「桜の満開の下」は勿論坂口安吾の伝奇小説である。満開の桜の下で拾った女は実は首狩り系のネエちゃんであったわけだが、生首遊びというものは高貴な姫君にはままあったことらしい。
関ケ原の合戦(1600)のとき大垣城にいたおあんという女の話を記録した『おあむ 物語』に「味かたへ、とった首を天守へあつめられて、それぞれに札をつけて覚え おき、さいさい首におはぐろを付けて、おじゃる。それはなぜなりや。むかしはお はぐろ首はよき人とて賞翫した。それ故、しら歯の首は、おはぐろ付けて給われと、 たのまれて、おじゃったが首もこわいものではあらない。その首どもの血くさき中 に寝たことでおじゃった」とみえている。生首が女たちに賞翫されていたというの である。すぐ腐っていくであろうが、それまでのしばらくを賞翫して楽しんだので あろうか
[宮本常一 「絵巻物にみる日本庶民生活誌」中央公論社]
この宮本常一によれば首狩りというのは死者が蘇えったり、怨霊になって祟るのを防ぐための呪術であったそうな。そういう呪術のために首狩りをするわれわれは首狩り族にほかならないわけだ。制度としての獄門さらし首はいちおう明治まであったわけだから、つい100年ちょいまえまでそういう習俗はつづいていたわけである。