ayya # 044 誰を守るのか

  わたしが沖縄へ行ったのは1987年秋の海邦国体反対、および皇太子アキヒトの沖縄訪問反対集会へいくためであった。事前のお勉強では沖縄戦というのは昭和19年の段階で近衛元首相がもはや敗戦は必至とみて、共産革命が国内におきるまえに米国に降伏してせめて天皇制度だけは保存しようと上奏したのに対し、降伏するのは止むを得ないがそのまえに敵に甚大な損害を与えておかないと降伏交渉がうまくすすまないだろうと、ヒロヒト天皇が答えたことに端を発する。だから「敵に甚大な損害を被らせる」ことを唯一の目的としてヒロヒトそのひとの発案で実行された、ということであった。

  勝利ではなく、敵への損害を少しでも大きくすることを目標としたため、日本軍は米軍との間に沖縄住民を置き、これをタテとし、可能なかぎりの食料を調達、つまり奪い取り、ゲリラ戦を続行、牛島司令官は昭和20年6月23日に自刃するも全軍に戦闘の継続を指示し、同時に自身の死によって降伏の受け入れ主体を無くした。それゆえ戦闘は9月7日まで継続。沖縄人は日本軍、米軍の双方から攻撃を受け45万県民のうち12万を越える死者ともはや数え切れない負傷者、行方不明者を出すこととなった。

  当時22歳のわたしは旧日本軍の蛮行をまたぞろ知ることとなった。ひでえ軍隊だなあまったくという気持ちはあったが。どうやらそういうことではないらしい。

  司馬遼太郎氏の著作によると氏は敗戦直前まで満州で日本軍トラの子戦車部隊にいたが、ソ連軍の侵攻が濃厚となるや、住民を残して部隊ごと一足先に撤退し、栃木県で本土決戦に備えていたそうである。


  連隊に帰ってほどなく本土決戦についての寄り合い(軍隊用語ではないが)のようなものがあって、大本営からきた人が、いろいろ説明したような記憶がある。

  そのころ私には素人くさい疑問があった。私どもの連隊は、すでにのべたように東京の背後地の栃木県にいる。敵が関東地方の沿岸に上陸してきたときに出動することになっているのだが、そのときの交通整理はどうなるのだろうかということである。

  敵の上陸に伴い、東京はじめ沿岸地方のひとびとが、おそらく家財道具を大八車に積んで関東の山地に逃げるために北上してくるであろう。当時の関東地方の道路というと東京都内をのぞけばほとんど非舗装で、二車線がせいいっぱいの路幅だった。その道路は大八車で埋まるだろう。そこへ北方から私どもの連隊が目的地に急行すべく驀進してくれば、どうなるのか、ということだった。

  そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて押し殺したような小さな声で--かれは温厚な表情の人で、決してサディストではなかったように思う--轢っ殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。

  しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質というものは、古今東西を通じ、ほとんど希有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。

『沖縄・先島への道 街道をゆく6 』司馬遼太郎


  日本軍は満州の日系開拓移民も中国系または満州系、朝鮮系「皇民」も広島・長崎の住民も東京、大阪の住民も守りはせぬ。たまたまそうすることがあったとしてもそれは手段であって目的ではない。自軍を守り、敵軍に損害を与えるうえで有効な限りにおいてである。政治は軍隊を外交においても、内政においても、有効な道具として使おうとするが、軍隊の自己保存-自己増殖機能はしばしば政治のほうをスゲ変える。

  日本軍の蛮行はまぎれもない事実であるにしても専売特許というわけではない。南京で虐殺したのが30万人であろうと5万人であろうと、南京以外で殺した分が入っていようと虐殺にかわりがあろうはずもない。しかし、アウシュビッツでドイツが殺した30万人が虐殺ならば、ベトナムでアメリカ軍が空から火を落として殺した300万人が虐殺でないということはない。朝鮮の村落を強制徴用でもって破壊したのは日本軍であるが、第二次世界大戦で使用された量を上まわる爆弾を朝鮮全土にバラまいて地形そのものを変えてしまったのはアメリカ軍である。成長の遅い北朝鮮の山林は未だに回復不能のままというが確認する方法もない。ただし、ここらへんの歴史は韓国が米国の傀儡反共軍事国家として発足したという事情によって隠蔽されてしまい、朝鮮戦争時の死傷、破壊が二次大戦時の旧日本軍によるものと誤解されているケースが結構あるのでこういうのは「俺ちゃうで、アメリカァーがわるいんじゃあ」という国粋主義者のほうに理がある。

  アメリカ軍のアフガニスタンに対する蛮行もイスラエル軍のパレスチナに対する蛮行も含め、ようするに軍隊とは蛮行をするものであり、蛮行を行うことこそが軍隊の主要な機能である。災害救助隊には爆撃機もミサイルも必要はない。旧日本軍も含め、悪い軍隊などありはしないのである。蛮行をはたらくのはそれが軍隊であるからなのである。近頃うわさの有事法制もこれが守るのは住民でもなく、その生命と財産でもなく、はたまた自由と平和でもなく、どこか抽象的な「国益」か、ないしは軍隊そのものであろう。それは軍隊が軍隊であるまさにそのことの故による。

おまけ

それはそうと「百姓、領民を守るのが武士の務め」なぞとおよそ戦国期の武家の考えそうもないイデオロギーをふりまわすのはやめんか、NHK大河ドラマ。ちょっとリアリティ無さ過ぎな気がせんか。長島、加賀、伊勢、石山、紀伊の惣国に対し織田信長がどんな蛮行をはたらいたか、知らないわけでもあるまいに。

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2002/04/08