前回のウルトラマンコスモスを許せない発言にわが盟友おっとせいから、御意見を頂戴した。ううむ、たしかにこの間のウルトラマンに関する観察は詳細を欠いており、たった一話で全体を断ずるの愚を犯していたことを認めざるを得ない次第である。
もはや、荒ぶる神たり得なくなってしまった怪獣たち。まさにそのことこそわたしの怒りと哀しみの根源であったのだ。友達の家で食い入るように見た「怪獣百科」のなかで強烈な存在感をアピールしていた怪獣たちの末裔の不憫な姿を認めたくなかったのである。ウルトラマンの制作スタッフもすっかり世代交代し、いまではウルトラマンを見て育った世代が制作側に回っているわけで、その意味ではかつての一方的正義の権化ウルトラマンへの疑問のひとつの結果として、困惑し模索する現代ウルトラマンの姿がある。
ところで人間自身が生み出してしまった怪獣という点では初代のゴジラがあり、サンダとガイラがあり、まあこれはこれで正当な系譜である。さらにレインボーマンの死ね死ね団とその怪人、ダイヤモンドアイの前世魔人、コンドールマンのモンスター族、これらは人間の肥大化する欲望と暴走する技術がバケモノの形象を得たことになっている。最後のモンスター族の首領キングモンスターなんかそんなわけでニューヨークのエンパイアステートビルに事務所を構えてやがる。で、人々の欲望をさらに煽ることで自族の成長を目論んでたりする。こいつを撃滅するには旅客機でもブチこむしかなかったりするかもしれない。それはそうとモンスター族の怪人の「ゼニクレージー」という命名センスにはアタマ痛いものがあった。
とはいえ人の強烈な意志とか欲望とかそういうものがバケモノになったり、それに魔物がとりついたりすること自体は一種古典的でさえあるから、まあ怪異譚の王道とも呼べなくはない。
もはや地球を守るというお題目からは人類が最大の敵となってしまったとか、ヒーローにとって人類がその保護の対象からむしろ敵にまわってしまった、というテーマは90年代の新ガメラシリーズでも主題となっている。ついでにいうと墜落したガメラの下敷きになって家と家族をすべて奪われた少女のガメラへの怨念というのもさすが90年代のガメラであった。この点では新ガメラシリーズはグンと面白くなっていて、でも円満な解決ができなくなってガメラ3のあの悲劇的な結末へとナダれ込むわけだが。が、いずれにしろヒーローが守らなければならないものはいったい何なのかというのはやはり現代怪獣ものの課題ではある。
「地球に優しい」というセリフが10年くらい前あちこちで、これでもかと広告されたものであった。おいおいそうじゃないだろう。全生命が滅んだとて地球はべつに困らないだろう。生命というのはいわば地球という岩の表面に生えた苔かカビのコロニーにすぎないだろう。あくまで困るのは人類やその他の生命の側だろう。おためごかしないいかたをするんじゃない。
生命の歴史からいえば、おそらく最大の大気汚染は10億年前の前カンブリア期に藍藻類などが大気中に猛毒ガスである酸素ガスを大気全体の20%におよぶほどに放出したことだろう。以降、それ以前の主役であった嫌気性の生命は極端に棲息場所を限定されることになり、逆にこの猛毒ガスによって次第に体を破壊されながらも、それなしに生きられない生命を繁栄させることになった。ここらへんは「ナウシカ」の瘴気によって体を侵されながらも瘴気なしには生存できない生命というのを思っていただきたい。
二度の大絶滅が2億5000万年まえと6500万年まえにありこのときには全生命の90%以上が失なわれている。あとのは恐竜が滅んだ例の微惑星衝突である。人類が持てる生命破壊力の全てを行使したとてこんな大絶滅はひきおこせまい。せいぜい絶滅に頻した種に引導をわたして、ついでに自分自身を破滅させておしまいであろう。おそらく蚊も蝿もゴキブリも黒カビも滅ぼせないのではなかろうか。
はなしが脱線した。要するに『緑の地球を守る』というのは畢竟、人類の棲みやすい環境を維持するということでしかない。そしてそれは人類によって迷惑を被っている生命の受難がつづくということでもある。それはあくまでエゴイズムである。その点では地球サミットでの『持続可能な開発』というものいいが正しい。資源浪費、廃棄物バラマキ型の開発は長期的に見れば自分の首を締める行為だから、もうちょっと賢い、将来性のある開発でいこうよ、ということである。
さて、ウルトラマン、ウルトラマンよ。人類が怪獣を倒し、ないしは保護つまり支配するのは人類自身のエゴイズムもしくは生き残りのためだが、君が人類をエコひいきする理由は何だ? やっぱり保健所の人なんでしょ。
2002/02/28