# 092 身の上相談 (戦後篇)

さて、第二次世界大戦もおわり、戦後である。占領軍たる米国はおとなり朝鮮半島には反共軍事独裁国家を建設し、日本には民主国家を建設することになった。そのお蔭か、極めて民主的といわれる日本国憲法をもらうことになる。

例21
〈妻の入党に悩む〉――妻と二人で共かせぎ、二八歳の会社員です。最近妻が共産党に入党し、それからは家庭内でも厳格な所謂、男女平等の実行家です。思想的にも妻に共鳴していませんし、ついても行けません。わずらわしいので離婚したいと思いますが、新しい恋愛もないし、離婚すると生活の面でも困るのですが、その危険を冒してまで離婚すべきでしょうか。子供はありません。(丸の内・A生)(『読売新聞』、昭和二四年一一月三〇日)

憲法に保証された両性の平等を真にうけたのであろうか、すっかり先進的になってしまった妻に夫のほうは古い生活実態から離れることができずにいるようにみえる。注意するべきなのは、「離婚すると生活の面でも困る」である。ひとつには妻がこんなに自分の思うことを公然と行なえる根拠としてその経済力が背景にあるのであろう。もうひとつには、夫にとって、妻というものが、生活を経済的にも家事労働の上でも支えてくれる便利な存在として認知されているというところである。

ところで、男女の平等の進行とか、社会保障というどちらかというと民主的とみられる制度は、しばしば大戦のなかや直後で達成されていたりする。たとえば、国民健康保険法の成立は1938年である。

女性参政権が認められたのは、

# 1918年 カナダ、ドイツ
# 1919年 オーストリア、オランダ、ポーランド、スウェーデン
# 1920年 アメリカ
#
# 1945年 フランス、ハンガリー、イタリア、日本
# 1947年 台湾(中華民国)

である。

つまり、男性が戦場にかりだされて専ら消費ないしは破壊行動の応酬に忙しいころ、工業であれ、農業であれ、生産的な行動は、専ら女性によって運営されることになり、勢い職業婦人が増加、相当の不利はあるにしても兎にも角にも経済力をつけてしまうのである。また、男性に依存しようにも依存できない生活が心理的な自信を深めてしまうという点もあろう。

例22
〈家庭を忘れた妻〉――私は一四年前に結婚し四人の父です。最近三二歳の妻がダンスに熱中して困っております。毎日、日課のように踊り狂い、世間体もあるので二、三の友人に注意してもらったところ、非常に憤慨し妻の娯楽を禁じるような愛情のない夫には憎しみを感じるといって、夫婦関係まで拒み、同年配のダンス狂のA夫人と女学生のようにはしゃぎ、タバコを吸い、歌い、踊りまわっています。何とか円満な家庭生活をとり戻したいと再三注意した結果、四月からはダンスだけは止めましたが、友人として仲良くやりましょうと家事に努めてくれるだけで、A夫人と関係は深まる一方です。いったいどうしたらよいものでしょうか。
(要旨、『読売新聞』、昭和二四年五月二日〉

同じ昭和二四年である。こちらは家事をつとめていることはわかるが、専業主婦であるか、職業婦人であるかはわからない。ともあれ、ここにも、「友人として仲良くやりましょう」と両性の本質的平等を生活の上に実現しようという態度がみられる。

例23
〈離れた夫の愛情〉私は三二歳になる会社員の妻です。四人の子供があり、戦後の現在まで幸福にくらして参りました。ところが夫が会社の出張中、ある女と関係をもったので、自分も、あまり愛を感じないまま、ある男とむすびつきを作りました。夫は偶然の機会からそれについて知り、それ以来、夫の怒りは根深かく(ママ)、夫婦の間は急速に離れつつあります。自分はこの際いっさいを精算して相手の男と手を切りたいのですが、男を納得させる方法はないでしょうか。(杉並区主婦)
(要旨、『読売新聞』、昭和二五年九月二日)

これも、両性の平等により、夫が浮気するならば、妻も浮気してみようと同じことをしてみたわけであろう。だいたいにおいて、サルの眷属においてはオスの嫉妬心ないし独占欲はいっぱんにすさまじく、それについては生物学としては遺伝子の伝達効率で説明そのものはつく。ところが、面白いことにそうした特性はしばしば女性の側に投射され、やれ「女は嫉妬深いものである」などといった言説が流布したりする。

