radio-boy #1  戦うラジオ少年

  当時としては、結構ミーハーだったのだが、今では、絶滅しつつあるものとして、ラジオ少年と云うものがあろう。機動戦士ガンダムでは冒頭にアムロ少年が「このコンピュウタ組んだら、行くよ。」等と云って、フラウボーに叱られるのだが、このとき、かれがいじっていたワンボードコンピューターはどうも、Z80かそこらを載っけた秋月通商謹製AKI80あたりにみえる。(とはいえ、14かそこらで、Frauと呼ばれる少女もあわれではある。)かくの如く、市井に溢れた存在であった。

  とはいえ、ラジオ少年と云うのは、結構な金のかかるものではある。道具は中学校の技術家庭のものですませるにしても、パーツは買わねばならぬ。もう少し知恵と工夫があれば、粗大ゴミからテレビやラヂオやステレオを拾えば、最小限の買物で済んだのだろうが、当時は、『ラジオの製作』『CQ junior』『初歩のラジオ』などのデッドコピーしかできなかったから、純正部品しか使えなかった。いきおい部品点数の少ないICアンプだとかRF-Preアンプだとか、ギター用のディストーション、BBDフランジャー、簡易ミキサー、位であり、使う石は4558、LF356、2SK30、2SC1815、A1015と定番ばかりであった。また、当時和歌山には実質的に二宮無線しかパーツ屋は無いに等しく、ちょっと変わった石はキットの一部でしか手にはいらなかったのである。

『トラ技』の若松通商やダイデン商事、亜土電子の広告をため息つきつき見ていた。しかし、これは通販の広告なのだから、金さえあれば、とっとと申し込めばいいのだが、いかんせん知恵も無かった。やがて、南海電車に乗って日本橋恵比寿町にいくことになるとますます金がかかるようになった。

  いまでも、共立電子やテクニカルサンヨーといった店は健在であるけれど、鈴木電器や多くの店がパーツを辞めてしまい、パソコン王国と化している。秋葉原でもいつのまにかダイデン商事はOTECに、亜土電子はT-ZONEにのれん替えしてしまったよし。

  さて、LメーターとかCメーターとかウィーンブリッヂ発振機などこしらえていると、わざわざケースにいれるのも面倒になる。実際パーツ代の高いものといえば、ケース、トランス、電源用電解コンデンサといったところである。それで、基板上に組んでしまった後は、箱も、端子も省略し、基板から各色のリードが飛び出して、完成である。これが、作ったばかりの時は良いが、あとでパーツ箱から怪しげな基板が出現し、これは一体なんであったかと首をかしげる事となる。

  しかも、共立とかその系列店と思われる『とりあえずでばっぐ』『デジット』など通っていると「当面宛はないが、そのうちに」などとおもって不要なパーツを買い込む事となる。押入には、あてのないOPamp、PowerFET、D-Aconverter、ブロックコンデンサ等が蜜柑箱をいくつも占拠している。

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