ayya # 048 あなたはわたしの青春そのもの (後編)

  第三節「ひとごみに流されて、かわっていく私をあなたはときどき遠くで叱って。」である。

  さきほどの読みの正しさが証明されたような気がする。駅前商店街であればこそ、ここでユーミンは人混みに流されざるを得なかったのである。ヒッピー姿のまま敷物を広げたあの人を見たユーミンはハッとしたに相違ない。タイム・スリップしたかのような気さえしたろう。しかし、無情な人混みはユーミンとあのひとを引き裂いていったのである。だからといって人混みをかきわけてもどったりはしないユーミンなのである。それがゆえに「遠くで叱って」ということになる。

  近づいてもらっちゃ困るのである。なぜなら「あなたはわたしの青春そのもの」なのであるから、それは通り過ぎたものであって、遠くから懐かしむ分には、まあ神様みたいなものであるから、「ああ、ええわいな。」でよいが、現実の存在として対峙されては迷惑なのである。なにせ現実を生きるユーミンは日々変化していくのであるから。よって、「懐しいあなた、3m以内じゃ素知らぬフリよ」とこうなるわけだ。

  行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。というやつか。ちょっと古風なユーミンであった。

  註0)お願いだからマにうけてマジメに反論とか送ってこないでね。


  5/31追記

(註1)
それでは、悲しいことがあるから革の表紙を開くのか、革の表紙を開くたびに悲しみに襲われるのかわからんではないかという疑義もあろうかと思う。しかし、悲しい人は明るい歌や明るい物事には拒否反応を示すものである。悲しみにはさらなる悲しみを重畳させることで当初の悲しみを相対化するというのが生きるチエというものである。漬物の悲しみはレザークラフトの悲しみによってハラハラと流れる涙とともに消えてゆくのである。
(註2)
わが友とだ☆おっとせいよりさらなる指摘を頂戴した。なるほど、隠密公安歌手ユーミンという説はすてがたいものがある。当時ともすればアナーキイに流れがちなフォーク・ロック・ミュージックを体制側にとりこむという密命を彼女は一身にひきうけていたというのもありそうなはなしではある。
ダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童氏の述懐によれば、当時ドサ回りのライブ屋でしばしばユーミンと2ヶ1のライブがあったそうである。あるとき何気なく楽屋に入るとそこにはメイクを落としたユーミンがいたそうである。世にも恐しい光景を前に呆然とする竜童氏に対し、ユーミンは徐ろに向き直り、ひとこと
「みたな」
といったそうである。
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  2002/5/28 ,5/31