ayya # 066 恐るべし彼氏依存症 (後編)

  ところでイチャモンをふっかけるのが求愛行動というのは結構よくあるらしく、和泉式部日記などを読むというと相手の薄情さかげんを歌で恨んでみせるというワザが多用されている。「あなたという人はわたしがこんなに思っているのに冷たい態度を」「いえ、あなたのほうこそ私のことなど、どうでもいいのでしょう」てな歌がえんえん応酬されるのである。読むほうはどーっと疲れることこのうえない。だったら読まなければいいのであるが。

 しかし、イギリスでもそういうことはあるらしく、スカボローフェアでは

  針と糸を使わずに、麻地のシャツを縫っておくれ、美しい恋人よ。
波と砂のその間に、広い畠作っておくれ、美しい恋人よ。
水の枯れたあの井戸で、広い畠うるおしておくれ、美しい恋人よ。
収穫集め、袋に詰めて、蝶の背に載せて運んでおくれ、美しい恋人よ。

  というのがあり、曲目解説によると無理難題を吹っかけるというのが愛情の表現なのだそうである。実にナンギな愛情である。

  「あえてひとりの男性に」というとおじさんとなってしまったわたしには「貞婦二夫にまみえず」なんぞという儒教系の倫理を彷彿してしまうけれども、こいつはロマンティックイデオロギーと形を変えて根強く生き残っていたりする。かつては「一生にただひとりあなただけを愛して、見つめつづけていたい」などというセリフを女性の側がなにか素敵なことであるかのように受けとめていたりしたものである。少女マンガやテレビドラマなんかも、こういうのを美しいことであるかのごとく喧伝してもいた。イマドキのおネエちゃんといえどもこういうところで結構古風なかたもいらっしゃるに違いない。

  このロマンティックイデオロギーについて考えるに、件の儒教倫理は、江戸時代には存在していたにもかかわらず、ついに主流派となることはなかった。例えば江戸の離婚率は50%を越え、再婚率は80%に達していたという(『三行半の研究』)。江戸という街が男性人口が多く、女性が引く手あまただったことを割りびいて考えたとしても武家のごく一部にしか通用しなかったであろう。もっとも儒教倫理の流布していた武家の女でさえ、子連れでの再婚は実際よくあることでなのだからまあ、その程度だったのであろう。

  それが明治以降急速に一般庶民にも普及し、一方で女性の財産権が縮小されていったわけである。これはむしろ欧米起源の女子差別、あるいはロマンティックイデオロギーを急速に輸入していったようにもみえる。やっかいなことは「でなければならない」といった義務の悲愴感ではなく、「であるのがステキ」といった憧景の魅惑であることである。そのくせ、そうでない文化を決して許さない自文化中心主義はしっかりもってたりして。この意味では儒教倫理の側の「婦女子、斯くすべし」は家族、世間、地域社会、学校等々の外的規制として機能し、規制からハミ出すものへの制裁として機能する。その分だけ、封建的、抑圧的として批判の対象にもなりやすく、人権思想の側からの攻撃もある。一方、ロマンティックイデオロギーのほうは内的志向として機能するわけで、自分が好きでやっている、ないしはそう思っているわけなので、その手の攻撃は免れることになる。この意味では獲物に襲いかかるカマキリ型の儒教倫理vs獲物が自らはまりこむアリジゴク型ロマンティックイデオロギーともいえる。おそるべき和洋のコンビネーションプレイだといえよう。かくて、彼女たちは自ら依存症へとなだれこむに歯止めをもたないような気もする。

  とまれ、おそるべし彼氏依存症。とどまるところをしらない猛威をふるいそうである。


註2 人権思想
とはいうものの、フランス人権宣言では、革命時の女性の大きな働きにもかかわらず、女性の人権がまるで顧慮されていない。この事実を当時、グージュは『女と女市民の権利宣言』においてつぎのように語っている。
「女には断頭台にのぼる権利があるのだから、議会の演壇にものぼる権利もなければならない。」フランスでは、女はすでに太陽であることをやめ、青白い月になっていたようである。
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2003/1/9