2005年8月11日放送のNHKスペシャル、そして日本は焦土となった〜都市爆撃の真実〜によると、第二次世界大戦末期の日本焦土作戦はその後の米軍の攻撃のスタンダードとなるであろうと米軍資料に書いてあったそうである。
日本焦土作戦というのは、全国の地方都市180(計画上。実際に罹災したのは66)を全て焼き尽すというもので、例えば富山爆撃では市街地の99%を焼き尽くしたのであるが、やや郊外にある軍需工場のほうは無傷であったという。米軍の資料では目標にすらなっておらず、ようするに攻撃目標は徹頭徹尾一般市民であったわけだ。もともと地方都市に在住していた人はもちろん、空襲を避けて大都市から疎開していた市民が罹災することとなった。
これに先立つ、連合国によるドイツのドレスデン爆撃では3時間の間隔を置いて二度の空襲を行うことで、戻って来た市民、防空壕から出てきた市民などを効果的に殺害している。戦争が王侯貴族の娯楽から、市民ないしは国民の主体的参加に支えられるようになったのはナポレオン戦争からといわれるが、第二次世界大戦はその主要な攻撃目標を軍隊から一般市民へと変化するターニングポイントであったわけである。
ところが、その変化にもっとも躊躇したのは米軍そのものであったらしい。それというのも発効しなかったとして事実上無視されるハーグの空戦法規(1922、1923)では攻撃は軍事目標のみとし、市民への爆撃は禁止されているからである。結局批准はされなかったにせよ、無差別爆撃は許されない行為として認識されていたのである。
これをまず破ったのはドイツ軍と日本軍である。1937年ゲルニカと重慶に対して行った無差別爆撃で、ドイツ、日本とも「軍事設備を狙ったもので一般市民を狙ったものでない」と弁明したが、米英諸国はこれを無差別爆撃として非難した。その米英が八年後には史上最大の無差別爆撃による市民虐殺にはしることになる。
さて、日本の都市に対する無差別爆撃であるが、まずは6大都市への絨毯爆撃というかたちでおこなわれた。このときアメリカ空軍内では、「絨毯爆撃は米国の理念に反する。アメリカは世界に率先して人道を訴えてきた以上市民への残虐行為はするわけにはいかない。」という反対があったのだそうである。アメリカに先立ってイギリスがドイツに対し絨毯爆撃をすすめていくが、これは「家を奪えば、士気は挫けるであろう」という明確な意図をもって市民を狙ったものである。
いっぽうアメリカはヨーロッパ戦線ではイギリスのすすめる絨毯爆撃には応じなかったが、アジア戦線では「大都市を地獄と化すことで、士気は挫かれ、混乱がおきるであろう、二度、三度とくりかえすことで争乱がおき、政府への不満勢力が産まれ政治的混乱がおきるはずである。」と絨緞爆撃をすすめる勢力と、「絨緞爆撃を実行すればわれわれはナチスがいってきたとおりの野蛮人であったと証明することになる。市民を狙う攻撃となることは明らかで犠牲者の95%は一般市民となる。」と反対する立場とが争い、作戦計画書では精密爆撃派と絨緞爆撃派とが両論併記ののまま爆撃にはいっていく。
空軍はまず精密爆撃で、航空機産業を狙うこととしたが、拠点破壊に失敗をくりかえす。そうするうちに、空軍には大量に発注したB29爆撃機と、石油資本と軍が共同で開発した新型焼夷弾があったためこの新兵器を使用してどうしても戦果をあげなければならなくなったのである。
しかし、反対派は「絨緞爆撃はアメリカの国際的信用を地に落とす。」と反対。結局実際には絨緞爆撃を行いつつ、「航空軍の方針に変更はなかった。攻撃は軍事目標のみであった。今後もそれは変わることはない」と発表することとした。
そうして、6大都市への絨緞爆撃を決定したが文書には「これは市民への無差別攻撃ではない、軍事施設と軍需工場への攻撃である。」と書き、同時に「6大都市を破壊すれば日本は早期に降伏するだろう」という目算で攻撃をはじめる。しかし、6大都市に攻撃目標が無くなり、もはや爆弾を落とす目印がなくなっても一向降伏する気配がない。
そこで、人々の疎開先を狙ってこれといった軍事施設のない地方都市への空襲を開始する。しかし、そのとき、ドイツへの爆撃の結果のレポートがはいる。それは、「都市爆撃には期待するような効果はなかった。だから、主要な攻撃方法からは除外するべきである」というものであった。
しかし、全国地方都市爆撃へ向けて大量に発注したB29と新型焼夷弾が作戦の変更を許さなかった。結局、すべての都市の非戦闘員にむけて焼夷弾の雨が降ることとなった。
ここまでが同放送の主な内容であるけれども、無差別爆撃の開始と続行を決定したのが、発注してしまった軍需物資であった点には注意を向けたい。というのも、かつて、日本にペリーが来た大きな理由が、米墨戦争のために予算を獲得して蒸気船を発注したができあがる前に戦争が終わってしまい、使途に窮した結果、これに使途を与えるためであったというのを想起させるのである。2001年、以来つづくアメリカのアフガニスタンやイラクへの強引な爆撃は兵器産業から老朽化した爆弾の在庫を一掃して新品の購入を迫られたからというカングリもあるいは正しいのかもしれない。ようするに予算消化というやつである。ただし、戦費はアメリカ経済に重くのしかかり、世界の軍事費の半分は米軍が使用しているから予算オーバーも甚だしいが、兵器産業はたすかるであろう。ともかくも軍が軍事上の戦略あるいは戦術ではなくて、供給サイドの事情で動いているというのは軍とは市民革命以降の世界において軍とは何なのかを示唆しているように感ずる。
もう一つは「精密爆撃を続行」とアナウンスしておいて、実は絨緞爆撃を行い、それが戦争の終結にさしたる効果がないとわかったあとでも、早期終結に必要であった、といい続ける二枚舌である。91年の湾岸戦争のおり、米政府はしきりにピンポイント爆撃と称し軍事施設のみの攻撃を主張しつつ民間人犠牲者を積みあげていった。この二枚舌あるいは嘘の発表は旧日本軍の大本営発表ばかりでなく、米軍のほうでもすでに利用されていたのである。報道のコントロールは近代戦争の嚆矢であるナポレオンがすでに活用していたことをかつて紹介したが、第二次世界大戦時には両軍がこれを実行しており、そのことを軍自身が問題と感じた最後の時機であったということである。
その後たしかに一般市民への無差別爆撃は米軍のスタンダードとなり、 中国 1945-46、 朝鮮 1950-53、 中国 1950-53、 グアテマラ 1954、 インドネシア 1958、 キューバ 1959-60、 グアテマラ 1960、 コンゴ 1964、 ペルー 1965、 ラオス 1964-73、 ベトナム 1961-73、 カンボジア 1969-70、 グアテマラ 1967-69、 グラナダ 1983、 リビア 1986、 エルサルバドル 1980年代、 ニカラグア 1980年代、 パナマ 1989、 イラク 1991-99、 スーダン 1998、 アフガニスタン 1998、 ユーゴスラビア 1999、 とひっきりなしの爆撃と一般市民への攻撃をつづけている。
近代戦争の特徴は情報の奪取というよりは流布という意味で情報戦争であること、主要な攻撃目標は一般市民であること、軍をもつということは自国民の安全は意味しないが、他国の一般市民の危険は直接に意味するということをあらためて感じた次第である。
2006/01/21