姉妹篇もよろしく。
江戸時代といえば、悪代官と貧窮農民というのが時代劇のパターンではあるが、名君家光公、犬公方綱吉公、米将軍吉宗公、田沼時代へいたる家治公の治世ではそれぞれ年貢率が異なる。 では、江戸時代で名目上年貢率が一番安かったのは? a 3代目家光の治世 b 5代目綱吉の治世 c 8代目吉宗の治世 d 10代目家治の治世
我が国にも歴史的性別役割分業というものはあり、時代差地域差はあるにしても女の仕事と考えられがちであった仕事というのはある。さて、次にあげる仕事のうち女性が出来なかった仕事はどれ? a 朝廷のお役人 b 運搬・小売業 c 京の金貸・金融業 d お江戸の居酒屋
時は中世、一揆や戦乱あり、地震、疫病もあり、不作が続けば餓死者というものが多くでたらしい。さて、餓死者のもっとも多くでた月は? a 2月 b 5月 c 8月 d 11月
時は鎌倉、文永年間。玄海灘を乗りこえて博多へとやってきたのは高麗・蒙古の兵2万余り。国難ここにありて迎えうつは鎌倉御家人衆。なかでも武勇に覚えのあるは竹崎季長。われこそは先陣の功をあげんとて一騎にて駆けこまんとすれば、後より「しばし待たれよ」と止める声あり。声の主は従者の藤源太。さて季長の先陣を止めたその理由はいかに? a 多勢に無勢であるから。 b 作戦行動を乱すから。 c 他に見ている人がいないから。 d 自分が先陣するため。
672年は壬申の年。大友皇子の先制攻撃を察知した大海人皇子は吉野を脱出。東国へと落ちのび、関東の兵を集めて、逆襲。この戦いに勝利をおさめて翌年飛鳥浄御原にて即位。天武天皇となるというわけだがさて「関東の兵」っていまの都道府県ではどこの人? a 岐阜・愛知 b 東京・神奈川 c 福井・石川 d 福島・宮城
鉄砲伝来の地として有名な種子島だが、ポルトガル船はたまたま流れついたわけではない。無論当初の目的地というわけではないだろうが、どこかの時点で船にトラブルがあり、その修理をし航海をつづけるのに相応しい島であったためと考えられる。さて、1543年当時の種子島の特徴として不適当なものは次のうちどれだろうか。 a 米の作柄の豊富な土地であった。 b 海上の情報交流の要地であった。 c 鉄の製造技術の先進地であった。 d 統一権力不在の地であった。
平安時代の絵巻物には宮中の年中行事の中に、身なりの汚ない地面に直に座った人々が多く描かれているがこの人々はいったい何者であろうか。 a 警護の武士。 b 神社の神人。 c 見物の民衆。 d 高野聖。
また絵巻物には、武士の馬の轡をとる従者が長い柄杓をもっているが、これは何のための道具か。 a 馬上の武士が水を飲むため。 b 馬に水を飲ませるため。 c 道路の土埃を防ぐため。 d 実は武器。
元寇の後、宇佐八幡神社や、伊勢神宮の荘園が増えているがこれは何故か。 a 幕府からの恩賞。 b 鎌倉御家人が没落したため日和見的荘官から再度寄進があった。 c 鎌倉御家人の借金のかたにとった。 d 自墾地。
7世紀、阿部比羅夫の東北・北海道への遠征がおこなわれるがその出兵の理由は何か。 a 蝦夷の反乱がおこったため。 b 口分田の不足を解消するため。 c 金鉱の発見とその領有のため。 d 軍事演習のため。
これまでの成績記録
註)諸々の御協力いただいた戸田氏、吉岡氏に感謝します