アメリカよいとこアメリカ大好きララララ〜
笠置シズ子『ロサンゼルスの買物』である。問題はこれが流行したのが1948年(昭和23年)だということである。つい3年前まで、鬼畜米英と罵しり、多くの若者が異国に屍をさらし、国内では空爆によって非戦闘員を惨殺されたあのアメリカが大好きらしいのである。作曲家やバンドマンは戦時中からのブルーズ、ジャズファンであろうからそれほどおかしくはない。そうではなくこれを持て囃した大衆のほうである。親戚、家族の誰かをアメリカの攻撃で失なっていたであろう民衆が、そのアメリカ大好きといわれて一緒になって喜んだという事実である。
以前ペリーを浦賀で半年待った堀達之助のことを書いた。このときあきらかに江戸幕府は開国する相手としてアメリカを選んでいた。ペリーが初めて来る半年前から交渉のための準備にとりかかっているのである。もちろんあわてずいそがずゆっくりとである。一見さんはとりあえず挨拶・顔見世だけというのが作法というものである。あらかじめオランダ語の通詞にカタコトの英語をしこんで混乱を避けてである。あたかもペリーの耳許で「初めての交わりは、あなたとずっと前から決めていた。」そう囁く江戸幕府の声が聞こえてきそうである。
準備の甲斐あって、和親条約、修好通商条約とも不平等条約ではあるけれど、国力、武力でわが国をはるかに凌ぐエジプトよりもオスマン朝よりも清朝よりもはるかに有利な内容と首尾よくなった。非欧米諸国すなわち列強の他には類をみない好条件である。しかも、これを最恵国待遇とすることで最もヤバそうなイギリス、フランス、あるいはロシアともほぼ同様の条約に軟着陸したのである。これは江戸幕府の情報の勝利といえるであろう。この背景には当時アメリカの侵略のホコ先が主にメキシコ、ラテンアメリカに向いており、東アジアで英仏と競合することは避けたい状況であったことがあり、そのことを江戸幕府が知っていたからでもある。1840年のアヘン戦争の報せを聞くや、翌1841年にははやくも異国船打払令をひっこめ、状況をうかがっていた幕府であるが、アメリカが当時の西欧列強のうちで東アジアに領土的野心がもっとも少ない相手であることを見ぬいていたのである。
後に薩長藩閥政府はみずからの功績を喧伝するために江戸幕府を貶めようとして、あたかも突如ペリーに押しかけられ、その砲艦にふるえあがった江戸幕府が不平等条約を一方的に押しつけられたかのような神話を流布させた。これは、しかしつい最近までまことしやかに語り継がれることとなった。
[中央公論社 世界の歴史25 アジアと欧米世界]
日本人のアメリカ好きはこのときに始まるといってよい。しかしだ、その後2度の大戦を経て、黄禍論や二次大戦では煮湯を飲まされている。そしていまやアメリカは帝国主義的侵略を日常とし、自国に有利なときだけ自由競争をもちだし、不利になるや保護主義的な関税をかける、巨大な投機資金で他国の経済を破壊し、しばしば空爆でもって物理的にも破壊する。国際的にはもっとも野蛮な国となっている。これに対する被抑圧民衆の抵抗はテロと呼ばれ非難の対象となっている。こう命名すればいかなる弾圧も正当化されるということか。
つぎのエモノはベネヅエラだというがさてどうなることやら。
2002/4/19