9.11の世界貿易センターへのハイジャック機体当り事件があり、アメリカ軍によるアフガニスタン空襲があったため日本でもすっかり話題となった映画『カンダハール』がこの3月に公開され、9/27日にはビデオまで発売されていまやレンタルビデオでも見られるようになった。ミーハーをもって任ずるわたくしとしては当然ながら見物させてもらったわけだが、面白いのはブルカ、女性の顔を含む全身を包む民族衣裳である。
このブルカ、おとなりイランのチャドルとは異なり顔だけではなく全身を包むのだがそれ以上に黒や紺の単色ではなく、極彩色でかつ思い思いの刺繍を施している。しかも、映画でみるところ、これを纏う女性たちが誰にも見えない紅をひき、マニュキュアを塗り、ブレスレットをつけるのである。ほとんど余念がないといっても過言ではない。どうも、化粧、装身というやつは人が見るとか、女が男にアピールとかその逆とかそういうことに関係なく、それ自身のもつタノシミがあるようである。ほぼ完全な自己満足。でもそれでいいのかもしれない。
さて、主演のニルファー・パズィラという人は、パンフによれば、アフガニスタン出身のカナダ人ジャーナリストということで、なんだ映画の登場人物とほぼ一緒じゃないか。とくに女性の人権問題を中心に活動しているそうだ。なんでも、アフガニスタンにいる友人から手紙をもらって会いにいこうとしたが、タリバン政権がジャーナリストでしかも女性のひとの入国を拒んだため、マフマルバフ監督に相談して一緒に映画の撮影旅行をしようとしたけれどもやっぱりビザがおりない。で、結局イランのアフガニスタン国境地帯でのフィクション映画となったそうである。
そんなわけで西欧価値観バリバリのこの人にとってはブルカはまさに女性抑圧の象徴だったようである。が、撮影のため着用してみるともっと別の気分がしたそうである。
ニルファー・パズィラ記者会見
--ブルカをつけた女性のイメージがすごく衝撃的だったのですが、ニルファーさんは映画の中で初めてつけられたと聞いています。その印象をお聞かせください。
最初にブルカをつけた時、息がつまりそうで、ともかく嫌でしょうがありませんでした。すぐさまこのブルカを脱ぎ捨てたいという思いに駆られて、ともかく一刻も早く撮影が終了して、このブルカを着なくてもいい日が来ることを待ちきれない思いでした。ところが、非常に治安状況が不安定な国境沿いで撮影しておりましたために、ブルカをずっと身にまとっていることによって、私自身が、偽りのものではありますが、安心感だとか、居心地のよさを感じるようになりました。例えば、すでに終わりに近づいた、砂漠での撮影中、まったく知らない人たちが私に視線を送っているのに気づき、私は上げていたブルカを下ろして自分の顔を隠してしまったのです。そのときアフガニスタンのような危険な状況の中で暮らす女たちにとって、ブルカのはたす役割がわかりました。アフガニスタンの女性というのは、すべての軍閥によって犠牲者として痛めつけられて、拷問にかけられ、そしてレイプされてきました。そういう状況下で暮らしてきた人たちからブルカを取り上げようとしても、彼女たちはこのブルカが与える偽りの安心感を手放したくないのではないか、と思い至るようになりました。ブルカとはすなわち抑圧の象徴であると考えていたのが、だんだんと、危険な所に住む人間にとっては、抑圧から自分を守ってくれるものへと変わってゆくのだということ、精神的な拠り所にもなるということがわかったのです。
今申し上げているのは、決してブルカを擁護するためではない、ということはよくおわかりいただけていると思います。あくまでもブルカを身につけることによって、精神にそういった変化が生じるのだということをご説明したまでです。
映画『カンダハール』パンフレットから引用。
安心感は安心感なのだから「偽り」もなにもなかろうが、ブルカが一方で女性抑圧の道具として機能している厳然とした事実がある以上、賞賛するわけにもいかないので苦しんでいるように見える。西欧的人権思想と非西欧的文物のよさのあいだで引き裂かれるイスラム文明に出自をもつ知識人の悩みか。ここらへん、どうもマフマルバフ監督その人はわりと単純な欧化派なので態度の一貫性ではラクをしているようである。
わたしはこんな遠くの国にいるし、こんな厳しい現実と闘っているわけではないから、その分つきはなして評論家的に見ると、このブルカ、民族衣装として考えた場合実によくできている。いや、男とか治安についての不安とかそういうことではなくてね。砂嵐が多い土地でしかも気温の変化が激しく、日ざしが強烈、空気が乾燥しているということならば、体のまわりにできるだけ空気を確保したいのはあたりまえでこれは中央アジアの民族衣裳には共通のこと、顔面に関しても戸外ならば覆っておくほうがそれは防備できる。ましてこの人たちは砂丘を徒歩で歩いているのだから、そういう場合、男でもターバンの一部を下して顔面を守る。外出着としてはまことに合理的である。問題はそれが室内やいたるところで強制されること、そのため読み書きやさまざまな行動まで規制されることにある。
ところで近年のイスラム原理主義といういわれかたでくくられがちなイスラム復興運動にはたしかにイスラム本来のしなやかな多文化の受容、放置および、共存に欠ける点もあるような気はする。西欧文明への批判的な見方、イスラム的価値観の称揚がしかし、西洋的と目されるものの極端な拒絶へといく傾向はあるのだろう。わがくにで明治から昭和にかけて、西洋的なありかた、文化への反発が日本の伝統文化の称揚として現れるとき、しばしば、その非西洋的部分が強調されるあまり、かえって江戸時代やそれ以前の文化のしなやかさを失って頑迷固陋なものに変質してしまうのどこかパラレルなものを感じる。とはいえ、民族・言語・宗教・地域のいずれをとってもとっくの昔に広域・多文化の共存を実現してきたイスラム文明と辺境の島国の地域文化を同列に論じることには無理はある。
が、アメリカ的価値観、ないしは市場システムの現地社会の破壊、あるいは経済的、社会的な圧力が強烈であるからこそ、これに対する反発が極端に走るような気もする。それは当のアメリカによる軍事的圧力だけではなく、国内の欧化・開明派によるものもあり、あれが吹き荒れたあとはかならずや貧富の差が激烈に開くことになってはいる。 その意味でタチの悪いのは軍事力以上に経済システムでこれは、現に世界の半分を飢えにおいやっている。ハイジャック機がペンタゴンと同時に世界貿易センターを狙ったのにはそれなりのワケもある。
2002/10/9