autobiography # 018 憧れのオーブン

  オーブンをもらった。完全にもらった。電気式上400W下400Wの計800Wフルパワーである。スリーサイズはW38×H27×D29である。60リットル冷蔵庫の上にジャストフィットである。これで、長年のユメがかなったわけである。大学3年の春であった。

  わたくしとオーブンの因縁は小学校5年生のときにさかのぼる。学研の科学のおまけに酵母菌栽培セットがついてきた。これは、小麦粉に酵母菌を混ぜてプラスチックケースにおさめ、温かいところにしまっておくと、発酵がすすんででっかくなるとただそれだけのシロモノであった。しかし、あらかじめ、砂糖、塩など仕込んでおき、充分膨れたころを見計らって、オーブンで焼けばなんとパンが出きてしまうのである。これは喰えるのである。うまくいけばスゴくウマいという可能性も否定はされないのである。わたしは実験に突入した。万事がうまく進行した。あとはオーブンで焼くだけ、という最終のツメの段階に突入した。ここで重要な問題が浮上した。すなわち、オーブンの不在である。わが家にはオーブンがなかった。文明の英知電子レンジが早期から導入され、御飯のあたため直しにも冷凍食品の解凍にも使用されていたというのにである。実験は中断を余儀なくされた。そして、その後実験セットは腐海の底から再発見されることになった。

  この日からスーパーマーケットで冷凍ピザを見つけても、中一コース別冊付録「やさしいケーキのつくりかた」を読んでもかならず、わたしの前に立ちはだかるのが「180℃に熱したオーブンで25分」といったセリフであった。オーブンなしでできるものは蒸しパンとホットケーキくらいなものである。とりあえず作ってはみるが満足できない。くるみと乾し葡萄とオレンジピールの入ったパウンドケーキが燦然と見せる光輝のまえではホットケーキや蒸しパンの庶民性が厭わしくさえ思える。

  材料にソースをぶっかけてとにかく20〜30分くらい放っておけば、それでゴチソウが出現するユメの機械、ピザでもナンでもガンガン焼けてしまう最終兵器それがオーブン。しかし、わたしの手元にはない。富裕な奥様と料理の鉄人だけが使用を許された究極のマシーン。貧乏人はセイロで蒸しパンでも喰えとイケダ蔵相はいったという。悲しい気持ちで銀の匙を喰わえて生まれてこなかったわが身の不幸を呪い、ヒネくれて星を睨んだ青春の日々であった。

  しかし、いまやわたしもオーブン使用を許された身分の仲間入りである。われながら出世したものである。いきおいこんで買物にいく。タマゴは特売で10ヶ88円である。ガティト!おなじくメリケン粉は特売日清フラワー1kg100円、である。ガティト!雪印無塩バター345円は高いので、生協ケーキマーガリン145円で妥協することにする。ブルジョア階層の仲間入りをしたからといって新米ブルジョアであるからここは万事控え目にすべきであろう。ガティト!砂糖は喫茶店や食堂でクスねてきたやつがいっぱいあるからこれで足りるだろう。ガティト!パウンド型と敷紙はセットで買った。ガティト!泡立て器は普通のやつとハンドル・ギヤつき高性能やつと2本準備した。got it!仕掛は万全である。

  パウンドケーキには難しいところは何もない。バターを泡立てて、砂糖をまぜる。白味を泡立てて砂糖をまぜる。黄味を泡立てて砂糖をまぜる。全部まぜて粉もまぜる。型に入れてオーブンにぶちこむ。以上おしまいである。分量はとりあえずものの本に従う。砂糖に関しては1/2くらいにするとちょうどよいことが多いが、分量どおりでも問題ない、少ししつこいだけだ。あとは泡立てた泡が消えるとカナしいのでとっと作業するくらいか。所要時間はざっと1時間くらいか。

  処女作はあっさりでき、こういうのを試食したいモノ好きは近所にいっぱいいたのであっさり全量がたちまちに消えた。ヒトにものを貰ってマズいというヒトもめずらしいのでどいつもこいつもウマいという。そんなわけで今日にいたるまで都合何本のパウンドケーキを焼いたかわからないが、技術的な向上はまったくないのだった。このてのバターの多いケーキは作ってから2、3日経ったほうがうまいのだが、こらえしょうがないので大概、翌日までには消えてしまうのである。

  しかし、ココアを混ぜるとか、チョコレートを塗るとかのバリエーションはなんぼでも可能である。たいした手間がかかるわけでもない。さらなる効用はもはやバレンタインデーおそるるにたらず、である。テメエで作って配ってしまえばよいのである。呉れるのを待っているパッシブな生き方があれこれの悩みを生むわけで配る側にまわってしまえば主導権はこちらにある。経験的にわたしの周囲の女子の人はみんな買収には弱いタチであり、ものをもらって迷惑がるタチの人はいなかった。

  というわけでバレンタインデー恐怖症の青年諸君は呉れるのを待ってないで自分が配る側にまわることをオススメする。こいつは気楽だ。あちらこちらに配りまくったとて、尻軽をののしられる心配もない。なにせ向こうはまったく期待していないのであるから少々へたくそでもどうということはないのである。こいつはますます気楽だ。むかうところ敵なしといっても過言ではない。

  わたしはほとんどガンコなほどに表面には何も塗らないか、せいぜいチョココート派だが、バンドのMくんはスポンジケーキアンド生クリーム派である。彼によれば、クリームを塗り、イチゴを盛りといった作業がほとんどジオラマのノリでうれしいのだという。ならいっそ戦車チョコとか土嚢クリームとか、ドイツ兵をかたどったバター菓子なんぞをつくっちまえばよさそうであるが、そこはそれ、恥じらいを知る青年なのであった。

  もち運びの効かないケーキは不便だと思うがたしかにクリームには粘土遊びを彷彿させる何かがあるのも事実である。なお、わたしは生クリームとは相性が悪く、調子よく泡立てているといつのまにかそこには無塩バターが出現していたりするのである。分不相応な生クリームには別れを告げ、植物性ホイップクリームに懇意にしていただいている。

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  2002/5/19