンサートを知って、西部講堂支援で、どんとが帰ってくるというから、
いったまでです。丸太町あたりで、トラックの上で演奏する久富をゲット
し、そのまま、西部講堂までデモの横を歩いていた。西部講堂ではひと
がいるだろうか、と不安だったが、そこには3000人を越える観衆と、
巨大な風車が回っていて、やったあ、という感動。
なお、『橋の下』は、なんにもないけどはしのしたあ、という感じで
歌詞はよく覚えていないです。
それと、高橋さちほは、2名の名前が混乱。正しくは、小嶋さちほ。
日付Sat Nov 27 17:55:54 2004
1145
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
おお、蓑さまはあの伝説のライブを目撃したのですね。
なんとうらやましい。
それはそうと『橋の下』はホームレスの歌だと思ってましたが、違うのかな?
日付Sat Nov 27 16:22:10 2004
1144
おなまえ
蓑田
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メッセージ
今朝、先行上映の「Mr.インクレディブル」を小3の長男と
小1の次女を連れて見にゆきました。まえからのお約束。
でもって、感想は「○」です。ピクサーは作りが丁寧ですね。
スーパーヒーロの一家が、スーパーヒーローをねたむ悪の「オ
タク」と戦う中、じょじょに一家のきずなを高めてゆく、という
話で、途中に、いくつも、大笑いするネタが仕かけてあります。
内容は見てのお楽しみ、ですね。
シネコンを出て、レコード店を眺めていたら、懐かしい顔の
ポスターがありました。おお、久富隆司じゃん。というのは、数年
前に亡くなった、ボーカリストで、「どんと」というニックネーム
の男。ぼくと同じ年の入学で彼は工学部だったと思う。隣の軽音
BOXで、がなり声を出していた、と思ったら、NHKのコンクー
ルで入賞して、拾得、西部講堂、同志社学館ホールと、あれよあれ
よあれよ、とメジャーデビュー。デビューの時には、メンバーを入
れかえ、バンド名も、ドイツスパルタカスブンドの「ローザ・ルク
センブルク」という名前になっていた。大学新聞でインタビューも
した。
そのバンドは、あっ、という間に解散したが、四条の元祖こじき
を歌った「だけどジュリー」や、捨て子の歌の「橋の下」などがよ
かった。彼の連れ合いは「東京ロッカーズ」の女性だけのバンドの
ZELDAの高橋さちほ、だった。西部講堂つながりか?
今の嫁とは東京の日清パワステでZELDAを、神戸チキンジ
ョ−ジで、次のバンドBO/GUNBOSを、さらに長女は、赤ん
ぼの時にぼくが背負って、西部講堂フリフリコンサートを大音響で
聞いた仲だ。久富が、トラックに載って東大路から講堂前に入る、
その瞬間、背筋に電気が走るくらい、カッコよかった。
ポスターは、BO/GUNBOSのトリビュートアルバムの
宣伝で、来年の発売らしい。なにやら、天国にいるようなポス
ターだった。これも、楽しめそうだ。
日付Sat Nov 27 13:24:58 2004
1143
おなまえ
micmic
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メッセージ
結局のところ、われわれにとって都道府県というものがいかにイメージが小さいかを感じた次第です。小倉と久留米と博多が同じ福岡県にあって、佐賀はとなりの佐賀県にあること、対馬、壱岐が長崎県にあることに意義を感じる人はそう多くはないのじゃないかしらん。
日付Sat Nov 27 10:14:07 2004
1142
おなまえ
micmic
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メッセージ
ある土地がどの都道府県に属するかということは行政上は重要なわけですが、どうも関心のわかないはなしではございます。実は都道府県を覚えるまえに国制を覚えてしまい、熱海というと伊豆の東端という雰囲気がします。同様に信州軽井沢というと信州佐久から碓氷峠に向い、浅間山の山麓かとそういうイメージです。なんというか、和歌山といったときに紀ノ川河口の都市・和歌山はイメージしても和歌山県をイメージすることは稀で、同様に神奈川というのは相模東方の小都市の名前に感じます。高知といわれて高知県をイメージしないでしょう?日本史のドリルなんかでは平将門の地盤をとわれて、下総だからといって千葉県を選ぶとブーで猿島郡石井のあたりは茨城県だったりするのですがナンだかね。
ただ近畿人の傲慢は白状しなければなりません。たしかに不破の関の向こうには鬼が住むとか、箱根の関の向こうは化外の地といった漠然としたイメージはすりこまれています。失礼なこと夥しいはなしではあります。無意識に関東一円に田舎くさいイメージをいつのまにかもっていたりします。
さて面白うございましたのは蓑田さんのみならず、御令嬢、御子息までもが関八州の入口として箱根をイメージしたところです。もちろん関八州人にとっては出口なわけですが、やはり現代でもここが境目となるのですね。たしかにあの峠にはこちらとあちらを隔てる隔壁のイメージが強烈にあります。
日付Sat Nov 27 09:58:03 2004
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おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
僕も大学に入る前は、東から神戸→京都→大阪の順番だと思っていたし、鳥取と島根は逆だと思っていたし、米子は島根だと思っていたし、エベレストはアメリカにあると思っていたし、そもそも地球人は地表ではなく地球の中に住んでいると思っていました(幼稚園の頃)。
その本は以前立ち読みしたが、あまり意外性を感じず購入意欲はそそられなかったので放置。
日付Sat Nov 27 00:35:14 2004