ayya #35 名前と支配とご先祖さま

荻野千尋か、いい名前をしているじゃないか。生意気だね。おまえなんか千で充分だよ。
 


本当の名前を奪い取り、別な名前を与えることによって支配するというのは創氏改名なんかもそういうパターンであるし、アメリカの奴隷輸入なんかでもやってるし、クンタキンテはトビーにされてしまうし、結構あるパターンである。さはさりながら

篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこ そ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも


 
      [万葉集一巻 雄略天皇]
 

[大意]ちょいとそこゆくネエちゃん、どこの何て娘なの。 ぼくはここいらのボスだからね。 だから教えてキミの名前を。

  この場合、名前を教えたが最後、後宮につれこまれてあんなことやこんなことまでされてしまうのである。この如く名前を教えるというのは相手の支配を受け入れるというサインであったりする。平安時代となると名簿を提出するというのが相手に臣従するという儀式で、平忠常が追捕使としてきた源頼信にあっさり降伏したのは乱以前に名簿を提出してあったため既に主従関係にあったからだ、という。[古代末期の反乱 (林陸郎)]

  名前とひとことにいうけれども氏、姓、名字(苗字)、通称といろいろあってややこしい。新田小次郎源義貞さん(仮名)の場合、新田というのはもっている領地、出自の地名でようするに新田の荘の名主さんだと、で普段常用している通称は小次郎だと、天皇から貰った姓が源だと、で朝廷からの任官のときくらいにしか使わない名前が義貞だと。

  姓については天皇家が与えるものでこれを貰うと天皇家の分家ってことになるのだそうだ。この場合は名前を貰う時点で支配下に入るわけですね。でどういうわけかほとんどの人は源平藤橘のどれかになってしまうことになっている。このうち橘家は人気が一番なくって当初橘家の末裔と名乗っていた松平家も後には源家にくらがえしてしまうといった案配である。織田(小田)家も当初藤原家と主張していたのだが後には平家にクラガえである。

  けれども藤原家をナメてはダメで佐野に領地をもった藤原秀郷の末裔は、佐野藤原家ということで佐野とか佐藤とか名乗ったらしい。同様に伊勢藤原の伊藤さん、加賀藤原の加藤さん、斎宮の藤原の斎藤(斉藤)さん、後の藤原の後藤さんと全国的に一大人気であるらしい。[『名字と日本人』 武光誠]

  氏となると古代の豪族の占有物で曽我川近隣の蘇我氏とか葛城山麓の葛城氏などがあったらしい。

  名字に至ってはそもそも自称であったこともあいまって、名主の側が名のみんなに配ってしまったり、適当な名家の名字を僭称しちゃったりして室町時代にはほぼ全国のすべての人に行き渡ったそうである。でもこのときに名字を与える/名乗りの許可をめぐって支配関係が生まれるのだそうだ。まあ暖簾わけみたいなもんですね。後に江戸幕府は刀と苗字をとりあげてまわるわけだけれども、幕府関連の文書では名字無しのはずの人々がお寺の寄進名簿だとしっかり名字、名前の両方がそろっていたりするのだそうである。

  さて名字の由来については大田亮氏の『姓氏家系大事典』(角川書店)があり、これでわたしの佐谷という名字をひいてみると紀伊の国那賀郡打田坂本村の大百姓で、、戦国時代の織田氏の紀伊侵入の際、織田七兵衛に従って雑賀党と戦って戦功があったそうな。ゲロゲロこれって郷土の裏切り者ってヤツかあ。まあ、為政者が誰であろうが庶民としちゃ知ったことじゃないだろうけれど。

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2001/09/10