autobiography # 023 時代劇ファン

  NHKの人気番組に大河ドラマというのがあり、歴史上の人物の生涯あるいは半生をネタに物語をつくるのである。小学校のころ平将門・藤原純友を主人公にした『風と雲と虹と』があった。平将門はもちろん下総の豪族で関東八箇国の国衙を襲って印鑰(いんやく、倉庫の鍵、すなわち国司の権限の象徴)を奪い、自ら新皇となのり独立国をつくった人である。が独立後まもなく同じ関東の豪族、田原藤太、藤原秀郷に敗れ横死し、怨霊となって天に昇ることになる。

  さて、この将門、実際のところ親族との土地争いに明け暮れ、戦争ばっかりしているのにどういうわけかやたらと農民、民衆に慕われるというわけのわからない設定であったが、前提としては国司・中央政府=重税を搾りとる悪いやつ、中央貴族=武士・農民の開墾した土地をなんだかんだで取り上げるウジムシ野郎という了解なのである。彼ら悪者のお蔭で将門は「土地は人民のもの、その収穫は耕作者のもの」というイデオロギーをふりまわし、その人民の権利の擁護者として武力をふるう、というわけなのであった。 そして中央政府への謀反あきらかとなっていうことには「公が腐るとき、民びとは腐り切った公をもっとよい公ととりかえてよい。」である。

  独立国家坂東王国が生まれ、京都の藤原政権が討伐軍をおこすと関東の豪族である藤原秀郷を平貞盛が説得。

  「追捕使と将門が正面から激突、坂東中が焼野原だ。あたしにはそれが目に浮ぶようだ。そうなる前にわたしたちの手で坂東を守りましょう。民びとはいまは将門をありがたがっているが、あたりが大混乱になったときにはやはりより強い権威にすがりたくなるものだ。そして、そのより強い権威とは公(おおやけ)だ。あたしは何も公の真の姿をいってるんじゃない。公が腐り切っているのはあたしだってこの目で見て知っています。あたしが言っているのはそうではなく、民びとの心の底にある公だ。」

  斯くして、秀郷と貞盛は将門に与するのは不利という政治的判断を経て、将門が農期のため兵を各地に帰すのを待って旗揚げ、合戦、討滅成就となるわけである。しかし、将門が一族郎党ともども皆滅したのちも将門びいきの民衆はヒーローの死を信じない。稲妻が光り、雷鳴が響くと「聞こえる。将門の殿の駒音じゃ」となってしまうのである。かくて、怨霊伝説できあがり、というわけである。

  なんと凄まじいではないか。革命権に人民主権vs権威主義である。これでは、狩衣を着た70年代人というべきではないか。この番組の放映されていた76年というころは確かに同じ千葉県で「腐った公」が権力に任せて農民の土地を奪い取っていたような気もせんではない。ところがぎっちょん、将門の本拠である猿島郡豊田や石井は下総ではあるが現茨城県なのだった。この出題を某日本史問題集で見たときにはその出題センスを疑ってしまったが。

  というわけで、時代劇というのは時代衣裳をまとった現代劇なのであった。細かいことをいうと作りの部分が大きい『水戸黄門』『半七捕物帖』などは時代劇で、史実に材を取った『赤穂浪士』なんかは歴史劇というらしいのだが、ようするにこの点では同じなのであった。そのことに気づいたのはずうっと後年なのであるが。そうはいってもさすがはNHKというべきで、江戸城内部の復元とか、仄暗い灯光の復元とか、鎌倉時代の台鉋発明前の鑓鉋仕上の床とか、布団が発明される前で衾に寝る様子とか。史料に書いてあってもどんなものかわらないものを復元してくれて、その上で人が動いてくれるのでそれだけで何となくウレシイものがあるのであった。ここはひとつ三内丸山遺跡を舞台にした大河ドラマとかやってくれると是非みたい。

  かくして小学生だったわたしはついつい歴史物なんかを本やテレビで見るとそれだけでなんだかウレしくなってヨダレを垂らすという条件反射を身につけてしまったのである。

  ところで時代は変わって1990年代から2000年代である。時代は変わって物語の主要な関心事は支配関係ではなくて家族とその愛である。なんだかつまらない。北条時宗は妙に善人みたいに設定されちゃうし、血みどろの権力抗争がまるで本人に責任がないかのようだし。

  さて2002年度は「利家とまつ」である。前田利家といえば織田信長の手先で武闘派である。残虐さでは有名な信長のその残虐を一身に背負って武力にものいわすタイプで、主な戦功としては越前・加賀の惣国破壊、一向衆信徒百姓の殲滅、掃討である。さぞ血腥い修羅のシーンになるかと期待してみれば、まるで平和愛好者のようである。それはナンボなんでもやりすぎというもの。

  織田信長といえば、武士や旧勢力寺院に対しては戦わずして勝つことを第一目標として調略、寝返り勧告、降伏勧告を主とするが一旦民衆が相手となるや徹底的な殺戮をした人である。その意味で戦国時代とは一揆と大名との戦いという性格が濃厚である。もちろん一揆どうしでも争いはあり、大名どうしでも戦いはあるのだが。大名には寛大な信長もあくまで逆らってくる相手には徹底的な攻撃をくわえる。

  いやべつに凄惨なシーンを見たいというわけではない。が戦国期の武将などを主人公にとった以上そういうのやらなきゃあまりにウソくさいではないか。どうせなら武家なんかじゃなく、芸人とか職人とか坊さんとかの波乱万丈の物語なんかやりゃいいのに。でも呂宋助左衛門を主人公とした『黄金の日々』というのもあったなあ。詳細のよくわからない人だから感動のエピソードをいいようにつくっていてあれはあれでよかったがな。

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2002/10/24