ayya # 048 あなたはわたしの青春そのもの

  詩というのはそれ単独で完結しているわけで、その解題などヤボというものである。詩が詳細をあえていわず、読者の想像力に任せようとしているのはまさに読者のそうした創造行為が詩の重要な狙いであるからである。

  にもかかわらず、荒井由美の『卒業写真』を解題したい欲求をいかんともしがたい。この歌を解読せずにはわたしは新たなる段階へと進めないのである。昨日までのmicmicを初期のmicmic part 1とするならば、明日のわたしはヒトカワ剥けたmicmic part 2であろう。そのための卒業制作としてわたしはこの作品を解読したいと思うのである。

  『卒業写真』の詞はおおむねこんな感じである。

悲しいことがあると開く革の表紙。
卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。

街でみかけたとき何もいえなかった。
卒業写真のおもかげがそのままだったから。

ひとごみにながされて変わっていくわたしを
あなたはときどき遠くで叱って。

(中略)

あのころの生きかたをあなたは忘れないで
あなたはわたしの青春そのもの

  さて、第一節「悲しいことがあると、開く革の表紙。卒業写真のあのひとはやさしい目をしてる」である。 まず悲しいこととは何かという問題がある。職業上の失敗という可能性は否定されない。苦労して準備してきたプロジェクトの頓挫というのは充分にありうる。ここはひとつ酔っぱらってクダまいてという展開でふとバッグから取り出す卒業写真。これは異様である。では、階段でコケて尾てい骨をしたたか強打したというのはどうだろう。これはありそうな展開である。このあと数日にわたって悲しみが続くであろう。しかしそうではなく、たのしみにしていた漬物に、御飯も準備し、お茶もいれ、さあ食べようとしたらカビが生えていたというのはどうだろうか。これはリーズナブルである。おそらくそこは自宅の晩御飯の現場であろうから、卒業写真を取り出すのに無理のない位置関係でもある。ユーミンという人はニューミュージックのはしりであり、それ以前のいわゆる「四畳半フォーク」に対し、「あたしはビンボくさいのはヤアよ」といったといわれている。そんなわけで彼女の音楽はワンルーム・ニュー・ミュージックといわれている。ワンルームマンションの冷蔵庫からとりだしたとっておきの漬物が腐海の底に沈んでいたとすれば、この悲しみは想像を絶するものがある。やはりここは漬物説に軍配としよう。ただし「があると」の「と」はそれが一回きりのことでなく何度もあったということを示唆しているから、ウカツな彼女は何度もとっておきの漬物を腐海に沈めたのであろう。大切にし過ぎてケチ臭く食ったのが敗因にちがいない。

  もうひとつは「革の表紙」である。これは豪華版といえよう。わたしはいくつか卒業写真などもっているが全ていいとこ厚紙プラス硫酸紙である。見合い写真じゃあるまいし、たかが卒業写真ふぜいにあまりに豪華という気がする。これでは写真代が高価になり過ぎてしまい部数を確保できないおそれがある。してみると、この革の表紙は彼女のお手製ではあるまいか。というのも、このころ雑誌の広告コーナーには「気軽にたのしくはじめて副業にもなるレザークラフト」といった通販および通信教育の広告がよくあったからである。趣味とスキルアップの両方をねらった彼女は手始めに写真表紙などをつくってみたが、そこで気合いが尽きてしまったのである。彼女のあふれる気迫は学費と材料費と一片の表紙となったというのもありそうな展開であろう。(註1)

  つづいて第二節「街で見かけたとき、何もいえなかった。卒業写真のおもかげがそのままだったから。」である。

  問題は街で見かけられた彼がどんな風体で何をしていたかである。これは後の章の「あのころの生き方を、あなたは忘れないで。」とのからみで考察すべきである。この歌が出た1975年に若いモンが「あのころ」というのであるから、1965年〜1970年くらいの若者文化というものを想定すべきである。となると70年安保、学園紛争というセンがでてくる。彼は活動家であったのではないか。街で見かけた彼は少々時代遅れ視されつつもメットを被り、トランジスタ・メガホンを構えてアジ演説などしていたのではあるまいか。で、ビラをわたされたユーミンは知らぬ顔で歩き去ったのである。 これはユーミン作でバンバンが歌ってヒットとなった『いちご白書をもう一度』が参考となるだろう。「僕は不精髭と髪をのばして、学生集会へもときどきでかけた。」という一節が対応している。しかしである。モロにアクティブな活動家であったとすれば、学生集会は主催する側であるから、参加を呼びかけるのに忙しいはずであり、「ときどき出掛けた」ではおかしい。このあと「就職が決まって髪を切って、」「もう若くないさと君にイイワケした」のであるからとりあえず逮捕歴はなさそうである。就職先にもよるが。どうも周辺にいてときどき集会に参加というほうであろう。 (註2)

  当時ハヤリのもう一つの形としてヒッピー風というのはどうであろうか。ラブ・アンド・ピースである。こちらのほうがありそうである。そしてユーミンさまに「あのころの生き方をあなたは忘れないで」と全国放送でくりかえし命じられてしまった以上、いたしかたない。「あなた」は駅前の繁華街で長い髪にヘア・バンドをバッチリきめて、敷物を広げ、針金細工など売っていたに相違ない。はや21世紀ともなったが、なにせユーミンさまのご命令であるからいまも白髪のまじる50がらみでヘア・バンドとベルボトムで針金を器用に曲げているに相違あるまい。というわけで街でみかけた彼はヒッピー姿で物売りをしていたとする。


  後編へつづく

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  2002/5/28 ,5/31