蟹田は津軽半島の東岸、陸奥湾ぞいにある。海上15Kmほどの向いの下北半島まではフェリーが出ていて、フェリーの受付は道の駅とみやげもの屋を兼ね、そのフェリー埠頭のとなりは海浜公園になっていて、しかも海水浴場でもあり、浜茶屋がたちならび、キャンプサイトでもある、といったものすごいことになっていた。8月の13日というに風が吹きすさび、海水浴する人とてひとりもいない。それでも家族づれの大きなテントが立ちならんでいる。その脇をフェリーから降りたトラックが走り去っていった。道の駅には、佐藤春夫の太宰治への寸評で、「彼はひとを喜ばせるのが何よりも好きだった!」という額があって、ああ佐藤春夫ともあろうものが…と無惨な雰囲気を出していた。
さらに北上すると津軽藩のお台場すなわち砲台あとがあり、ここには幕末に対ロシア警戒のため大砲が設営されたという。松林の合間にところどころ小さな広場があり、松の蔭から砲撃しようとしたものらしい。それが当時どの程度リアリティがあったのかは俄には判断しがたい。ささやかな印象は禁じえない。そのお台場もいまは海浜公園、造成ビーチと隣あっていてさらにキャンプ場に囲まれていた。
津軽半島の北端には三厩(みんまや)村があって、かつて向いの北海道福島町との連絡船の発着で栄えたらしいが、青函トンネルの開通と共に連絡船は消え、東日本フェリーの便も久しく休航中ともこと。けれども陸奥湾と津軽海峡を控え漁場としてはすばらしいようである。道々には烏賊(イカ)が干してあって、ところどころでは焼いて売っている。一匹買って喰ったところ新鮮なせいか、もとがいいのか、えらくうまかった。200円なりである。この村から急坂を登ると竜飛岬の灯台がある丘に出る。海峡を望む高台には石川さゆり歌謡碑がたっていて、この碑からは大音声でエンドレステープのように「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと〜」と津軽海峡冬景色の二番ばかりがなっていた。石川さゆりもあわれな姿をさらしているものである。が、そんなことにくじける御仁でもあるまい。灯台からは江差や松前、函館山がはっきり見える。ガスは全然たってないようである。灯台横の売店ではホタテやタコが焼いて売っていた。巨大なマダコが店先にいくつも吊してありオジサンがナイフで切っては試食させてくださる。なんだ、刺しでもうまいじゃないか、これに醤油かけて焼くなんてもったいないと思ってスゴスゴ引き上げた。
峠をこえて、日本海側に出れば、小泊である。海岸沿いを南下すると雄乃湯温泉という温泉があった。宿泊もうけつけているが、地元の入浴客中心の大きめの銭湯といったおもむきである。ただ、海岸を一望できる大浴場は結構なものである。風呂をあがって目をひいたのは警察のポスターである。「危険銃弾活用」と題して「持たせない、持ちません、持つと危ない、持てば危険、持とうとしない…」などとえんえん書いてあり、ようするに銃を放棄させたいという警察のキャンペーンなのであった。ここらへんではどうやら刀狩が現在進行中ということらしい。
さらに南下すると十三湖である。ここには13世紀に水軍で有名な安東氏が居館をおき、日本を代表する海上交易都市、十三湊があったという。朝鮮、中国との交易を大々的におこない人口は約5000人、大量の陶磁器を使っていたという。いまはその影もなくしじみの産地となっている。県道沿いのにしじみを食わせる店が何軒もあり相場はしじみ汁200円、しじみラーメン600円といったところである。しじみは北海道のものほどは大粒ではなく宍道湖あたりと同サイズ。すなおにしじみを味わいたい趣きからはしじみ汁ということになる。味はじつに結構であるが、まずいしじみ汁というのは喰ったことがないのであった。
2001/10/17