autobiography # 024 啓示体験ないしは宇宙の実相を洞察すること。

  子どものころ大峯講というのがあった。講というのは普段から掛金を積みたてておき、シーズンになるとその金でお寺さんだの霊山だのに参拝にゆくのである。有名なところでは伊勢講とか、富士講、善光寺講なんてのがあり、江戸の長家住まいの人々がお伊勢参りに出掛けたりすることが可能になったのはこの講の威力である。勿論その場合、講自体は相当数のメンバーを組んでいるが実際にお伊勢参りにいけるのは数名である。体力や諸般の事情の許すものが代表で参宮し、講全員のお札をおさめてご霊験に与かるとともに土産ばなしを頂戴するというわけである。当然、初めての人は講の先達に率いられて団体旅行するわけで、伊勢の側でも講のお客さまの為に案内人を準備し宿を手配して、「歓迎!ナントカ町伊勢講御一行さま」とこうなるわけである。「東海道中膝栗毛」、「東海道五十三次」といった旅行案内書もあり、参加者はあらかじめ、見どころみやげばなしのポイントを押えて旅立つわけである。これは臆見だが、修学旅行というシステムはこの講の残骸ではあるまいか。

  ところで、和歌山の旧市街であるわたしの町にはこの講がまだ残っていて、わたくしも先達に率いられて大峯山に登山することになった。さて大峯山というのはマイペディアによると、

  大峰山(おおみねさん)

  奈良県南部に南北に連なる大峰山脈の通称。狭義には山脈北部の山上ヶ岳をい う。最高峰は八剣山(仏経ヶ岳とも。1915m)。釈迦ヶ岳,大日岳,地蔵岳などがそびえ,古来修験(しゅげん)者登山が盛ん。京都聖護院の大峰入り行事は有名。1960年まで女人禁制。吉野熊野国立公園に属する。

とまあ、女人禁制の修験道系列の霊山なのであった。で、山頂の小屋なんぞに宿泊すると翌朝は朝の4時から起きだして、ご来光を仰いでしかるのちに山内の修行場で山伏ごっこなどするのである。荒縄を肩から掛けられて千尋の谷に突き出され、「親のいいつけにそむかぬかあ。孝行するかあ。」などとどこかで儒教道徳と混交してしまったのごとき脅迫をしていただくのである。ところがどっこい10歳かそこらのガキであったわたしはロープで中吊でブランブランというのが楽しくなってしまい、しばらくブラブラと楽しんでいたらぶらさげるほうが疲れてしまいスルっと沈みこんでしまった。同行の父は随分とヒヤヒヤしたらしい。他にも崖上の30センチ幅の渡し板の上でいきなり立ちあがるなどの蛮勇もはたらいたらしい。

  ところでご来光である。山上の清涼な空気と朝霧のなかから朝日が山々を紫に染めつつその姿を現す光景は子ども心にも神さびて荘厳に感じられる。感動の体験の舞台としては悪くない。まして、非日常な雰囲気である。純真な少年であるわたくしが神の啓示を受け、ないしは心の奥底の真の自己に出会い、あるいは宇宙の根源と交信し、まあなんでもいい宗教的体験をしたとして何の不思議があろうか。何事かを悟ったと思った。それは微妙であり、とても言葉なんかには表現不可能であり、崇高であり、万物を超越していたのである。そのあと上記の山伏の修行場を巡回し、修行し、祈祷したというわけである。昼過に山を下りて駅前のうどん屋にはいった。山菜うどんにしようか天ぷらうどんにしようかとさんざん迷った挙句、自己決定できず、父の一言で素うどんを喰うハメになった。そのときやっぱり「駄目だった」ような気がした。いかに崇高な悟りをした後にもそのあとには普通の日常が待っている、結局、「うちに帰って、イモ喰って、屁こいて、寝る」というわけである。そのことに気づくのに半日を要したのである。

  実はこの手の啓示体験はその後もしばしばあって、深い悲しみを悟ったとか、真実の自己と実在を見たとか、人が死ぬとはどういうことかがわかったとか、まあ、いろいろひとりで気分を高揚させて夕方や夜を迎え、朝になってまた、駄目だったような気がするのである。

  数年後、「日蓮」であったか、「親鸞」であったか、中村嘉葎雄主演の坊さん映画を見た。感動のシーンがあって、主人公の坊さんが比叡山かどこかの山頂でご来光を仰ぎつつ、両の拳を握りしめ、晴々とした表情で何かを悟ったらしい場面があった。勝ち誇ったわたしが、「ふふふ、甘いな。このあとあなたも、あ、この粥うまいと幸せになり、屁こいて寝るのだよ。そこには小人としての日常がまっているのだ。」と思ったことはいうまでもない。

 しかし、同じ啓示体験を共有する一方は歴史の教科書に登場する偉人となり、わたしは単なる電波系なのであった。…またまた何事かを悟ったような気がする。明日の朝までは。

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 2002/11/30