autobiography # 015 人はみかけで

  幼い日々には、誰しもが、「人は見かけで判断してはいけない。中味が大切だ。」というものいいと同時に人を見かけで判断するという技術ないし常識を身につける。このとき、生涯にわたるかもしれない価値基準を身につけることとなる。

  子供の仕事はおつかい、水遣り、お留守番というのがわたしの育った60、70年代、には普遍的であった。おつかいはまさにガキの使いであるから万事指示どおりである。現場判断、融通などできぬ相談である。予定商品が売り切れていたり、値上げになっていたりすれば、いったん家に戻りボスの指示を仰いで出直しである。

  「これで薄揚げ3枚買うて来て。」

  百円玉を握りしめ、最寄り、かつ、いつもの水島豆腐店に出動である。薄揚げ3枚、薄揚げ3枚、薄揚げ3枚、と唱えながら歩く。

  問題は上町の角を曲がって二軒目の犬である。こいつはすぐこちらを睨みつけてくる。うっかり目をあわすとモノ凄い声で吠えるのである。かといって素知らぬふりで通り過ぎようとすると、まさに通り過ぎたその瞬間に吠えるのである。こうなると全速力で走らねばならない。ますます吠えかかってくるが、ナニ、やつは首輪でつながれているから、きっと逃げきれる。が、こういう事態はできるならば避けたいものである。

  今日は犬は留守である。珍しく飼い主が散歩に連れ出したのであろう。ふだんからこうしてヤツのストレスをあなたが解消してくれれば、わたしが不必要にビビる必要もないのだよ。しかし、こんなところにグズグズしていて、散歩の帰りにハチあわせようものなら最悪の事態もありうる。ここは可及的速やかに現場を離れよう。

  さて、豆腐店到着である。いつもながらひと気がない。どうせババアは奥でテレビでも見ているのだろう。オヤジは例によってオート三輪で外回りにちがいない。だが彼女は耳が遠い。少々の物音に動じるようなタマではない。まずは息を大きく吸って、奥に向かい、渾身の力を込めて
「すいませーん。お豆腐くださーい。とおおおおおふううううううくださあああああい。」
あれ、何か間違えたような。

  その晩、水菜とお揚げの炊きあわせは、急拠豆腐の味噌汁に化けたのだった。とうちゃんかあちゃんごめんなさい。

  しかし何といってもベストオブガキの仕事はお留守番につきる。寝転んでいようと、端座黙祷しようと、本を読もうと、テレビで時代劇の再放送など見ようと誰憚るところはない。こんな、安直な仕事があろうか。将来の夢はと聞かれれば古本屋の店番と即答したろう。古本屋の苦労など知る由もなく。

  そんな安直の絶頂を打ち破るものが来客である。そのための留守番なのだが。とりあえず敵の服装をチェックだ。もし作業服なら、電気屋か電話屋、もしくは取引先であるから留守である旨を告げよしなに作業するなりお引き取りいただくなり相手に極めていただけばよい。もし前掛けならば、酒屋もしくは米屋の配達だから、ブツをおいていってもらえばよい。問題はネクタイ・アンド・背広男である。こいつは押売もしくは、詐欺屋あるいはセールスマンといってもっとも信用ならない人種である。

  適当な甘言でもって人を騙くらかし、なけなしのゼニを巻き上げるのことを生業とする輩である。学校の先生でも信用できるタイプは背広なんか着てないものである。ジャージとかポロシャツなんか着てたりして、麦藁帽子かなんかで御出勤なさるもんだ。農繁期には自習なんかが多くなったりして。そのてん背広なんかでくるヤツはやれ人の目を見て話を聞けだの、ことばづかいに注意しろだの、あれしろ、これしろ、と要求ばかり多くて、ガミガミいってばっかりだ。そのくせ、こっちの事情というものにまるで無頓着である。うっかり誤りでも指摘しようものなら伝家の宝刀「屁理屈いうな」が炸裂するに極まっているのだ。

  かてて加えて、人の目を真っ直に見る人は信用できるが視線を逸らすやつは信頼できないとかいうのである。人の目を真っ直に見つめ自信たっぷりに喋る程度のことができないペテン師がいたら、そいつはモグリだよ。人を騙すときの基本でしょうがそれは。証券系列の本当のウソツキってのは相手を騙していることを自分で知らないくらい自分のするウマい噺に自信をもってるもんだと聞いているよ。ところでモグリの詐欺師はやっぱり詐欺師なんだろうか。ひっかかるヤツがいなければ詐欺師とはいえないんだろうか。とはいえ、それが基本であるというあたりにこの信仰の普遍性がうかがわれるわけではある。

  はなしがそれた。というわけで、背広男には要注意だ。子供だからって安心はできない。少年の無垢な心を逆手にとってメシのタネにしようと虎視眈々と狙っているのにちがいない。こんなヤツに当家のシキイを跨がせてなるものか。断固撃退あるのみだ。

  あとで聞いたところによると税理士だったらしい。毎年当家がお世話になっているそうだ。すいません。

  そうして成長したわたしはこんどはこちらが仕事でスーツなど着なければならなくなったりする。どうもあれを着る毎にペテン師の仲間入りをしたような気がするのだが。ウソツキくさくてすいません。

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 2002/04/11