autobiography # 016 風呂焚き

  小学校5年生のとき、わが家に風呂ができた。それ以前は銭湯かまたは祖父の家へ行って風呂に入っていたので、3日に1度かそれくらいの頻度だった入浴が毎日でも可能になるというのである。それどころか毎日洗髪しても大丈夫という新時代を迎えるのである。母の喜びようは尋常でなかった。

  風呂はいわゆる五右衛門風呂というやつで真っ黒な鉄でできている。こいつに木製ないしは耐熱樹脂製の風呂底を沈め、その上に入るのである。うかつに周囲の鉄部分に触れてはならない。悲劇が待っている。風呂底が木製の場合は浮びあがってしまうから、風呂の底のほうのフックに引っ掛ける。これは風呂底中央部に乗り、両足で踏ん張りながら、下半身を捻り、風呂底を半回転させて引っ掛ける。結構テクニックを要する。樹脂製の場合は沈めるだけだが、引き上げのほうでテクニックを要する。端を捕み、自らが浴槽から上がりながら、風呂底も同時に持ってあがるのである。この際、風呂底を傾むけると同時に熱い湯が上がってくるから要注意だ。

  隣は窯部屋になっており、外部と浴室の両方に通じている。戸外から燃料である木ッ端をもって窯部屋に入り、窯に木ッ端をブちこみ火をつけるのである。木ッ端は稼業が建具屋であるから産業廃棄物として当然でてくる廃材である。であるから仕事が忙しくなり、木ッ端が増えると湯加減におかまいなしにガンガン燃やさねばならず、仕事が閑になり廃材が出なくなると自然湯加減もぬるくなるのである。風呂の見取図を下に掲げる。


   ┌────┬───┬──┬────┬─
 ド ┃    │   │  ∫洗面台 │
 ア ┃窯部屋 │浴槽 │  ∫    │
 戸 ┃    │───┘  ∫    │
 外 ┃   ド┃      ∫    │
   │   ア┃   浴室 ∫    │
   │    ┃      ∫ ドア │
   ├────┴──────┴━━━━┘
   │      屋内
   │

  さて当然のなりゆきながら風呂焚きが子供の仕事と位置付けられ、末っ子とてもっともヒマな私が風呂焚き係となった。

  木ッ端といっても火付きはいいがとっとと燃え尽きてしまい、火力に根性のないベニヤ板と火付きは悪いが一旦燃え出せばエンエンと燃え続ける角材類は使用タイミングが異なる。まずは少々の角材で空気の通り道を確保しつつ細かく砕いたベニヤを窯の内に配置し、これに火をつける。

  しかしその前に窯の中、とくに灰の中に何もいないことを確認しなければならない。窯の中で寝るのは牛方と山姥の彼女ばかりではない。うちの猫は代々どういうわけか窯の中が好きで、しかもあやうい生命拾いをしたあとでも懲りるということがない。

  猫がいないことを確認したのち、件の初期構築物を組み上げる。この上で新聞紙にマッチで火をつけるわけだがそう簡単には火は燃え広がりはしない。新聞紙というのはそのままでは結構燃えにくいものである。まず縦に細く裂いて捻り、棒状にしておく。これを10本ほど窯に入れてマッチで火を付ける。これだけで焚き付けられることはまずないから、火が消えないように新聞スティックを追加していく。ベニヤが燃えてきたらこんどは細長いベニヤ片に切り替えて火を持続させる。角材の表面が一通り燃え炭状になれば一安心である。あとはそのときどきで主に燃やしたいものを入れていけばよい。ただし、面倒がってあまり沢山ブち込むと空気の通りが悪くなるのでほどほどが肝心である。

  ある程度燃やしたら火箸で燃焼物を広げ、通気を確保してやる。炉内の温度が十分あがれば空気の吸い込みがよくなるから、少々無神経に木ッ端を投げ入れても大丈夫である。

  こうなればユラユラ燃えあがる炎を見ながら、こころ和むばかりである。ときおり、火加減がどうのこうのと隣の浴室から声がしたりもするが知ったことか。いまはただ、燃える炎を愛でるばかりである。うっすら浮かぶ汗と軽い疲労感までもが心地良い。

  ところで、マッチは最初に1本で十分なはずであるが、初期の構造物の要所ゝゝにマッチ棒を仕込んでやると突如ボウと燃えあがりとても美しい。しかしもっと美しいのはマッチそのものを井桁に組んでやり、さらに屋根など載せるとマッチの薬の部分が綺麗に並ぶ。ここに引火すると火がシュポポと走りそれはそれは端麗な姿である。全体の炎上する姿はしばし放心するほどの美の極致である。思わずに「金閣寺、炎上!!」と呟いてしまうのは誰に止められようはずもない。  

  ところが美に理解を示さないものはおかあちゃんと呼ばれる人々である。わたしの美的営為を見付けるといつもいつも叱るのである。やれ火遊びがどうの、マッチが勿体ないの。おかげですっかり美的感受性に乏しいつまらない大人に成長してしまったではないか。あのままスクスク成長しておれば美のためには、あらゆる犠牲を惜しまず、軽犯罪法すらものともせぬような立派な人になれたかもしれないのに。

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2002/4/16