ayya # 063 酔っぱらった馬の時間と東方見聞録と大原女

 90年代の「友達のうちはどこ」の大ヒット以来、ながらくイラン映画というのがブームである。アッバスキアロスタミや、マジッドマジディ、モフセンマフマルバフなどといった監督がいて、カンヌで賞をしょっちゅう取るのである。カンヌで賞をとるとミニシアター系の映画館にあっさり配給されるのである。おかげで、地方都市在住のイナカモンであるわたしにも見る機会があるというわけである。賞とか欧米での評判に弱い日本らしいはなしであるけれど、確かに面白いのだからまあよろしい。カンヌの賞はうっかり信用すると結構ハズレ映画にあたることも多いのだが。この点アメリカにはアカデミー賞という賞もあって、個人的にはこちらをとても信頼している。おおむねこの賞を取ると駄作と決まっているので、見るべき映画の選択肢からは排除することにしている。実に乱暴なはなしである。ハリウッド映画ファンのみなさまゴメンナサイ。

  さて、クルド人の映画監督にバフマン・ゴバディという人がいて、ちょっとブームである。先日「酔っぱらった馬の時間」というのが来ていたので見てきた。ストーリーのほうは一村揃って密輸に従事する山村のはなしで、雪深い山を越えてラバの背に荷物を載せ、あるいは背中に背負ってイランからイラクへ密輸をするのである。子供たちは日々密輸品の荷造り、仕分けをして日銭を稼ぎ、大人はそれをラバにつんで、国境警備隊の眼をかすめ、地雷を踏みわけて運び、捌き、稼ぐといったわけである。

  ところがこの密輸品なのだが、車のタイヤ、学習用の帳面、グラス、といった日用品なのである。こちらは「太陽にほえろ」とか「大都会partII」などを見て育った所為でついつい密輸というと大麻やヘロイン、覚醒剤など期待してしまうクセがついているのでどうも拍子抜けである。まして、イランである。イランといえば、暗殺教団「山の老人」ではないか。いい若者をハシシとキレイなねえちゃんで放蕩させて、極楽を味わわせて、しかるのちに「つづきは政府要人のハッサンを刺してからよ」ナンちゃって。でもってモンゴル帝国に攻撃されて滅ぶのではないか。NHKアニメ「マルコ・ポーロの冒険」で勉強したぞ。さらについつい「東方見聞録」で読み直したんだぞ。とミーハー根性まるだしではある。それからほんの700年しか経ってないんだろうが。それが学習帳にタイヤではなあ。

  これではまるで、馬借である。日本史ではおなじみの山岳地帯を越えて物品を運搬して交易に従事する運送業、小売、卸売業者である。「牛方とやまんば」の牛方も干鱈を運搬して山越えしているわけだが、まさにこれであろう。おそらくこの牛方は越前敦賀、若狭小浜といった海岸で干鱈を入手ないしは製造し、北国街道や小浜街道を越えて近江や京あたりに運んだのではないかしら。道路が整備されている場所に関しては大八車に類した車による運搬があり、これはこれでおとなり中国では始皇帝の昔から普及しているわけであるが、山岳地帯など道路の整備状況が悪いところでは使えない。こうした場所では馬・牛の背に物品をくくりつけてその轡(くつわ)をとって歩くというのがパターンである。

  いっぽう全くの人力運搬というのも歴史があり、背負子を使った運搬および、頭上に荷を載せる頭上運搬というのもある。後者は大原女などが有名であり、前者は中部地方の山岳地帯の運輸業によくあったようである。いずれも女子労働がきわめて多いのは特徴的である。前近代には女性の運輸・商業での活躍というのは特筆すべきものがあり、その経済力が我が国の50%を越えたという離婚率・再婚率を支えてもいたのではないだろうか。「結婚はイヤじゃないけど、イイ男がいないのよね」ってやつか。もっとも生家のほうでも「イヤになったらとっとと帰っておいで」といった調子だったらしいが。しかし、そもそも嫁入り婚よりは通い婚というケースが多いし、婿取り婚というケースも多く、さらにかならずしも同居してないわけで。ここらへんの各種結婚形態は近頃は高校日本史でも習うようになっていて実に結構なことである。

  閑話休題、たぶん彼らの密輸もまた昨日、今日はじまったことではないだろう。国境などなかったころ、あるいは国境防衛に関心が乏しかったころから、彼ら山岳の民は交易従事者であり、山を越えて物資を運搬し、価格の地域差を運搬の対価として受けとっていたのだろう。ラバを持つものはその運搬力のゆえに富者であり、身一つのものは貧者ということになろう。不幸にしてラバに死なれたものは一挙に貧民というわけだ。もちろん商隊をひきいて商業活動を展開する親方と実際の運搬に従事して日当を受けとる子方はあったろうが。ただいつのまにか、国境と国境監視部隊が出現して、イランイラク戦争がおこって、彼らの商業活動は密輸と呼ばれるようになり、銃撃をうけるようになり、地雷が埋められるようになったに違いない。平和な交易民としてはタマランはなしではあるが、あるいはそのことが彼らの商業をトラック輸送などによる近代的運送業の脅威から守っているのかもしれない。でも、地雷と鉄砲はイヤだなあ、やっぱり。

  ともあれ、この交易の存在は、いまもタイヤやグラスやノートブックといった日用品にイランとイラクによる価格差があり、それは密輸という手間の代金を出すほどであるということを意味している。映画によるとどうやらイラクのほうが物の価格が高いようである。イランのほうにはイラン革命以降のアメリカによる経済封鎖があり、一方イラクには石油による外貨によってインフレが進行していたのかもしれず、湾岸戦争以来の経済封鎖により日用品の価格が高騰しているのかもしれず、あるいは収入に対する価格は同程度だが、貨幣に対する為替相場が違うのかもしれず、ここらへんはゴバディさん教えてちょうだい。結局のところイランイラクに対するわたし、ないしはわたしたちの知識の無さを思い知らされるのであった。

  というわけで、まだ御覧でないかたはどうぞ御覧下さい。逆境でこそ固く結びつく家族愛とか、理不尽な不幸にケナゲに立ち向かう少年や少女の成長とか、国境警備隊に追われ、みんなともはぐれ窮地にたつ緊迫感とかそういうの好きな人はそういう仕掛は天こ盛り、満載なので楽しめることウケアイです。

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2002/11/28