ayya #31 苦しいときの神頼みの作法について。

  宮本常一の父という人は妙に律義な人で、一生に一度だけ神頼みをして反省するところ多かったらしい。

またフィジーから帰る途中台風にあって船が沈みそうになったとき、人々は金比羅様に祈願して、もし生きて帰ることができたらはだし参りをしますからと誓ったのであるが、船が神戸につくと仲間の者はそれぞれ郷里へ帰ってしまった。しかし父は神への約束をはたすために船で神戸から多度津(たどつ)へわたり、衰弱しきっているので人力車で琴平までいって琴平宮の石段の下でおろしてもらい、高い石段を這ってのぼっていったという。それほど苦しかったことはなかったと私に時おり話してくれたが、それでも不思議に生きつづけることができた。神に頼むということは、同時にそれほどの義務を負うことになる。だから神には物を頼むものではない、できるだけ自分の力にたよるべきであるというのが父の信念であった。だから神社や寺のまえを通るときには頭をさげたが、神に祈願することは生涯しなかった。

『民俗学の旅』宮本常一 より

  ここで注目したいのは祈願のしかたである。願を立てそれがかなった場合にはその代償になにがしかの行為をするという方法である。戦国大名の戦勝祈願においても祈願に際してはこの戦に勝てた場合はカクカクシカジカの寄進を行うと願を立て、戦勝の後に願に従って寄進をする。元寇の際、全国寺社仏閣より恩賞の請求があり、伊勢神宮や宇佐八幡などに荘園の寄進があったことはどこかで述べた。ただし、負けたからとて賠償するわけではないので長年やってれば必然的に「貯金」がたまってしまう。まあかくて由来、歴史のある寺社は霊験あらたかな名社とならざるを得ないわけだ。

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
いつかの夢の 空のよに
晴れたら金の鈴(すず)あげよ
てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
私の願(ねがい)を 聞いたなら
あまいお酒を たんと飲ましょ
てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
それでも曇(くも)って 泣いたなら
そなたの首を チョンと切るぞ

  ここにも鈴や酒の恩賞が約束されている。だが天気にならぬときはその首チョン切るのである。ここらへんが寺社仏閣との格のちがいか。

  まあ無論現代人たるわれわれが神頼みをしてかなえられなかったからといって、寺社仏閣に放火などするわけにもいくまい。その行為は純然たる愛のみによってなされるべきである。でも金閣寺の炎上する姿はちょっとみたい。だが、だがである。願を立てるのに成功報酬を事前に与えてしまう賽銭、お守り、絵馬奉納の現代的風習は本来あるべき姿を見失なっているとしかいいようがないのではあるまいか。まず願をたて、しかるのちに御礼まいりにいき、成功報酬を捧げるのが正しい神頼みの手順なのである。

  というわけで受験生諸君、寺社仏閣まいりは合格なった暁におもむろに10社でも20寺でもまわるがよろしい。家内安全、交通安全祈願の諸兄もそれが成就した後に御礼参りだ。しかし家内事故ってのは交通事故みたいなものなのであろうか。そういわれればそんな気もする。長寿祈願も100まで生きて大往生ののちに御礼参り。

  なお、京都大学となりの吉田神社は名社であるが、合格まえにおまいりすると必ずや神罰がくだって不合格となるといわれている。下見と称して節分会などにいって、カナシイ目にあったものは数知れぬ。

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2001/07/16