autobiography #6 省エネと節電とモッタイナイお化け。

  私は1965年生まれである。運命の年1973年には8歳であった。第四次中東紛争勃発と共にオペックが原油価格を引き上げ、ために石油価格が高騰、あおりや便乗で何でもかんでも値上げである。深夜放送は自粛され、冷房は28℃までにしましょうねってはなしになった。第二次オイルショックの1979年には「省エネルック」まで登場する始末。そこまでするならネクタイはやめなさい、ネクタイは。それにいっそジャケットそのものをやめなさい…。

  ところが国会では上着着用が義務付けられているので、ああしたものに意味があったそうな。しかし。ホンネとタテマエを状況しだいで臨機応変に使いわける大人たちとは異なり、子どもというのはタテマエを妙に真に受けるものである。戦時期に軍国少年がゾクゾク出たように、省エネボーイズ&ガールズというのが登場した。彼、彼女たちは信じている。このままでは50年後には、石油資源が枯渇する。原子力ないしは潮汐力、太陽光などなどの代替エネルギーに移行する時間を稼ぐため、全人類の存亡をかけてエネルギーの無駄遣いはこれを許してはならぬ。関係はありそうでなさそうだが食物の無駄遣いもゆるされない。食事はゆっくり36回噛んで、残さず頂かねばならぬ。お百姓さんの魂のこもった米粒はゆうに及ばず、ゴム状のイカリングも鯨コハク揚げもである。さもなければ、夜な夜なモッタイないオバケが出て、囁くのだ「一枚…。二枚…。もったいない…。ゝゝゝゝ。」

  しかし世は移り「生活大国」だの「消費は美徳」だのといって無駄使いが横行していくではないの。夏には冷房設定22℃で冬には暖房設定26℃なんぞという季節逆行人間がゾロゾロしてくるではないか。ラーメンの汁は健康のため残しましょうなんぞと『生活ホットモーニング』でさえいってやがる。
「バカヤロー、不健康だろうが何だろうが世界の飢える人々に申しわけないと思わんのか!」

  しかし、無理して全部食ったからとて彼らがそれでたらふく喰えるってモンでもないのだった。シクシク。あまつさえ、デフレ不景気がいわれてこのかたそういう倹約思想は経済発展、景気回復の敵だといわれる始末である。

  だが、しかしである。全国百万もったいないオバケ恐い恐い党の同志諸君。いまや錦の御旗はわれらのもとにある。そう、「地球温暖化阻止、異常気象まあたいへんブーム」である。もはや、京都議定書にケチをつけるブッシュ氏には地球環境の敵の烙印が押され、その擁護にまわる小泉氏には国賊の名が授与された。(ところで彼ってなんとなくヒヒに似てない?)
太宰治の御霊は
「二酸化炭素吐いて、スミマセン。」
といったそうである。全国のトレンディーなイジメっこは
「おらおら、何、二酸化炭素出してんダヨ。おめぇなんざ、京都議定書の排出枠外なんだヨー。」
といいがかりをつけるそうである。

  かくして、わたしも晴れて節電に着手し、室内照明のタマは半分にし、パソコンはクロックダウンし、待機電力シャットアウトシステム(ただのメインスィッチ)を導入した。幸か不幸か同居人もまた党員である。わが家の消費電力は248kWh/月から142kWh/月に減少した。

  が、しかし、またぞろ200kWh/月くらいに戻ってしまっている。原因はナゾの小人さんである。わたしが確かに消したはずの照明、給湯器、パソコンの電源などがナゾの小人さんによって再び点けられているのだ。なるほど、わたしは忘れっぽいタチである。だが無駄使いはダメってことくらいは知っている。なんだそのウタガイのまなざしは。だからちゃんと消した。消しました。いや間違いない。確かに消した、消したはず、たぶん消したと思う…。


ナゾの小人さんの名前が判明した。彼/彼女の名前はコロポックルというのだそうである。
 

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2001/07/13