ayya # 041 わたしはウルトラマンコスモスを許せない。

  2002年2月20日現在放映中のウルトラマンコスモスを御存知だろうか。今回のウルトラマンは地球と怪獣にヤサしいウルトラマンなのだそうである。怪獣を殺したりイタめつけることはせずに、怪獣の傷み、哀しみを理解し、癒してやるウルトラマンなのである。

  どういうわけか怪獣は怪獣保護区に飼育されており、係員さんの愛情こもる世話を甘受したりしている。わたしの見た回には生息地の上流で流出した産業廃棄物が体内に入りこんだ怪獣さんがそのため異常なエネルギーを持て余し暴れてしまうという設定であった。ウルトラマンは例のプロレスごっこでもってガス抜きしてやり、もとのおとなしくて可愛い怪獣さんに戻って一件落着めでたし、めでたし。という趣向であった。

  ナめるんじゃねえぞ。怪獣はな、荒ぶる神なんだよ。その猛威の前には人間の賢しらな文明の機器なんぞ役にはたたないんだよ。それを怪獣ワールドサファリに押し込めて愛玩しようなんざ、傲れる人の高見にたった不遜の所業といわざるをえない。だいたい保護と称して不毛の「居留区」におしこめていこうなんてそれじゃあまるでアメリカの西部開拓じゃないか。あんな蛮行をまたぞろ繰り返すのか。怪獣が暴れるのはただ図体がでかくてパワーがやたらにある、ただそれだけのことだし、たとえ人を喰ったとてただの捕食行動である。図体が子猫サイズでせいぜいハトかネズミしか捕食できなければ、全然困らないわけでようするにやってることは善悪とは関係がない。怪獣はべつに悪いことをやっているわけじゃない、ただ人間がこれと同じ場所を共有するのが困難なだけだ。だからとて絶滅させてしまえというわけでもない。

  怪獣様の出る杜は御神域だ、人はこれを侵しちゃならない。けれども怪獣さまが御神域から外れて迷い出てきてしまったときには、可能ならお帰り願うか、御霊おくりしてさしあげるか、それもダメならこっちが逃げるしかない。御霊おくりには大抵の場合われわれは力量が不足しているので、いまひとりの神ウルトラマンさまのお力にすがらざるをえないことになっている。

  人間は怪獣を自由に生殺与奪できるような力や尊大さを持ち合わせるべきではないし、それが可能であると考える奢り昂りこそ恐ろしい。

  リアルタイムでウルトラマンをお楽しみの少年少女諸君には、ぼくらがどんなにレッドキングやゴモラを愛しているかを理解してほしい。ぼくらが集めた怪獣カードは怪獣カードであって、けっしてウルトラマンカードなんかじゃないんだ。でもどんなに愛しても彼らにとってぼくら人類はアリやハチ、イモムシのような存在でしかありえないというつらい事実を理解してほしい。君は群の中の一匹のアリ、もしくは大勢のイモムシに愛されたいかい?

  ところで新ガメラシリーズではガメラがやっとギャオスを倒して一安心しているとその上空をギャオスの群れがバサバサと飛んでいくシーンが印象的であった。怪獣が生物であればそれなりの個体数があって、繁殖もするのは当然ではある。けれどもおおむねウルトラシリーズの怪獣というのはどの種も一個体しか存在しない。

  これには未確認の説があって、実はあの怪獣はウルトラの星の実験動物であるというのがある。『 ウルトラ作戦第一号』でベムラーを追ってやってきた初代ウルトラマンはじつはことが公になって社会問題化する前に証拠物件を始末し、ことをヤミからヤミへ葬ろうとする生命科学研究所の職員である、というのである。以降実験場から地球への時空トンネルないし、ワームホールが開いてしまい不始末のたびに地球へ逃げこんでくるのだそうである。ウルトラ生命科学研究所としては地球へ逃亡実験動物処分のための職員を常駐させることとしたそうである。しかし、遠方への単身赴任で負担が大きいことから任期は一年とし定例人事異動でかわりの職員が派遣されてくることになっているそうである。

  となると今回のウルトラマンでは画期的なことに地球は実験動物飼育場として確保されたことになる。であるからこんなウルトラマンのみせかけのヤサシサなんかに騙されてはいけない。わたしは生命倫理をことともせず不遜な怪獣開発と実験、処分を繰り返すウルトラ一族を許さない。その尖兵として尊大極まるヤサシサを振り回すウルトラマンコスモスを許すことができないのである。

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2002/02/20