例24
私は一六歳の子供がある官吏の妻です。夫はこの上なく愛してくれています。ところが昨秋、従弟の友人で大学院の学生と知り半年の間にお互いに理解しあい遂に心が触れあいましたが、二人の理性は善良な夫を裏切る事も彼の両親にそむく事も出来ないのです。苦悩の結果、私は子供の愛情に、彼は学問の研究に逃げ道をきめましたが私たちには忘却は絶対に来そうもありません。お互いの愛情は離れていても、火のように燃えています。こうした真剣な気持でも二人で生きる事は望めないでしょうか。
(『読売新聞』、昭和二四年五月二日)
例25
〈現在の夫と別れたい〉――私共の結婚は初めから彼は私に対して一片の愛情もなく、私も又彼に対して愛情も信頼も感じたことはありません。現在私は生活のためある小さな会社につとめておりますが、専処の事務の男らしい立派な態度に何かと心をひかれておりますうちに、彼からも「貴女の生活の苦労から磨き出された美しさ、男の立場を理解できる人となりに心をひかれた」と愛情を打明けられました。彼には両親もあり奥様に二人の子供迄あるのですが、奥様の彼への理解が足りないとて、私の立場に深く同情して離婚に骨を折ってくれましたが、私の収入が生活費となっている現在、私の離婚は簡単には成立しそうにないのです。私の一生において彼より他にたよる人はありませんし、今のいばらの生活を清算して彼と共に生きる喜びの生活にはいりたいのです。彼の家庭をこわす事なく、私も独身にかえってお互いに愛しあい、信頼しあって幸福な生活に入ることはいけないことでしょうか。
(谷口輝子編著、『女性の相談室』一三〇頁)

自分自身の生き方をみつけたともいえ、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」という憲法の条文におそろしく素直ともいえる悩みである。日本国憲法というものは利益のある側にはかくも速やかに巷間に流布していたのであろうか。

例26
〈子持ちの再婚、意地悪な姑に泣く〉――三二歳になる再婚の人妻でございます。前夫の子供が一人おりますが、姑の意見で私の実家に世話になっております。私共の結婚は、両方の親の反対を押し切って恋愛結婚いたしました。主人は私より三つ年下で、前夫との子供があるのも承知で結婚いたしました。ところが今度田舎の私の母から、子供を連れて行って一緒に暮してくれといわれ、いろいろ相談した上、義母も今迄絶対に前夫との子供と共に暮すことに反対しておりましたが、私さえ女らしく姑に折れてくれれば許すというので、新学期から子供もひきとって皆一緒に暮そうと相談がまとまりました。
しかしふだんから私が憎くて憎くてたまらない姑は、何かにつけて意地悪をして、すぐに「出戻りのこぶつきが」とののしり、言い争いをするとすぐに「この子(主人)を殺して、私(姑〉も死ぬんだぞ」といつも刃物を持ってきます。主人に対しては義理ある母なので実母に対するようにずけずけ怒ることも出来ず、親は親としてどこまでも面倒を見なくてはと、私がもっと強く義母に云ってくれとたのんでも出来ないらしいのです。最近では、こんなことではとても一生暮せぬ、離婚しようかとも考えます。でも、五月頃には二人目の子供が出来ますので、離婚も考えさせられます。主人は「俺は義母と暮すから、お前は子供と暮してくれ、そして義母に対してそっけなく、毎晩酒でも呑んで義母が呆れるようにしてやるから」と申します。私も今迄は子供のためにと姑の言うなりになってまいりましたが、こんなことでは家は暗くなるし、主人はすでに外泊のくせがついているし、とても将来明るい良い家庭は望めませんから、主人に、義母に対してお芝居でも良いから強くなって貰うか、それが出来なければ私一人で涙をのんで家出しようかと思います。子供と共にと思いますが、私にはこれといって生活力はなし、義母を少し苦しめてやりたいのです。子供も不幸にならず、主人と共に明るく暮して行ける道をお知らせ下さい。(東京・S子)
(読売新聞社編『人生案内』九八頁)

ヨメとシュウトメの対立という例の図式ではあるけれども、「義母を少し苦しめてやりたい」と負けてはいない。とはいえ、「やりたい」のあたりにそれができずにいる現状もあるわけではある。ともあれ、三従の教えにそって、「わたしが我慢しなければ」というふうには発想してはいない。

例27
夫も自分も三〇歳。五歳の長女と三歳の長男。
夫は公金に手をつけるくせがある。公金に手をつけ、競馬、競輪にこり、また他の女性と交渉をもつ。友人、親戚から借りることで警察問題にせずくいとめたが、つとめ先をかえてからも、同じことをくりかえした。節約して皆様に返金するという気持のない自己中心的な性格が反省されないのが辛い。子供二人にたいして、彼を夫とえらんだことをわび、子供の将来を不幸から守ってやりたい。自分は女学校卒業後、海軍筆生、占領軍のメイドをして来た。夫について不安をいだかずにおれなければ別れたほうがよいと思うがどうか。(東北・K子)
(要旨のみ、読売新聞社編『人生案内』に全文がのっている)

ここでも、生活を自分で立てられるとなると俄然、選択肢がでてくるようである。 結局、上部構造は土台が規定するというやつであろうか。経済的な実力あるいは自信、もしくは不満といったものが、人の欲求をきめるのかもしれない。

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   2007/4/4