村でひときわ目につくのはヘリポートと豪華な住宅群、そして歴史小説『三国志演義』の主役の人形だ。女性指導者の趙毛妹・副書記(44)は天真爛漫に笑った。 「昔から、中国の農民は講談で三国志演義に親しんでいるのです。クワしか手にしたことがない農民に、起業家精神を教え込むために、これを使うことにしました。」
[中略]
彼女に改めて聞いてみた。
- -----二十四孝は儒教じゃないですか。これは社会主義なんでしょうか。
- 趙さん
- 孔子批判というのがありましたが、あれは政治スローガンだったのですよ。貧困は社会主義ではない。社会主義とは富裕であり、健康であり、気持ちが良いということです。 富裕の基準は、木の床にカーペットを敷き、水道を引くことです。雨が降っても傘をささないですむようにすることです。
- -----傘をささない?
- 趙さん
- そう村中の建物を渡り廊下でつなぐと傘がいらないでしょう。 健康とは、栄養を考え、年寄が養生すること、子供をしっかり育てること、娯楽が多種多様であるということです。隣近所と仲良くし、目上のものと目下の人間が心を一つにすること。そうすれば、気持ちが良くなるでしょう。 二十四孝の人形を作ったのは、敬老の精神を持たない子供が多いからです。古くとも良いものは良いのです。
[後略]
岩波新書『中国路地裏物語』より
あっと驚くような社会主義解釈だが案外レーニンやマルクスよりもむしろ正しいのかもれない。ある方針なり、分析を評価するのに、さすがにマルクス著作の引用をもって証明にかえるというわけにも今ではゆくまい。が、ソビエト連邦という社会主義の大実験が崩壊したからといって社会主義そのものが否定されるワケじゃないだろう。ただ、素朴にマルクス・レーニン万歳ってわけにはいかないだけである。
それよりも、20世紀のヨーロッパやアメリカによる軍事力と経済力を駆使した植民地支配ないしは現地軍事政権を介した新植民地主義支配に抵抗する手段として社会主義がとられたこと、それを応援する勢力としてソ連が機能したこと、その体制が50年なり、70年にわたって維持されたことは特筆の価値がありそうな気がする。
面白いのはカストロにしろ、ホーチミンにしろソヴィエトの顧問団が現地に行ってみるとあまりに社会主義に対する理解あるいは知識がないと驚いていることである。マルクスやレーニンの諸分析や理論よりも農民と労働者こそが主役であるという神話が大切だったのであろう。高らかにラッパが鳴って最後の審判がおとづれるように高らかに鐘が鳴ると搾取するものが搾取される番となるのである。コムヅカしい百万言よりもココロに響く合言葉がカンジンなのであろう。ナムアミダブツ。
いづれにしろ、いちばん大事なことはそこで暮らすひとが楽しく快適に暮らせることであって、何らかの社会体制や経済のしくみをつくることや、GDPののびることは手段でしかありえない。別に非効率でも生産性が低くてもシアワセに暮らせればそれで十分なはずではある。「自由化」した旧社会主義諸国がどこもヒドイ目にあって、傷ついたプライドが狭量なナショナリズムに流れこんでるように見える。対立するための「民族」じゃないだろうに。
さて、現在ではかつてソヴィエトに見下された中国、ベトナム、キューバがもっとも成功した社会主義モデルを提供しているワケだが21世紀型社会主義がどういう姿を見せるのか興味はつきない。